報酬と罰則
5月13日水曜日。織部班は人類居住地域の中心地に向かって歩いていた。
班長の織部空士は陰鬱そうな表情だが、当てつけのように狙撃手の花風霞は有頂天といった表情だ。大剣使いの近江龍二と銃を使った中近距離戦を得意とする宮垣一葉は対照的な二人を慰め、注意している。
「はぁ……これからどうなるんだ…一体どんな罰則が…」
暗い表情の織部に
「大丈夫だよ。結果的には倒せたんだし。そこまで酷いことにはならないと思うよ。……たぶん」
「ほら、やっぱり龍二も『たぶん』じゃないか…」
フォローしようにも織部の落胆のしようを見ると断言できなくなった近江の『たぶん』で織部はさらに気を落とす。
「霞、そんなに期待して貰ったのが減給だったら知らないからね」
「一葉は心配しすぎです!私たちはあの化け物みたいな『パリ』に勝ったんですから、感謝こそされど罰を受ける筋合いはありませんよ」
花風は宮垣の注意など気にせず、完全に報酬をもらう気である。
「ああ、どうなるんだ一体…」
嘆きながら午前8時の空を見上げた。
『パリ』を討伐すると同時に倒れた織部は駆け付けた援軍によって病院に運ばれ、太陽が高く上った頃に目を覚ました。そこである指令を受け取った。内容は『今日と明日一日は休んで傷を治し、明後日の5月13日の午前9時に神奈川南西守備前線基地・司令官室に班を率いて集合せよ』とのことだった。齢16の織部達は訓練学校の生徒であるが、人手不足の為、討伐任務を言い渡されることもあるので半分学生、半分兵士の状態。ギリギリの戦いでの精神的疲労もそうだが、超能力を不慣れな足から放出して戦っていたのが体に途方もない倦怠感をもたらしていたので学校に行かなくて済むのは大変助かった。
だが問題は次だった。前線基地に呼ばれたことだ。基本的に前線基地に呼ばれることは無く、もし呼ばれるならばそれは不祥事をした時か、昇級などの時だ。元よりネガティブな考えをしてしまう織部は何かやらかしたと思い記憶を辿るとすぐに行き着いた。
人類居住区域から出るとき許可貰わずに出て行ったから……?
そこから先も考えるが、あの夜、軍規違反をしたのはこの一件のみ。あの時は緊急事態故に仕方なかったが、違反は違反である。『罰則』『減給』『班の解散』色々なバッドワードが頭の中を過り、どうにかポジティブに考えようとするが、織部達のような若輩が昇級などと聞いたことがない。思考は反転し、ネガティブに。
気が気でない2日間の休みを終え、班員たちと前線基地に向かっているのだ。織部の傷はほとんど治り、『パリ』の尻尾の中に手入れたときの火傷も問題がない程までになった。
同じ2日の休日でも報酬は何だろう、と考えていた霞とネガティブな織部が論争をしている内に前線基地に着いた。織部からすれば着いてしまった。
相模川河口から半円に広がる人類居住区域は中心から、行政機関や臨時国会議事堂などの国の中枢、住宅街や商店街、軍の工廠、田畑、そして戦いに出る兵士らが住む寮や学校、一番外は『新生物』と人類を隔てる柵になる。前線基地は兵士らの住む寮の区域の一番中心よりの所に建っている。基地はコンクリート製になっており、重々しい雰囲気だが、その後ろには畑が広がっている。
前線基地の中に入り、受付に班名を伝えると即座に司令官室への行き方を教えてくれる。場所は基地の最上階、3階の一番奥の部屋。扉は他の部屋にあるものと変わらないが『司令官室』のプレートが織部にプレッシャーを与える。決意を固め、深呼吸を一つしてから扉をノックする。
「召集に与りました織部班です」
緊張で乾いたのどから声を絞り出し、扉の向こうに話しかける。
「どうぞー、入ってきていいよー」
返ってきた返事はラフな男の声だった。失礼します、そう声をかけてからドアノブを回し、扉を押し開ける。
中は執務机と観葉植物、ファイルと分厚い本が詰まった棚が一つと質素な風景。そして人は二人いる。一人は白衣、一人は軍服。
「織部班班長・織部空士です」
執務机の前まで歩き、白衣の男に慣れた動作で敬礼をする。織部の一歩後ろにいる班員も同じく敬礼をする。
「休んでくれていいよ。わざわざ、ご苦労。椅子はないが許してくれたまえ」
『神奈川南西守備前線基地司令官』この名の長い役職を請け負うのが織部の目の前にいる男、名前は平松東。白衣を着ているのは彼が司令官にして創薬科のトップだからである。
