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5th. 再びの旅へ

 試験も終了しキャンプ内には試験前とは違う、必要以上の力の入らない穏やかな空気があった。

 明日にはアカデミーに戻るということで、今日の疲れを癒すために早く休む者もいれば、キャンプなのだからとキャンプファイヤーをして、先輩後輩共に盛り上がっている者もいて藹々とした雰囲気があった。

「フロン、まだ凹んでんのか?」

 試験時は、あちこちに救援や情報の伝達として、なかなか顔を出す暇のなかったアルフォードビュローも、今日はアザゼル討伐班のキャンプで過ごしていた。

「メルティア君、ダ、ダメだよ」

 からかうようにフロンに接してくるアルに、アンナが気まずそうな表情をしていた。

「・・・・・・先輩」

「先輩、やっぱり気になって仕方ないんですね」

 少し離れたところで、棗とルークがフロンを見つめていた。

「お前たちも落ち込んでると、あいつは尚更気にするぞ」

 そんな二人の前に、橘がサポート隊の用意した夕食のバーべキューの串を数本片手に、二人の座るテーブルに腰を下ろした。

「橘先輩、まだ食べるんですか?」

 ルークが苦笑しながら、平然と食していく橘を見る。

「折角サポート隊が作ったんだ。残すのは勿体ないだろうが? お前らも食えって」

 そう言ってルークに一本差し出すが、ルークはもう食べられないですからと断った。橘はそれ以上勧めることなく、自分で食べ始めた。

「・・・・・・リースちゃん、大丈夫かな」

 フロンに元気が無いのは誰が見ても瞭然であった。そして、その理由も何なのかくらいは、棗たちには分かっていた。

「なんだ、二人とも聞いてないのか?」

 棗とルークが、橘の言葉に首を傾げていた。どうやら何も聞いていないらしかった。

「あのなリースは・・・・・・」

 キャンプファイヤーも終わり、のんびりと会話を楽しむアカデミー生たち。教員も試験が終わると、そのまま別の任務に赴くために既に旅立っていたり、生徒たちと交流を深めていた。本来のキャンプの光景がそこにはあった。

 その中で、フロンは一人、残り火を眺めていた。

「しばらく一人にしてくれ」

「ヤダって言ったらどうすんだ?」

 フロンの申し出を一瞬で棄却したアルはフロンと火を挟んだ正面に座った。

「わ、私も今は一人にならない方がいいと思うよ」

 アンナはそう言って、フロンと一人分ほど空けて隣に座った。

「あ、そうそう。お前に一個連絡があったの忘れてた」

 アルは、ホットコーヒーを飲みながら、フロンを見た。

「メルティア君、あの事まだ言ってなかったの?」

「忘れてた」

 アルとアンナが何か自分の知らないことを話していて、フロンは疎外感を覚えていた。

「あのな、フロン。リースちゃんのことなんだけど」

 アルのその一言で、フロンの表情が変わった。

「いや、そんな怖い顔すんなって。別に悪い知らせでも何でもねぇんだからよ」

 思わずアルはフロンの表情に、一瞬背筋に冷たい感触があった。残り火の僅かな赤みを帯びた、フロンの俯きながらも瞳はしっかりと光が宿り、獲物を狙う獣のようにも見えた。

「あのねハーバリー君、みんなが夕食を摂っている時、アカデミーから連絡があったの」

 アンナが明るい顔でフロンを見る。

「お前の気がかりはリースちゃんだろ? 俺が情報のエキスパートで良かったな。感謝しろよ」

 まだ何も言っていないというのに、アルは胸を晴らせていた。

「何だよ、言いたいことあるなら、さっさと言え」

「ったく、からかい甲斐のない奴だな。まぁいい。あのな学園長とチェルシー先生からの伝言だ」

 その言葉にフロンは、顔を上げた。その二人からの連絡とあれば、考えられることはただ一つ。

「あのね、リースちゃん一命を取り留めたんだって」

 アンナのその一言で、フロンは大きく目を見開いた。

「本当か!?」

 自分を見るフロンに、少々緊張していたアンナであったが、笑顔で頷いた。

「あぁ〜! 俺が言おうと思ってたのに」

 一番言いたい事をアンナに取られたアルは、頬を膨らませていたが、誰もそれを見ることはなかった。

「で、でもね・・・・・・」

 ホッとした顔を見せたフロンだったが、アンナの話はそれで終わりではなかった。

「リースちゃんの意識は戻ってないぞ」

 誰も構ってくれないことにいじけたのか、アルが仏頂面で言った。

「それと、今後意識が戻るかどうかは今の所は分からないそうだ。峠は越えたらしいが、これからのことはリースちゃん次第だそうだ」

 フロンはその言葉に、再び絶望したような表情に戻った。

「で、でも、容態は安定してるから、そう長くないうちに目を覚ます可能性が高いんだって」

 アンナがフロンの表情に慌ててフォローを入れる。

「そういうわけだから、そんな顔すんなって」

 フロンは内心はホッとした。しかし、やはり自分のせいでとどうしても思ってしまって、表情は優れなかった。

「とりあえず、明日はアカデミーに戻るんだ。お前がどんな思いで、どんな状態だろうが、まだお前はアカデミー生を引っ張る立場なんだから、今日はもう寝ろ。何なら俺が添い寝してやろうか?」

