復讐の理解
「失礼しました」
織部は司令官執務室を出る前に一礼し、静かに扉を閉じる。そのまま無言で廊下を歩き、執務室とある程度距離を置くと突然立ち止まる。後ろをついて歩いていた近江、宮垣、花風も立ち止まる事になる。
「どうしてこうなった……!」
周囲に班員以外の人がいないのを確認すると廊下に膝をつき、ため息と共に心情を吐き出した。
「罰則で謹慎や減給の方が何倍もマシだった……なんで復讐の手伝いなんかを……」
本来なら罰則か報酬。180度違う、対になる物のどちらかを得るはずだった。だが、蓋を開けて出て来たのは、予想のどれにも属さないものだった。まさか班員を『新生物』に殺され、復讐に取りつかれた挙句に任務をしない女の手助けとは。
織部も復讐の感情は理解できるが、任務をないがしろにするのは門違いだと思うし、何より仇が巨大化したモズ、『ヴラド』なのだ。その恐ろしい名と行動は兵士でなくても知っている。
「しかも、なんだあの態度!多少ならとやかく言わないけど、流石にあれはないだろう…」
このまま放っておけばいつまでも嘆いていそうなので、近江が肩を叩く。
「なったものはしょうがないよ、切り替えて行こう」
「そうですよ、何とかなりますって!」
いつも前向きな霞はこういう時に有り難い。
「……そうだな。もう一度話し合ってみるか……相手は言葉の通じない『新生物』じゃないんだ」
ゆっくりと立ち上がった織部は、行こう、と声をかけ、普段通りの足取りで進み始めた。
基地の受付で預けていた各々の武器を受け取る。
人類居住範囲内でも兵士は武器を持つことが義務付けられており、手元にない時は何かの施設に入る時か、定期的なメンテナンスに出す時だけだ。これは『新生物』が柵を破り、内部までに侵攻してきた際に即時対応するためである。兵士が常に武器を持つことの危険性と『新生物』侵攻の危険性を天秤に掛けた判断なので、未だ兵士の常時武器所有には反対意見が根強い。
「さて、巴は……いないか……」
基地の外に出て巴を探してみたもののいない。初対面であの扱いだったのだ、待っている方がおかしい。織部班は生活拠点である寮や学校がある、住み慣れた場所に帰っていく。
兵士たちが住む寮と田畑の境には申し訳程度の門が建てられているのだが、そこにも巴の姿はない。
「困ったわね、こうなったらこの辺りをしらみつぶしに捜索しましょうか」
この門に姿が無いという事は寮や学校が立ち並ぶ兵士たちの生活地帯にいるという事。この地帯は『新生物』侵攻を食い止めるための防衛地帯となるのでそれなりに大きさがあり、宮垣の案は大変だが、今ここで探さなければ次、いつ会えるのかはわからない。
「うん、平松司令官の言う通りだとしたら巴さん、『ヴラド』の情報を聞きつけたら一人で討伐に行きそうだよ」
近江の意見に異論はなかった。誰もがそう感じているのだ。織部は会話とも言えぬ会話を巴としたが、危ない、命知らずの行動をとりそうな雰囲気があった。
「そうだな。まだ通信用のインカムも渡してない。一人で仇に突撃して、一人で死なせるのが司令官からの命令じゃないし、俺たちの後味も悪い。それに、何より――」
織部は途中で自分の言葉をつぐんだ。そのあと何もなかったかのように素早く指示を出し、織部班は四手に別れて巴捜索を始めた。
先は気恥ずかしくて言えなかったが、走りながら心の中で決意を心情を引き締める。
(それに、何より、班員になった以上は俺の信条にかけて死なせない)
織部は自分が捜索する区域をほとんど捜索し、最後に訓練所を覗いた。訓練所は『新生物』侵攻前の旧時代に体育館と呼ばれた場所とほぼ同一の役割を持っている。
だが、どこにも影は見当たらない。織部の担当する区域にはおらず、他の場所にいるのだろうか、と諦めて班員に連絡しようとインカムに手を伸ばしたときに気付いた。
「そういや、訓練所には裏があったな……」
裏、と言っても何もない。強いて言えば樹高がもともと低いのか、それとも巨大化していないのかわからない10mほどの木が数本と、西の森の巨大化した樹木によって建てられた訓練場を別の角度から見られるだけである。誰も立ち入らない場所なので、一応の確認だったのだが、これが功を奏した。