突然変異での赤い髪を整え、軍服を着て、紅色の鞘の刀を腰につけているのは側近の赤井木虎。虎の一文字は伊達ではなく、実力だけで側近になった人物だ。無口・無表情で知られる彼が『織部』の名を聞いたとき、肩眉が上がったのは織部の気のせいだろうか。
「早速で悪いが、本題に入ろうか」
机の引き出しからクリップでまとめられた資料を平松が取り出し、机の上に置く。
「君たちはもうここに呼ばれた理由は……だいたいわかってるよね?」
「大よその検討は付いています」
休めの状態なので足を少し開き、手を後ろで組んでいるのだが、緊張で倒れそうで、手は汗で今にも滑りそうである。
「そうか。なら、ひとまずお礼を言っておこう。織部班が『パリ』を倒せなければ甚大な被害が出ていただろうし」
この言葉に一番反応したのは花風だ。嬉しそうな雰囲気というものが前の織部まで伝わった。平松は彼女の希望に満ちた顔を見てから二の句を継いだ。
「だけど、軍規違反……やっちゃったよね」
口の中の水分はどこかに消え失せ、冷や汗が流れた。
「うん、はっきり言って迷ったんだよ。君たちに『パリ』討伐の報酬を与えるか…それとも軍規違反の罰を与えるか…」
平松はコマが付いている椅子を後ろに引き、織部達に背を向けて話始める。
「確かに『パリ』討伐の功績は大きい、まだ一年目の兵士では考えられないほどの戦果だ」
「ありがとうございます」
織部はどうにか言葉を渇いた喉から絞り出すが、感情はあまり乗っていない。
「でも軍規違反を犯している…今はこんなご時世だからね、綻びが出来るとどれだけ小さくても馬鹿にならないんだよ。その辺を厳しくしていかないと組織としてはあまり良くない」
椅子が再び回転し、平松は机の上で手を組んでから言った。
「結論を言おう。厳粛な審議の末に出された結論だ」
沈黙が始まった。織部だけでなく、班員も息を飲んでその瞬間を待つ。そうして、平松の口が動く。
「君たちには報酬を与える!」
満面の笑みで彼はそういった。
「罰を与えて他の者に見せるような恐怖政治みたいなのは嫌だしね。今回は織部班に人員を補充するよ」
「ほんとですか?!」
安心しきった織部の顔に笑顔が映る。
一つの班は4〜6人まで許される。織部班は前衛が織部、近江、宮垣の3人。それに対して後衛は花風一人。『班員を死なせない事』を念頭に置く織部にとって後衛の花風が一人になるのは常々不安を感じていたのだ。しかしそれは過去の話となった。増員が前衛で近接戦ができるのなら花風がスナイプする時の警護役に前衛を一人回せる。後衛でも安全性は大幅に向上し、より多彩な戦闘ができるだろう。
「審議自体は昨日に終わっていたからもう人は呼んであるんだ、入ってきてー」
司令官室の一角に平松は呼びかけた。そこには扉があった。緊張のあまり、織部は気付けていなかった。
扉は静かに開かれた。そこから出て来たのは軍服を纏った女性。艶やかな黒髪を背中辺りまで伸ばしている。恐らく、織部達よりは年上で、顔は強気な印象を与えるが美人、普段女性をあまり意識しない織部がそう思うほどに。
「織部班班長の織部空士だ。よろしく」
今から仲間になる人物に握手を求めるべく手を出す。だが、彼女は冷ややかな、軽蔑さえ混じったような目でこちらを見た後、
「巴雫よ。握手もしないし、よろしくとも言わないわ」
そう言い放ってから、織部達が入って来た扉から出て行く。
今まで何も言わなかった赤井がため息をつき、平松はニコニコと笑い、織部班一同は固まっている。
「平松司令官これは…一体…?」
ショックから立ち直ったが織部は意味がわからなかった。自分の態度に非があったのだろうか。だが、いくら考えても礼を失した行為はしていないはずだ。
「今から説明しよう」
平松はいつの間にか違う資料を手に持っていた。
「彼女の名前は巴雫。歳は君たちの二つ上の18歳。『元』旭班所属だ」
「『元』ですか?」
気になり、上官の話を遮ってしまった。叱責をくらうかと覚悟していたが、そうではなかった。
「そこに目をつけるとは流石だね」
誰でも気づきそうな事を褒められたのは嫌味だろうか。内心、気を不味くしながら織部は平松の話を聞き漏らさないようにする。
「旭班は3週間前に巴君を残して全滅した。班員は6人。班長の旭雄介、中原翔太、盾木涼、望月和樹、児玉栄作、巴雫。おや、今一度見ると巴君は紅一点だったんだね」
新発見を楽しそうにする平松だが、織部気になって仕方がない事があった。
(結構さらりと言ったが、6人班の内5人が死亡?一体どんな『新生物』が?)