「えっ! メ、メルティア君っ!?」

 からかうアルに、動揺するアンナ。二人を見ていると、フロンは二人が自分を励ましてくれていることくらい容易に分かっていた。

「・・・・・・ありがとな、二人とも」

 フロンはそう言うと、立ち上がり、自分のテント小屋へと歩いていった。

「格好つけやがって」

「少しは元気出ると良いけど・・・・・・」

 アルとアンナはその背を静かに見送った。

「先輩、もうお休みになられるんですか?」

「ああ、お前たちも今日は疲れたろ。なるべく早く寝ろよ」

「・・・・・・先輩、お休みなさい」

「お休み」

 フロンは二人に軽く挨拶だけすると、足早にテントへと戻っていった。

「あいつ、目が死んでるじゃねぇかよ」

 橘はフロンの言葉遣いが穏やかであったが、その表情が、特に目に覇気がないことを見破っていた。

「橘先輩、よく分かりますね」

 ルークには、フロンの表情までは分からなかった。棗も同じようで首が少し傾いていた。

「こいつは狙撃手でもあるからな。相手の顔見て生きるか死ぬかの判断してるから、人一倍見る目があるんだよ」

 三人が腰を下ろすテーブルに、アルと棗もやってきた。すでにほとんどの生徒は各テントへ戻り、今日の疲れを睡眠で癒していた。

「・・・・・・そうなんですか」

「まぁな」

 橘は鼻にかけることなく、バーベキューの串に噛り付いていた。

「ルーク君、棗ちゃん、そろそろ二人も休んだら? まだ少し体調優れてないでしょ? 無理すると明日が辛いよ」

 アンナの優しい言葉に、二人は素直に従った。

「おやすみなさいです、先輩方」

「・・・・・・おやすみなさい」

 リークと棗は一礼すると、テントへと引いていった。

 夜光虫が星空が舞い降りてくるかのように辺りを淡い光を放ちながら揺らめき、夜虫の音色がオーケストラを奏で、肌を僅かに刺す夜の涼しさがキャンプを支配していた。

「しっかしお前、まだ食ってんのか?」

「悪ぃか?」

 すでに夕食の片付けも終わり、憩いのスペースでもある食卓テーブルにはアルたち三人だけとなった。

「あんまり食べ過ぎると、お腹壊すよ?」

 アンナも半ば呆れ気味に橘を見ていた。

 橘の手には数本の大きな串があり、テーブルにはまだ肉や野菜のついた串があった。アンナの言葉にも橘はさらりと流し、一定のペースで食していた。

「それよりも橘、アンナ。お前らガーディアンはどうした? 警戒にも当たらせてねぇだろ?」

 アルは全ての状況を目にしていたわけではないので、今更なのかもしれないが、二人に問いた。二人は顔を見合わせると、橘が頷き口を開いた。

「俺たちのガーディアンは全滅させられた。今は再精集態(リユニオン)中だ」

 通常では死なないガーディアンたちは、霧散した空間から再び精霊力を集め、顕現化するために、スピリストの魂を糧に結晶化していた。

「はぁっ?」

 その一言に、アルは顔のパーツが大きく開かれた。

「リュウホウもホーリシアンもセイロウもペガシオンもか?」

「う、うん。私たちのガーディアンはみんな・・・・・・」

「マジかよ・・・・・・」

 獅子族のガーディアンが四体も揃えば、Sランクであろうとそれほど敵ではないはずだが、それが全て滅せられたと聞かされ、アルは言葉を失っていた。

「俺の情報じゃ、アザゼルはSランクでも下級のはずだぞ? 獅子族なら四体もいりゃ対等になるだろ?」

 アルがポケットの中から、折りたたまれた紙を取り出した。そこにはアザゼルに関する情報が書かれていた。

「属性ダーク。階級族エンジェル。魔力六百七十。それから・・・・・・」

 アルの説明に耳を傾ける二人だが、その情報と実戦で感じたこととは桁が違うように感じた。

「お前の情報は間違っちゃいないだろうが、、現に俺たちのガーディアンはいねぇし、俺たちの魔力の消費も未だ全快じゃねぇ。ぶっちゃけちまえば、指揮官の作戦ミスもあるってこった」

 橘の言葉は何よりも証拠であった。アルはキャンプ外の警備にガーディアンを任せているが、他にガーディアンを出しているのは、教員だけ。アザゼル討伐班でガーディアンを召喚出来ているのは、サポート隊と教員だけであった。

「でも、明日には回復するだろうから、みんな戻ってくると思うよ」

 休息をとることで、魔力の回復が進んでいるアンナも橘も全快ではないが、今のユールでは戦闘できる程度までは回復していた。

「それはそうとして、問題はあいつだろ? お前ら、それが気になってるからまだ起きてんだろ?」

 橘が串をフロンのテントへ向ける。そこにはすでに明かりはなく、フロンは眠りについているようだ。嫌なことを忘れるために別世界に逃げて行ったようでもあった。

 橘の言葉に、二人は言葉にならない苦笑を浮かべた。

「リースちゃんのことは、俺も気にはなるけどよぉ。それでもリースちゃんの容態は安定してるんだ」

「うん。それよりもハーバリー君、あの頃みたいに一人で抱え込んで・・・・・・」

 過去の出来事を知っている三人には、そのことと今日のことがリンクしている、フロンの心情は理解出来ないわけではないが、スピリストとしての立場が揺らいでいることが気になっていた。

「あいつは馬鹿だからな。悩みを吐くってことをしねぇからな」

「だな。フロンは打たれ弱い」

 アルと橘にくそみそに言われるフロン。

「そ、そんなことないよっ。ハーバリー君、頑張ってるよ」

 アンナがフォローするが、本人はそれのフォローの仕方が、かえって二人の言い分を認めている発言だとは気がついていなかった。

「あいつは人が良いからな。情に流されやすいのが欠点だ」

 寛いだ空気が漂う三人の周囲は静かだった。

「それは言えてる。ユールだと特にだろ、あいつ」

「自分のことをあまり話さねぇから、俺たちの知らねぇことも多々あんだろ」

「う、うん・・・・・・」

「今のままだとあいつは、スピリストの資格持てないんじゃないか?」

 情を持つことは重要ではあるが、戦闘の度に私情を挟むようであればスピリストとしての役割を果たせるとは思われない。時には非情とも取られようが、それで救われるものがあるのであれば、スピリストはそれを実行しなければならない。