「いた……こんなところにいるとは」
巴は訓練場の裏で刀の訓練をしていた。少し遠目で見るだけでも太刀筋から怒りが伝わってくる。この刀で仇を討ち果たす、叫んでいるのがその気迫から伝わる。
そして、巴が刀を右手で扱い、左手の人差し指と中指だけを立てている状態、例をだすなら、ジャンケンのチョキの人差し指と中指を合わせている状態で動かしているのが気になった。その左手を刀と連動させるようにして振るうのだ。
疑問に思っていると巴の近くの木から一枚の葉が落ちてくる。時期は五月、新緑の葉だ。落ちてきた葉が彼女の左手の近くに来ると、突然、葉がスパリと切れた。彼女は葉に触れておらず、左手は空を切っただけ。訓練の様子をよく観察していた織部は彼女の人差し指と中指の延長線上に葉が触れた瞬間に切れるのを見逃さなかった。
「『風刃』か、凄いな……」
超能力の一つで、系統的には織部と同じである。風を一点集中して放出し、かまいたちと同じ要領で切断する。まさに『風刃』である。この芸当は同じ風を放出する能力を持つ織部にもできない。それは生れつき同系統の能力でも得手不得手があるからである。超能力としてポピュラーな、手を触れずとも物体を動かせる能力である念動力にも物体を上昇させるのが得意な人もいれば、物体を手前に引き寄せる事が苦手な人もおり、珍しい例では特定の物質にしか作用しない人もいる。
同系統の能力者でも千差万別、同じ事が出来るとは限らないのだ。
巴は風を集中させ、切り裂く事が出来るが、織部にはできない。その逆も然り。織部は風を広範囲に、また、足の裏から放出することが出来るが、巴にはできない。
「探したぞ、こんなところで何やってんだ」
巴の訓練の観察を止め、織部は近づきながら話しかける。声をかけられ、巴は刀を止め、鞘に納める。声の主を一瞥すると冷たく言い放った。
「あら、監視ご苦労様。あの司令官の命令?」
「監視?おい、俺たちはお前と協力して『ヴラド』を倒せと命令されたされただけで監視はしてない」
「そう。でも、協力は要らないわ。私一人で殺して見せる」
「それはダメだ。一人で行くなら止める」
「それも命令かしら?」
「いや、俺の判断だ。自分で決めたからこそ、絶対に行かせない」
ここで織部は意を決し、巴のタブーに触れる。理解しあうには心からの声が必要になる。
「なぁ、そこまで復讐に逸らなくてもいいだろ?もっと準備を整えてからでも――」
唐突に、いや、わかっていたことだが、巴の顔が憤怒に染まる。
「私の復讐に口を出さないで!あなたに私の心が理解できるの?!仲間を殺された私の悲しみがわかるの?!」
「俺も両親を殺された!」
復讐の話をした時点で怒るのは分かっていたが、織部も感情的になってしまった。失敗に気付き、冷静になる織部だが、冷静になったのは巴もだった。
「…………いつ、殺されたの」
ゆっくりと巴が口を開く。顔も穏やかに、その声に先ほどの荒々しさや冷たさはない。
「12、中学の時だ」
「復讐しようとは?」
「思ったさ。基地の人間がそれを伝えに来た時にはな。だが、あの時の俺は未熟だったし、両親から『兵士はいつ死んでもおかしくない』って言い聞かされてたからな。まあ、復讐すると言ってもそいつは俺の両親を殺した後、目撃情報が無いんだが」
「そこが私とあなたの差よ。私は目の前で仲間を殺された。しかも『ヴラド』は生態がわかっているから探せば必ず見つかる。復讐に手が届く状態なのよ……今すぐ殺しに行かなくちゃいけないの。あなたも大切な人を殺されたのならわかるでしょ?」
「わかる。だからこそ止める」
どんな形であれ、自分が率いる織部班の一員だから。そして、生き残った者の意味を分かっていないから。
沈黙が空気を支配していたが、この場にふさわしくないチャイムがそれを吹き飛ばした。昼食のチャイムだ。このチャイムから1時間半以内に食堂で昼食を食べなければ、任務で領域外に出ていない限り、飯は無しになる。
「一旦、飯でも食べよう」
そう言って織部は巴に背を向け、歩き出した。今まで忘れていたが、班員に連絡を取る
「おーい、聞こえてるか。こちら織部、巴を発見した。今から皆で飯を食べるぞ」
後ろを振り向くと巴の顔は依然と同じ、元に戻っていた。