その答えはすぐに開示された。
「犯人は『ヴラド』だ」
兵士であれば知っていない者がいない程に有名だった。『モズのはやにえ』で有名なあの百舌鳥も巨大化した。その中でもひときわ大きく、気性の荒いモズを『ヴラド』と呼んでいる。多くの兵士を惨殺し、恐れられた名前だ。
「まず、奇襲で盾木、望月、児玉の三名が死亡。この時点で旭は巴に撤退指示を出し、残った中原と共に足止めをして死亡。そうして巴君だけが生き残った訳だね」
人の死を淡々と読んでいくだけの平松に怒りを覚えるが堪え、本題に切り込む。
「私達は一体何をすればよろしいのですか?」
一介の兵士を司令官室まで呼び、一人の女性の話をする。何か特別な要件があるに違いなく、それは兵士である以上、絶対のものとなる。
平松の眼光が鋭くなり、自然と背筋を伸ばしてしまう。
「旭班は新進気鋭で実力が伴った班だった。連携が上手かったみたいでね、なんでも、家族のように仲が良かったとか。……それ故に、巴君は怒り狂っている。復讐に燃えているんだ。一人で『ヴラド』を殺しに行こうとするほどに。一番の問題は他の任務をこなさない事なんだけどね。」
先ほどとは一転した厳かな口調で平松の話は続く。
「僕たち人類に余裕なんてものはない。人員も物資も領土も。何もかも足りない中、巴君を失うのは惜しい。彼女は優秀だ。一人で『ヴラド』と戦わせ、むざむざ見殺しにするのはあまりにも惜しい」
ここで織部の頭の中で、一つの仮説が出来上がる。平松が何をさせようとしているのか。
「君たちにはあの少女の復讐を手伝って欲しい」
仮説は当たってしまった。そして騙された。
(このタヌキが……!)
鼻から人員補充させるつもりなどなかったのだ。報酬に見せかけた厄介者を押し付けられたに過ぎなかった。平松からすれば、優秀な巴を縛り付ける復讐を取り除いて任務をさせることができ、表向きは報酬を与えたことにできる。
「これは命令でなく『お願い』だ嫌なら断ってくれてもいい。もし引き受けてくれるなら訓練学校を『ヴラド』を倒すまで何日でも休めるように計らっておこう」
『お願い』だと言っているが、実質は命令だ。上官からの命には拒否権はない。
「了解しました。お引き受けします。しかし、平松司令官は『新進気鋭で実力がある』と評した旭班が敗北した『ヴラド』に私たちがなぜ勝てると思ったのですか?」
成長期である16歳で構成されたと織部班と、成長期終盤である18歳で構成された旭班では身体能力が変わってくる。無論、身体能力が高いのは旭班である。厄介者を押し付けるとは言え、こちらが勝てなければ意味がない。勝てると思ったその理由が知りたかった。
平松はにこやかな顔に戻りこう言った。
「それは君たちが一つ修羅場を乗り越えたからさ。その経験は大きいよ。2歳の差なんて目じゃない」
これ以上は何も答えないと判断した織部班は礼をしてから司令官室を後にした。
「ようやく終わった~」
背もたれに全体重をかけ、リラックスする平松に、織部班がいる間一言も話さなかった赤井が話しかける。
「織部班の班長は、あの織部夫妻の……」
「うん、息子だね。確か一人息子だ。夫妻は君の恩人なんだし、織部君には優しくしてやったらどうだい?」
「いえ、それはできません。一兵士として接します」
「相変わらずお硬いねぇ」
平松は背伸びをしてから天井を見上げる。
「まあ、どこまでやれるか見てみようよ」
その笑みは不敵だった。