「今回は場所のせいでもあるんだろ。あいつ、ここ以外ならマシな働きするしな」

 アルの疑問に橘が答え、アンナが首をカクカクさせながら頷いていた。

「ハーバリー君、普段は凄くリーダーシップ発揮してるし、今回だってみんなを苦戦は強いられたかもしれないけど、まだ経験の浅い一年生をこうして無事に帰還させられたことには変わりないよ」

 アンナの言葉に、一同はとりあえず頷いていた。アンナの言葉は間違いではないが、リースのことは拭えない事実でもあった。それが試験にどう影響するかは教員たちの判断次第だった。

    

 翌朝、朝から各キャンプ地は落ち着いた賑わいを見せていた。

「全員、そのままで良いから聞いてくれ」

 身だしなみを整えたフロンが、朝食を摂っているアカデミー生やその準備をしている生徒に向かって声をかけた。

「慌しい日程で申し訳ないが、この後しばしの休息をはさんだ後、サポート隊を中心にキャンプの撤収作業に入り、終了次第ユールを離れアカデミーに戻る」

 昨日までの死んだような目をしたフロンではなかった。

「戦闘疲れも抜けきらない状態だとは思うが、帰りもモンスターとのバトルがないとは限らない。各自撤収前までに準備をしっかりしておくこと」

 フロンの忠告、指揮に全員が気合の入った返事をしていた。

「何かあいつ、変じゃね?」

「う、うん。空元気って感じがするかも」

「うぁぅ〜・・・・・・」

 朝食を食べながら、アルとアンナはフロンが無理していることに、仕方ないといった表情を見せていた。そしてその横で、一人唸っている橘がいた。

「先輩方、おはようございます。ここ、座っても良いですか?」

「・・・・・・おはよう、ございます」

「うん、二人ともどうぞ」

 朝から比較的元気なルークに、まだ眠そうな棗。印象からすればルークが朝は弱く、棗は朝から修行とかのために朝は強そうに見えた。

「なんか、お前ら逆だな」

 アルが思ったことを口にした。棗は用意された朝食を口にしながらも、時折頭が舟を漕ぎ、アンナが微笑みながら、その世話をしていた。

「うちは姉が三人いますから、朝はいつも叩き起こされて、それが嫌でいつの間にか早起きするようになったんです」

 自虐的な笑いを浮かべるルーク。

「お前も苦労してるんだな」

 ルークにしてみればいつものことなのだろう。特に気にすることなく朝食をとる手を休めない。

「うぅ〜・・・・・・」

「棗ちゃんは、朝弱いの?」

 コックリコックリと、ゆっくりと起きてるのか寝ているのかわからない様子で、朝食を半ばアンナに食べさせてもらってる棗。

「・・・・・・あしゃは、ダメでしゅ・・・・・・」

 言葉遣いが幼児退行していた。一目を気にしやすい棗がこうも堂々と寝惚けているということは、それだけ弱いことなのだろう。

「ちょっと、可愛いかも」

 アルは棗の普段の様子とのギャップに笑っていた。

「うぅ〜・・・・・・あうっ」

「誰かこいつを構ってやれよ」

 見るに耐えない橘を他所に、朝食を楽しむ四人。それに痺れを切らせたように、フロンが朝食の乗ったお盆を手に腰を下ろした。

「いや、だってなぁ」

「う、うん。昨日注意したのに、橘君ずっと食べてたんだよ」

「は、腹がぁ〜・・・・・・」

「ほら、薬だ。全く自分のビュロー生の前でなんて格好を見せてるんだか」

 胃もたれでも引き起こしたようで、朝食どころではない橘はフロンが持ってきた薬を何とか飲むと、その場にうつ伏せになった。

「棗、そろそろ目、覚ませよ」

「―――――ひゃっ」

 相変わらずアンナの世話になりながら朝食を摂っていた棗がフロンを見て、可愛らしい声を上げて目を覚ました。

「あっ、あぁっ・・・・・・」

 ようやく状況を把握したようで、顔を真赤にさせて自分のテントのほうへと駆けていった。その様子を橘以外は呆然と見つめていた。

「棗ちゃん、可愛いとこあるね」

 アンナがおかしそうに笑っていた。

「お前たちもさっさと朝食を済ませろよ」

 フロンはいつの間にか誰よりも早く食べ終えていた。

「もう準備を始めてるんだ。お前たちも手伝えよ」

 フロンはそれだけ言い残すと、そそくさと片づけを済ませ、サポート隊を中心に撤収作業を行っている中へ加わっていた。

 その様子に昨夜と同じような視線をアルとアンナは向けていた。

「一刻も早く帰りたいんだろ。余計なことは考えないってわけか」

「みたいだね」

「先輩、昨日からずっとあの調子なんですね」

「・・・・・・俺、ちょっとトイレ」

 フロンはもやは試験のことよりも、キャンプのことよりも、早急にアカデミーに戻りたいという雰囲気を醸し出していた。そんな中、一人空気読まず橘はげっそりとした表情でその場を後にした。

「ビュロー生に示しがつかねぇ連中ばかりだな」

 アルはパンを口に含み、コーヒーで流し込むと席を立った。

「そんじゃ俺は他の班にこの後の事を説明しに行かないといけねぇから、これで失礼するわ。アンナ、アカデミーに帰るまであいつのこと頼んだぞ」

 フロンはテキパキと撤収作業をこなし、それに合わせて周囲も次第に作業スピードが上がっていた。

「それじゃあ、私も自分のビュローがあるから戻るけど、ルーク君」

「はい?」

「棗ちゃんが戻ってきたら、朝食を済ませて私のところへ二人で来て。ハーバリー君、今はあなたたちのこと見えてないみたいだから、アカデミーに帰るまでは、私があなたたちを監督するから」

