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辻堂家三代の罪、千代の恵

憐みのゆくえ3 母子像

 一九四五年三月十日、東京は、空からの鉄と油の大雨に打たれた。向島区南の押上から深川木場の一帯が全て焼き尽くされていた。無論、東京大空襲の話である。


 その頃私たち陸士六十期生は、三月下旬には朝霞の修武台に入学を控えていた。数週間ののちには通称赤トンボと呼ばれた練習機による訓練のため、満州へ順次出発する予定であつた。まず先発隊が東京駅から敦賀を経由して朝鮮へ海防艦で渡る予定だった。しかし、三月十日の夜、早めに参集していた私達数人には、突然の事態が目の前に起きた。

 東京方面の空には、周囲の星々を反射しながら、戦略爆撃機の大軍が押し寄せてきていた。不敵にも低空で侵入して来たそれらは、銀色の機体を朝霞の空で翻しつつ、硫黄島まで戻って行くと見えた。宿舎からみた南の空は漆黒の闇であったが、そのはるか下の方で赤黒く周りを照らしながら蠢くものが見えた。妖しく上下左右に踊り回るその姿は、ときおり空に向かって立ち昇っては散っていた。その紅龍は破壊をし尽くしては別の場所に降り立って破壊を繰り返していた。いや、悪魔が鎌槍で犠牲者の命を刈り上げては上へ放り投げていたのだった。遠くから見つめる私達航空隊員にはまだ翼はなく、なすすべがなかった。


 次の日、志願した私たちは、徒歩で東京市内に到着した。私たちは、数班に分かれて死体片付け作業に取り掛かっていた。私の班には数人の友人たちがいた。両国や押上から深川木場方面の死体取り片付け作業を担当し、既に作業にかかって三日目だったろうか。私は無数の遺体にもう慣れてしまっていた。全ての遺体は、倒壊物の下敷きになったり、うつ伏せか、横かがみ、仰向きのままの格好であった。私は、もう、充満する異臭にも焼けただれめくれ上がった皮膚の無惨さにも、さして驚くことはなかった。しかし、この無差別爆撃をした米軍への憎しみは、遺体を片付けるたびに積み重なって行った。

「無力であってもこの身をもって一矢報いてやる。」

 そんな決意をした日だった。愚かしいほどに、この思いを胸に持ち続けていた。犠牲者に対しては、それしか報いてあげられることはなかった。


 その後も作業が続けられ、作業の終わりが見えて来た時、私達が最後に発見したのは母と子の姿だった。焼け残った向島区の玉ノ井辺りには今でも路地裏が残るが、その路地裏と同じように深川区にも路地裏があったようだ。


………………………


 深川区に住む辻堂祐子は、出征していった夫泰造からの手紙を、毎日待っていた。陸士五十七期出身の陸士通信兵だった泰造は、百式偵察機に乗り込む通信士として、第五飛行師団のあるカンボジアへいったことまではわかっていた。おそらくその辺りの町々を転戦しているとのことで、サイゴン辺りからそろそろ手紙を送ってくるはずだった。三月となって、六ヶ月となった息子の武史は、いつも大きく泣いて乳をほしがるようになっていた。この夜祐子はその武史をあやしながら床に着くはずだった。幸い眠っていた武史を横に置きながら、布団を敷き、明日の早起きに備えていた。

 ウームーと、空襲警報が響き始めていた。いつもの訓練通り明かりを消したが、窓から外をうかがうと既に遠くからゴーという聞きなれない低いエンジン音が近づきつつあった。祐子は防空頭巾をまとい、武史を負ぶって外に飛び出していった。既に周りは火の手が上がっており、そこらここらで大声が飛び交っていた。逃げ惑う人々の波の中に、彼等は消えていった。

 火の手が迫り、それに重ねて火のように泣き叫ぶ武史を抱えた祐子は、もう逃げる場所がなかった。追い詰められるように逃げ惑う祐子は、まだ火の手の回っていない家並みの奥まった路地裏に逃げ込むしかなかった。しかし、それもつかの間、周りの家々には火が回り始めた。座り込んだ祐子は覚悟した。

祐子が迫る熱風から武史を守るには、踏み固められた地面をか細い手で穴を掘るしかなかった。掘り進み、石をどかし、さらに掘り進んだ。既に手の爪は剥がれてしまった。周りの家々は既に火に包まれ、その火が背中を焦がしていた。他方、指の先は痛みの感覚もなかった。