「分かりました。ありがとうございます」

 リースのことが気になって、ルークたちのことが見えていないフロンを考慮して、アンナがアカデミーへ戻るまでは二人の世話をすることになった。

    

「撤収作業も完了したということで、これよりアザゼル討伐班、アカデミーへ帰還する」

 数班が帰路へ就いたと連絡があり、フロンたちも行きと同じように隊列を組みながらアカデミーへ帰還を始めた。まだガーディアンを召喚出来ないフロンたちのため、教員が周囲に自分のガーディアンを展開させ、早急にアカデミーへ戻ることの出来るように配慮してくれたため、帰りは戦闘を経験することなくスムーズに戻ることが出来た。

 アカデミーには既にほとんどの班が戻ってきていた。

「アザゼル討伐班、ただいま戻りました」

 フロンがアカデミーで状況報告をしている間、他のメンバーは道具の片づけに精を出していた。

「ご苦労。試験結果は、明後日にはビュロー室モニターに掲示されるから、必ずチェックするように。今日は帰ってゆっくり休むように」

 報告を済ませ、全員でキャンプ道具等を片付け終わるとようやく実地試験終了となった。その場で解散するビュローや、一度ビュロー室へ行くビュロー生たちなどで、緊張の糸がやっと解けたアカデミー生の表情があった。

「ハーバリー君」

 どこかを探しているような仕草のフロンにアンナが寄ってきた。

「あのね、棗ちゃんとルーク君、先に家に返したよ。二人とも疲れが見えたから」

 アンナの言葉で、フロンは気がかりが解消出来たように安堵の息を漏らした。

「すまない」

「い、いいよ別に。私は楽しかったから気にしないで」

 フロンが自分に申し訳無さそうにすることに、アンナは慌てて両手を振っていた。

「ハーバリー」

 二人の背後から声がかけられた。

 振り返ると、そこにいたのは、

「チェルシー先生・・・・・・」

 白衣に身を包み、穏やかな表情で佇んでいた。フロンは自分を呼んだ理由が瞬時に理解できた。

「それじゃ、私はビュロー生のこともあるから、失礼するね。またね」

「ああ。二人のことはありがとう」

 アンナは後ろめたそうではあったが、今はビュローの関係上、フロンだけに任せたほうが良いと判断しその場を後にした。

「リースの容態はどうなんですか?」

 出来るだけ落ち着いていたつもりだが、気持ちが空回りしているようで、チェルシーに笑われた。

「大丈夫よ。ついてらっしゃい」

 チェルシーに連れられてフロンがやってきたのは保健室だった。その中でも、奥のいくつかある個室だった。

 チェルシーがとある個室の扉を開けた。夕刻の淡い日差しが差し込み、窓が開いているため、優しい風にレースのカーテンが揺れていた。

「リース・・・・・・」

 そこにリースはいた。静かに眠り続け、時折吹く風にリースの前髪が揺れていた。

「リースリットのご両親には連絡して、しばらくの間はここで療養させることになっているから、心配はいらないわよ」

 チェルシーの言葉が、せめてもの救いのようにフロンには感じられた。リースのベッドの端に置かれている荷物を見る限り、両親も面会はしたようだ。

「あなたもまだ回復しているわけじゃないんだから、今日は早めに帰って休みなさいよ」

 そう言い残すと、チェルシーは残っていた仕事を済ませるために、部屋を後にした。リースは静かに横になっているだけで、フロンの気配しか感じられなかった。

「リース、ごめんな」

 頬に伸ばした掌から伝わるリースの体温はフロンには冷たく感じられた。

「俺、最低だよな。いざとなったら何も出来ない。結局また学園長に助けられたよ」

 フロンは心地良さそうに目を閉じているリースの手をとって自分の頬に当てた。仄かに優しいリースの香りがフロンを包んでくれたようだった。それでも温もりだけは感じられなかった。

「リースたちに偉そうなこと言いながら、結局俺は自分の力じゃなくて全てに頼りきってた。そのせいで、お前にまでこんなっ・・・・・・」

 両手で握ったリースの手を自分の額に押し当てる。あんなに楽しそうにしていたリースを、自分の判断の甘さから、全ての感情を奪ってしまった。そして何より、リースは自分のことを思いその身を挺してユール村を守ってくれた。それがフロンには心に酷く自責の念を抱かせた。

「お前には話してなかったのに、何であんなことをっ・・・・・・」

 フロンは鼻を啜った。何でも知りたがるリースには自分の本当のことは話していなかった。リースに聞かせれば、きっとフロンに色々と気遣ってくれる。しかし、フロンはそういうことが嫌いだった。ありのままのリースが自分に接してくれることが、フロンとっては嬉しかった。

周囲からは様々に期待され、親友と呼べるような仲なのはアルたちくらいで、あまり素でいられることが少ない。そんな中でフロンを楽しませ、困らせてくれて、周囲の期待を忘れさせてくれる存在がリースだった。

「なぁ、リース。起きてくれよ。もうアカデミーは終わりだぞ。早く帰ろう?」

 フロンはリースの顔を覗き込むように語り掛ける。

 それでもリースの手は冷たく、力が入っていない。

「なぁ、お前目覚めは良いだろ? 起きろよな・・・・・・」

 頬を撫でる風が酷く優しかった。夕陽がリースの寝顔を映えさせ、何年も静かにそこにあるかのような可憐な西洋人形に見えた。

「頼むからっ・・・・・・、起きてくれよっ・・・・・・、声を、聞かせてくれよっ・・・・・・」

 自分を責め続けていたフロンを、過去のトラウマに飲み込まれ、出口のない暗闇に囚われていたフロンを救うために、いつも笑顔で、いつも誰よりもフロンの傍でいつも励まし認めてくれた彼女の存在の大きさに、フロンは今更気づかされた。

 彼女の笑顔が見たい。彼女の自分の呼ぶ声が聞きたい。

「―――――リースっ・・・・・・」

 それがないだけで、こうも不安になるとは思いもしなかった。

 このままリースが目覚めなければと思うだけで、また気がおかしくなりそうになる。体を揺すってでも、頬を叩いてでも起こしてやりたい衝動に駆られるのを必死に抑える。後悔しないように、半ばやけになっていた自分に後悔する。後先を考えていたが、それは自分のことだけであった。

守りたいものを守るために闘う。帰る場所に帰るために闘う。それがスピリスト。フロンにとって、それが一体どういうことなのか、きちんと理解できていなかった。故郷を守るために自分を見失った。自分にとって大切だと思えた人を、想った瞬間に失いそうになり、また自分を見失った。弱い心を晒したくなかったせいで、成長することが出来なかった。

「フロン」

 ドアを開けてアルが入ってきた。フロンはリースの手を握ったまま、声にならない声で静かに鳴いていた。

「帰るぞ。もうアカデミーの正門が閉じられる時間だ」

 教員以外は、正門が閉門されるまでにアカデミーを出なければならない。門外不出の情報が数多くあるスピリスト養成機関。ただでさえそれを狙う輩の多い今のご時勢、生徒とはいえ気軽に立ち寄ることの許可されない場所も数多くあるため、夜間はガーディアンたちの警備がいっそう厳しくなるため、寮生以外は閉門までに下校することが義務だった。

「リースちゃんのことはチェルシー先生がついてる。いくらお前でも厳守事項は守れ」

 アルの言葉は聞こえているのかいないのか、フロンはリースの名を呼び続けていた。

「・・・・・・ほっといてくれ」

 フロンにしてみれば、リースの傍にいることが、せめてもの償いだと思っているのだろう。しかし、アルの表情は険しくなるばかりであった。

「フロン、いい加減にしろっ」

 アルがフロンの肩を掴んだ。

「お前な、キャンプの時から大人しく見てりゃいい気になりやがって。ムカつくんだよっ」

 愁いを帯びた瞳を浮かべるフロンに、アルは拳を握り締めていた。

「大体てめぇは何様だ? リースちゃんの何だ? 親か? 兄弟か? 恋人か?」

 アルの言葉にフロンは、ただ黙ってアルを見ていた。

「自分のせいでこうなっただぁ? 笑わせるな。お前が何をした?」

 アル自信もフロンに強く当たることは少々気にしているようであった。片手でフロンの襟を掴んでいるが、もう片方の手は拳を握り締めたまま、振りかざされることはなかった。

「やったのはお前じゃねぇ、この被害妄想野郎が。誰も間違った判断はしていない」

「・・・・・・違う」

 フロンは否定した。自分がもっと状況を把握していれば、ユールを、リースを傷つけることなくここへ帰ってきていた。だが結果として、自らの手で最悪の状況を作り出してしまった。

 それがフロン自身の中で、フロンを締め付けている過ちだった。

「違わねぇよ。村を救うためにリースちゃんは闘った。そして守ったんだ。お前の大切なものとお前をなっ。失ったんじゃねぇっ。ユール村もリースちゃんも生きてる。間違ってるのは、お前だ」

 アルは言うだけ言うと、大きくため息をついた。

「あのな、フロン。お前の指示は間違ってはいないんだよ。現にこうして試験は終了した。間違っているのは、お前の認識だけだ。俺たちはアザゼル討伐を引き受けて試験を兼ねた。誰もがお前の指示に従って各自の仕事をこなした。それは正しい判断の賜物だ。スピリストを目指すお前なら分かるだろ?」

 今更フロンには何を言っても聞こえちゃいないだろう。アルは承知の上で話していた。 

「お前はいつだってそうだ。すぐに何でも自分のせいにする。別に責めるつもりはねぇ。そんなのは勝手に悩んでろって感じだ」

 怒りをぶつけるのではなく、再認識させるようなアルの口調。

「でもな、お前がそんな風に悩むから、リースちゃんはお前がこれ以上傷つかないように、あんな手段をとったんだぞ。お前は今、リースちゃんのその気持ちを無下にしてるんだ。それすらも分からないようじゃ、お前は本当にヘタレだぞ」

 アルの言葉に、学園長から聞いたリースの言葉がフロンを駆け巡った。


『私がフロンを守るんだからっ』


「もし、お前が本当にリースちゃんのことを思っているなら、ここでリースちゃんを待っていても別に構わないが、お前は他にすることがある。断言してやる」

 アルがフロンを正面から捉えた。

「お前は今回の試験、不合格だ。間違いなくな」

「なっ・・・・・・」

 アルの表情は真剣そのものだった。

「理由は言うまでもないだろ。お前が一番分かっているはずだ」

 アルはそういうと、リースの頭を数回撫で、「早く起きないと、皆に置いていかれちゃうぞ」と笑みを浮かべて部屋を後にした。

「今日はお前も帰れ。ここにいてもお前じゃ何もならん。家に帰って頭を冷やすことだな。お前を必要としている人の為にもな」

 一人残されたフロン。今までロイド以外にここまで言われたことはなかった。アルの言葉が、フロンを深く傷つけた。しかしそれと同時に、嬉しかった。そんな表情が浮かんだ。

「馬鹿野郎、アルのくせに・・・・・・っ」

 様々な感情を込めたため息を漏らそうとして、上手くいかず笑ってしまった。

「本当に情けないな、俺」

 握っていたリースの手を布団の中で戻し、フロンは腰を上げた。

「リース、本当にごめんな。俺、まだまだ誰かにものを言える立場じゃないって思わされたよ。お前がしてくれたこと、凄く嬉しかった。ありがとう」

 フロンは静かにリースの部屋のドアを閉め、チェルシーにリースを任せると、一人夜の闇が支配し始めた中を、歩いていった。

    