「ごめんね、これしか掘れなかったの。」

それでも、泣き叫ぶ武史に乳を含ませた。

「よしよし、いい子ね。」

武史はまだ手で抱えながら乳を含んでいた。その子を冷たい穴の中へ隠し、その上に屈み込んだ。

「あとは自分の体で蓋をすれば、この子の骨は砕かれない……。」


………………………


 私達が発見した遺体は、顔は煤で覆われ、頭髪が焼けこげていた。背中側の着物が焼けて火傷の肌があらわだった。

「若い娘だな……。いやちがう。うっ、おい、下に赤ん坊がいるぞ。」

 男の赤ん坊の頭には、ささくれだった荊のような枝が絡みついていた。それに、乳児の腹部を突き刺す槍のような木材が、少しばかりの血を流していた。それでも、その着物はすこしも焼けていなかった。そして、少しでも母との絆を保とうとしてか、小さなかわいい両手が母の乳房の一つにしがみついていた。しばらく私たちは立ち尽くしていた。私は少し離れたところに水溜りを見つけ、その水に手拭いを浸し、血を流す乳児と煤けた母親の顔を拭ってやった。それでも、彼らは目覚めるはずはなかった。


 どこまでも焼け野原が広がっていた。既にほとんどの遺体は片付けられていた。最後に私たちが目にした母子は白く見えた。その白さは死に至るまで無抵抗な姿だった。その姿が、私に米軍への憎しみに加えて、戸惑い、いや苦悩に似た戸惑いをもたらした。

 彼らのために私たちが相手を憎むのか。私たちが復讐するのか。誰がこの原因を作ったのか。米軍か。敵は確かに米軍。しかし、誰が、誰が一方的に負けるとわかっている戦いを始めたのか。誰が支持したのか。軍人だけが悪いのか。いや違う、多くの指導的な国民ではなかったか。まだ年端もないあの若い母子は、そんな指導を受ける若い世代。その彼らがこの戦争を支持した私たちの身代わりとなって受難した姿だった……まるであのお御堂の聖母子像のように。


 苦しかったはずなのに、その母の穏やかな表情とそこに無邪気に抱えられた姿は、今でも私たちの目の前に焼き付いている。この苦悩は、のちに彼等が私を裏切り者と呼ぶきっかけとなった。偕行社の良き友人たちとは対立し、友人たちが崇めていた靖國や偕行社とは、行動や思考がことごとく考えが反対になってしまった。それでも、それらは単に友人たちの間の中での小さなつまらない対立に過ぎず、魂を縛り付ける苦悩はそのままに晴れるものでもなかった。


…………………………


 五年後、深川あたりは再開発も進み、碁盤の目のように道が付け変えられていた。その地に復員兵姿の男が駅に降り立った。泰造だった。駅前から四方に行く都電の線路は、見覚えがあるはずなのに、どの線を使えば良いのか。そうして深川不動にたどり着いたものの、そこから先は見覚えのない場所ばかりだった………。しばらくして、あの母子のことを聞いた彼が偕行社の名簿を頼りに、裏切り者の後輩、つまり私を訪ねて来た。そして、やはりあの母子は彼の家族だった。

「そうでしたか。」

 泰造はそう言ったきり黙していた。彼の手には、守護天使からわたされた哀歌と呼ばれた古い文が握られていた。それは、彼が知るに至った彼の家族の姿、そして私たちの今をよくも表していた。


道行く人よ、心して目を留めよ。

これほどの痛みがあったろうか。私たちを責めるこの痛み

それは主がついに怒って私たちを懲らしめるこの痛みほどのもの。

主は高い天から火を送る…

背いた私たちの罪は御手に束ねられて軛とされ、私たちを圧する……

それゆえ私は泣く。私の目よ、私の目よ、涙を流すが良い…

主は正しい。私たちが主の口に背いたのだ。

聞け、諸国の民よ。見よ、私たちの痛みを。

ご覧ください、主よ、この苦しみを。

私たちは背きに背いたのです。

幼子は母に求める、ちょうだい、ちょうだい、と。

しかし、この子は首都の路地で傷つき衰えて、母の懐に抱かれ息絶えてゆく。

指導者はこの国に託宣を与えたが、それは虚しい偽りの言葉ばかりであった。

今、私たちは主の怒りの杖に打たれてやっと苦しみを知った者。

ここに至って私は言う。私の生きる力は絶えた、ただ主を待ち望もうと。

それでも

主の慈しみは決して絶えない。

主の憐れみは決して尽きない。

それは朝ごとに新たになる。あなたの信実はそれほど深い。

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― 新着の感想 ―
[一言] とても切なく辛いです。 ウクライナや他の紛争地域では同じような思いをされている人がいるのでしょうね……。
2023/04/23 22:01 退会済み
管理
[良い点] 生々しく描かれる戦時中の悲惨な出来事の数々に胸の詰まる思いがしました。 戦略爆撃機の襲来や人々の遺体を片付ける作業に従事し、感覚が麻痺していく主人公とまるで自分がその場にいるかのように感じ…
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