 翌朝、アカデミーにはいつもの光景が広がっていた。どんなことがあろうとも、世界にとっては、それはほんの小さな出来事。アカデミーもいつものように、ガーディアンたちが出欠を取り、生徒はスピリストを目指し勉学に勤しむ。それでも一年には多少の疲れの色も見えるのは確かだった。

「おはよう」

 そんな言葉があちこちで聞こえる中を、フロンは物足りなさを感じながら歩いていた。

 授業中もフロンは、あまり身が入っていないようで、窓の外の景色を呆然と眺めていることが多かった。

 何もせずとも時は流れ続ける。

気がつけばいつの間にか放課後になっていた。今日何をしていたかなんてまるで覚えていない。

「行くか」

 フロンは教室を出ると、ビュロー室へと向かった。

「あ、先輩、おはようございます」

「・・・・・・おはようございます」

「おはよう」

 いつもなら、駆け寄ってくるハーバリービュローのムードメーカー的なリースが今日はいない。それだけで胸に穴が開いたように感じられた。フロンの空元気はルークたちにも伝わってしまったようで、いつものように身近に感じられないようであった。

 その時突然、ビュロー室のモニターがついた。

『実地試験 合格発表』

 その文字にフロンは、昨夜のアルの言葉が過ぎった。

 次々と合格者の名前がモニターに映し出されていく。やがてその中に棗とルークの名前も表示された。

そして、リースの名前もあった。

「おめでとう二人とも。これで前期は通ったも同然だ」

 棗とルークは初めてのことでドキドキしていたようで、自分の名前があったことに嬉しそうに笑っていた。もし、ここにリースがいたらどんな反応を見せてくれていただろうか。そんなことを考えてしまう。きっと飛び跳ねて大喜びしていただろう。フロンの頭にはその光景が、浮かんでは消えた。

『実地試験 合格発表 以上』

 やがて、モニターにそう示された。

「あっ・・・・・・」

「・・・・・・え?」

 ルークと棗が信じられないといった具合で、モニターから視線を外した。

 フロンは静かにモニターを見ていた。アザゼル討伐を果たせば、全員合格。そう言われていた。その言葉通り、フロン以外のアカデミー生の名前がモニターに掲示された。

「な、何で先輩が・・・・・・?」

 自分たちは合格したのに、フロンがそこに名前が挙がらないことに、ルークたちは大きく目を見開いていた。

『次の生徒は 至急 学園長室へ』

 モニターには続きが映し出された。

『3‐A所属 ハーバリー・フロンティス』

 呼び出しだった。ルークたちは信じられないといった具合だったが、フロンはいたって普通だった。

「悪い、呼び出しだ。今日は活動休止。もう帰って良いぞ」

 フロンは二人にそう言い残し、学園長室へ向かった。残された二人は顔を見合わせていた。

「失礼します。3‐A所属 ハーバリー・フロンティスです」

 アカデミー内で最上部に位置する学園長室。他の場所と部屋の前であるにも関わらず、空気が違っていた。

「入りなさい」

 その声は学園長だった。

「失礼します」

 フロンが重たい扉を開けると、そこには学園長ともう一人、男の姿があった。

「では、私はこれで。くれぐれもこの件は・・・・・・」

「ええ、お任せください」

 フロンが部屋に入ると同時に、その男が一礼してフロンの隣を通り過ぎて部屋を後にした。

「学園長、用件は察しています」

「では改めて言う必要はありませんね」

 ロイドの言葉にフロンは頷いた。

「今回の件においては、酌量の余地無しと見なし、ハーバリー、君には残念だが単位を与えられない」

 予想はしていたが、ロイドに言われると悔しさと共に自分の惨めさが感じられた。

「はい。承知しています」

「と、思っていましたが、今回アザゼル討伐を成し遂げた折には、全員合格と私自身が公言しましたので、それを覆すわけにはいかないでしょう」

「・・・・・・は?」

 フロンは阿呆みたいな顔をしてロイドを見た。

「ですが、速やかに合格というわけではありません。君には追試という形で、これを天動の歯車として知られる、クルドブルム王国の首都セッツェントのモデリアートアカデミーへ届けてもらいます」

「は、はぁ・・・・・・」

 ロイドが手渡したのは、一通の手紙だった。

「これはアカデミーに限らず、スピリストたちにとっても重要な内容が記されています。しかしこれを狙う者たちがいます。本来ならば職員に任せるところなのですが、現在アカデミーには最低限しか教員が残っておらず、これ以上は授業へ支障をきたすため、ここは君にこれを託します」

 ロイドは真剣だった。アカデミーの学園長として、フロンに追試という名目で救済処置のような処遇を申し渡した。フロンとしては、それは複雑でもあった。

「勿論、君一人というわけにはいきません。クルドブルムまでの道中は厳しいものです。ですから君には、メイリン・フォード、アルフォード・メルティア、橘総一郎、アンナ・アーシュライトの四名の同行を命じます」

「は、はい。分かりました。ですが、その間のビュロー活動は・・・・・・?」

 五人で行くことに関しては問題はないが、その間にルークたちをどうなるのか疑問が残った。

「心配は要りません。君たちが戻るまでの間、私が君たちのビュロー生の面倒を見ましょう」

「そう、ですか。分かりました」

 フロンはロイドがビュロー生を見てくれるなら問題はないと判断し、一礼して部屋を後にしようとした。

「フロン」

「はい?」 

 ドアノブに手をかけた時、ロイドがフロンを呼んだ。

「お前たちの魔力ならもうガーディアンを召喚出来る頃合だろう。これからは自分がガーディアンを支えるんだ。それと、出発前にリースリットの所へ顔を出してきなさい」

「はい、分かりました」

 ロイドは腰を下ろす学園長の椅子に似合わない笑みを浮かべ、フロンを送り出した。もう一度深々とフロンは頭を下げ、学園長室を後にした。

「・・・・・・お前ら、何でここに?」

「俺たちは用意出来てるぞ」

 昨日とは違い、いつもと同じ表情のアル。

「さっきビュローモニターで連絡があったの」

 微笑を浮かべてフロンを見るアンナ。

「面倒くせぇが、授業さぼれるだけマシだな。賞金稼ぎもやっていいみたいだしな」 

 数枚の懸賞金の紙をピラピラとかざす橘。

「私がいなくても、何とか試験を終えることが出来たみたいですわね」

 約一日ぶりに顔を合わせたメイ。四人がフロンを迎えに来ていた。

「気が早いな、全く・・・・・・」

 フロンの顔には自然と笑みが浮かんでいた。いやそれはフロンだけではなかった。四人も自信に満ちた笑顔をしていた。その笑顔を見て、フロンは思った。

「俺は弱いが、一人じゃないんだな」

少し胸が熱くなるのを感じていた。

「準備が整い次第、出発するぞ」

 フロンの言葉に四人が力強く頷いた。

正門に集合するということで、一旦フロンはこの場を解散させた。

「失礼します」

 フロンは弓者装束に身を包み、波動弓を肩に掛けると集合場所ではなく、学園長に言われた通り、保健室へと足を踏み入れていた。

「あら、ハーバリー来たのね」

 待っていたかのようにチェルシーが迎えた。

「リースリット、目が覚めてるわよ」

「本当ですかっ!」

 チェルシーの言葉を聞き、フロンはリースの個室へと駆けた。

「リースっ」

 勢いよくドアを開けたフロンの目に入ってきたのは、昨夜と同じリースだった。

 フロンの背にチェルシーが呆れたように声をかけた。

「目が覚めたとは言ったけど、まだ容態は完全じゃないの。正確には意識が一度戻っただけよ。今は眠ってるわ」

 一気に全身の力が抜けた。しかし安堵感がフロンを包み込んだ。昨夜は青白く人形のようであったリースが、今は仄かに頬が赤く、胸が静かに上下していた。

「う・・・・・・うん・・・・・・」

 フロンが騒がしくしたせいで目が覚めたのか、リースの瞳が少し開かれた。

「リースっ」

 そばへ駆け寄り、リースの顔を正面に捉える。

「・・・・・・フロ、ン・・・・・・?」

 寝惚け眼なのか、まだ意識が朦朧としているのか、リースは眩しそうに目を細めていた。

「ああ、俺だ。フロンだよ」

 宙を彷徨うリースの手を、包み込むように握ると、リースの目がフロンを捉えた。

「えへヘ・・・・・・」

 俺を見て、急に安心したような、嬉しそうな笑みを見せる。同じように笑顔で返した。別にそれに応えたわけじゃない。ただ俺は見せて欲しかったリースの微笑み、自分を呼ぶその言葉が聞きたかったんだ。それを聞くことが出来て、胸が一杯になった。

「気分はどうだ?」

 出来るだけ優しくリースを気遣う。

「うん、大丈夫だよ。心配、かけちゃった・・・・・・」

 笑おうとするが、まだ少々現実と夢見心地の間で意識が混沌としているようで、かえって辛そうに見えた。

「無理するな。今はゆっくり休んで良いから」

 フロンに言われて、小さくウンというと力なく瞳を閉じた。

「ねぇ、フロン・・・・・・」

「ん? どうした?」

 フロンは自分の手に伝わるリースの温もりが、こうも自分を安心させてくるなんて思いもしなかった。

「試験・・・・・・」

 リースの言葉はそこで途切れた。喋るのもまだ上手く口が動かないようだった。

「ああ、大丈夫だ。ちゃんとみんな合格したぞ。勿論リース、お前もな」

 フロンは自分のことは言わなかった。今はリースの負担になるようなことはしたくなかった。リースはそれを聞いて先ほどのように笑顔を浮かべていた。

 不意にリースがフロンを見つめ、不思議そうな顔をしていた。

「フロン・・・・・・何で、その格好・・・・・・して、るの?」

 三年はアカデミーでは決まった制服がないため、装束に身を包んでいること自体は問題ないが、この時フロンが身につけていた装束は、アカデミーでの任務等に就く時に身につける特別正装装束で、それぞれの家系とアカデミーの紋章が入っており、一目でそれが分かるようになっていた。

「これからしばらくの間、新しい任務が入ってな。これから行かないといけなんだ」

 フロンは優しい顔で言ったが、リースの表情が変わった。

「えっ・・・・・・やだ」

 か細い声だったが、はっきりとフロンの耳には聞こえた。

「嫌だって言われても、学園長からの命令なんだ。断るわけにはいかない」

 学園長からの申しつけとあっては、誰も断ることは許されない。独裁的にも思われるが、ロイド自身があまり命令することがないため、フロンにこれを追試として命じたということは、それだけ事が重要な証でもあった。

「そばに、いて・・・・・・」

 先ほどまでの笑顔が消えたリース。その悲しげな表情に、心が揺さぶられるフロン。しかし挫けるわけにはいかない。

「すぐに帰るから。な? お前が眠ってる間に行って帰ってくる。それなら良いだろ?」

「・・・・・・ぉんとぅ?」

 少し疑いの眼差しを向けるリースに、フロンは苦笑しながらもその目をまっすぐに見つめ返した。

「・・・・・・うん・・・・・・我慢する」

 リースがフロンの真剣な眼差しに折れた。

「それじゃ、そろそろ時間だから行くよ」

 フロンが立ち上がろうとしたが、リースがその手を離さなかった。

「リース・・・・・・?」

 リースはただフロンを見つめていた。何かを訴えたくとも、口にしてはいけないことをフロンに気づいてもらいたいように。

「フロン・・・・・・」

 ただリースは名を呼ぶだけであった。そのリースの表情にフロンは、一つ思い出したことがあった。

「リース、試験の時は本当にごめんな。でも、ありがとう」

 そう言って、フロンはリースの頭を撫でた。

 フロンが思ったことと、リースが気づいて欲しいことは、同じだったのかは分からない。だが二人の間にはきっと思いが通じるものがあったのかもしれない。

「えへヘっ」 

 リースが笑ってくれた。それだけでホッとした。

「全部、お前のおかげだ。今度は俺がお前を守れるようになるから」

「早く帰ってきて、また、一杯色んなこと・・・・・・教えてね」

「ああ、分かった。それまではちゃんと静養しておくんだぞ」

 フロンがそっとリースの瞼に手をかけると、静かにリースは瞳を閉じた。

フロンはそのまま静かに部屋を後にしてドアを閉めた。

「あらあら、こんなところで。妬けるわねぇ」

 ドアを閉めたところで、机で仕事をしていたチェルシーが悪戯な笑みを浮かべていた。

 一瞬で顔が赤くなっていたかもしれない。ここが保健室だということをフロンは忘れていた。

「若いって良いわねぇ」

 気恥ずかしさからこの場を早く去りたかった。

「そろそろ時間なんで失礼します」

 逃げ出すようにフロンは保健室のドアへと向かう。その様子にチェルシーは面白そうに笑っていた。

「おっせーぞ」

 橘が銃を肩に掛けていた。

「早く行こうぜ。クルドブルムまでは遠いんだしよ」

 橘と同様の銃者でありながら、落ち着いた装束のアル。その手にはトランクケースを手にして、アルの武器はそこに収納されていた。

「リースとはお会いしたようですわね」

 メイはいつもとなんら変わりなかった。ただどこかフロンに遠慮している雰囲気があった。

「それじゃ、早いうちに行くか」

 全員が揃って、正門を後にした。

「フロン、あなたに謝罪しないといけないことがありますの」

 三人とメイとフロンは少し距離があった。

「ん? どうした?」

「試験前のことなのですが、あなたのことをアンナにお話してしまいましたの」

 メイは嘘をつけない性格のようで、隠していれば問題ないことでも話さずにはいられなかった。

「そうか、別に良いぞ。俺は気にしてない」

 アンナになら聞かれたところで周囲に広まることはないと分かっていたフロンにしてみれば、それくらいならなんてことはなかった。

「それだけではないのですわ」

 しかしメイの言葉は続いた。

「それを誰かに聞かれたみたいですの。ヨミに探させたのですが・・・・・・」

 メイはそこで首を横に振った。フロンはメイの言葉に、何かが引っかかった。

「そうか。別に気にするな。外で噂にもなってないみたいだし、何の問題もないだろ」

「そうですか。そう言って頂けるとありがたいですわ」

 メイはホッとしたような表情を見せると、アンナの隣へ歩いていった。

『フロンは私が守るんだからっ』

 フロンは、どうしてリースが試験の時に、自分を体を犠牲にしてまで守ろうとしたのかが、ようやく最後のピースが当てはまった気がした。今まで一度も過去の自分のことを話したことはなかったはずだが、リースが自分の弱さを庇い守ろうとしてくれた。

「おいフロン、どうした?」

「何笑ってんだ? 何か面白いことでもあったか?」

 だからほんの少し前、自分がありがとうと言った時に、リースが嬉しそうに笑ってくれたのだろう。そう思うと、思わず頬が緩んだ。

「いや、何でもない」

「ハーバリー君、どうかしたのかな?」

「さぁ? 私には分かりかねますわ」

 フロンの様子に、首を傾げるメイ以外の三人。メイは一瞬フロンを振り返り、フロンを見て、あの時自分の話を誰に聞かれたのかを、フロンの表情を見て理解した。

「フロン、行きますわよ」

 これから先、どんな物語があるのかなんて誰にも分からない。まだ自分の弱さを知っただけのフロンは、また暴走をするかもしれない。それでも守られてばかりではいけないということを、身を持って理解することができた。

「早急に用件済ませて帰るぞ」

 フロンは全員を抜いて先頭に立つと、足早にカルーディアを抜けた。フロンのその様子に、四人は苦笑しながらも、リーダーには悪くないと思い、その後をついていった。

 そして、何よりフロンはリースと約束をした。だからこんなことで挫けてなんかいられない。自分を守ってくれた人を、今度は自分が守るために、まだまだ修行を続け、学園長までとはいかずとも、故郷に帰ることができるくらいのスピリストになると、心に誓い、歩き始めた。

「フロン、ペース速ぇよ」

「気持ちが先走りすると、こけるぞ」

 もうフロンは一人ではない。自分を抑えてくれる仲間がいる。一人で出来ないなら二人、三人と仲間を作れば良い。そして、仲間を信じていれば、誰かを守ることが出来る。

「フロン、お前はまだまだ強くなれる。こんなところで立ち止るなよ」

 フロンたちが正門を抜けていくのを、校舎の屋上の学園長室からロイドが静かに眺めていた。

『フィルージア学園長』

 ロイドがフロンたちを見送っていると、出張中の教員が学園長室内のモニターに映し出された。

『エスメラルダのメンバー数人がクルドブルムへ入った模様です』

「先ほど、ハーバリー・フロンティスを中心に五人が向かいました。引き続き警戒を怠ることのないように」

『承知いたしました』

 そこで通信は切れた。通信が切れると、ロイドは深いため息を漏らした。

「フロン、無事に帰ってこいよ。必ず」

 ロイドは神妙な面持ちで学園長室の大きな窓から見える、夢のようにどこまでも広がる青空を眺めていた。

「エスメラルダ、奴らの狙いはやはりスザク。そういうことなのか?」

 意味深な言葉を残し、ロイドはフロンに誓った通り、五人のビュロー生の面倒を見るために、ローブを羽織ると学園長室を跡にした。

                                         

                                    了


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