闖入獣
花風は一人、大樹の枝の上で寝そべっている。弾丸を装填したスナイパーライフルのスコープ越しに見えるのは『群狼』のボス格。巨大な体を動かさず、じっと目の前の織部たちを睨み続ける。スコープの端で宮垣の銃弾が群狼の一頭を葬ると、群れは瓦解していく。ここからは今まで見ているだけの花風も参戦する。スコープの倍率を上げ、十字の真ん中をボス格の頭に合わせ、後は指示を待つだけのである。
『霞、準備は良い?』
インカムから宮垣の声、花風はすぐさま返事をする。
「はいはい、いつでも良いですよ。位置はボス格から見て9時の方向です」
弾丸が飛来する位置を伝え、カウントへと入る。
「狙撃開始5秒前。4……3……」
300m離れた場所にいる『群狼』のボス格に必中させる、余計な雑念は捨て払い、花風はそれだけに集中する。
「2……1……0!」
カウントは終了した。花風は鼻から息を吸い、息を止める。いつもならその後に引き金を引くのだが、今回はその限りではなかった。彼女が息を吸う瞬間に突風が吹き、その風が鼻をかすめた。普段なら狙撃の瞬間には高い集中状態にある花風の気を乱すには至らない。しかし、その風は異臭がした。
(うっ!何ですかこの臭いは…!肉が腐った臭いとは違う…別の臭い…)
思わず射撃を中止してしまい、鼻を手で覆う。花風は木の枝の上にいるので下を見渡すが何もいない。透視能力を使ってもう少し詳しく調べようかとした時、微かに足音が聞こえた。足音は背後から猛スピードで迫っており、巨大な生物だと予想ができた。花風は後ろを振り返り、正体を確かめようと今度こそ透視能力を使おうとするがインカムが痛いくらいの音量を耳に届かせる。
『霞、大丈夫か!?』
班長である織部からだった。かなり焦っている、というのが花風に嫌でも伝わる。
「私は大丈夫です。それよりも背後から死臭じゃない、謎の悪臭と足音がします!ちょっとヤバそうです!」
『足音はともかく悪臭?……霞は今すぐそこから撤退して俺達のところに来い、『群狼』はこっちで片付ける!』
「了解しました!」
花風はその体に余る長大なスナイパーライフルを持ち、ケースは今まで通りに背負って木の枝を下り始める。
♦♦♦♦♦
「さて、言った以上はやらないとな」
先ほど花風が言った足音と謎の臭い、繋がりがあるか分からないが不安なことに違いはない。不測の事態に備えるために、まずは目の前の問題を消す必要がある。
「今回は緊急手段だ、アレやるぞ!」
織部の指示で宮垣が拳銃のマガジンをポケットから取り出した赤いマガジンに交換する。織部もポーチから長方形のケースを取り出す。
目の前で沈黙を守っていた『群狼』のボス格が一つ、唸り声を上げると織部達の方へ跳躍する。体のサイズから迫力、恐怖共に手下を上回るが生じる隙もある。三人は飛び上がったボス格に合わせるようにして巨体の下をくぐり抜け、ボス格と場所を入れ替わり、織部と宮垣はその場に、近江だけが右に向かって走る。ここで織部はケースのロックを解くと、自分の前で無造作に振るう。するとケースの中に入っていた黒い粉が空気中に撒かれる。そこに織部が手をかざすと黒い粉が渦を巻き始める。
織部の超能力は風をおこすこと。近江の火を発生させる能力と比べると見劣りするが他の物と組み合わせることでバリエーションを効かせることができる。この黒い粉は火薬。自身の能力の風で制御し、攻撃が失敗したためもう一度襲い掛かろうと織部の方を振り返ったボス格の周りにまとわり付かせる。火薬だけでは意味がない。火が必要になる。
「一葉、今だ!」
「燃えて!」
宮垣は赤いマガジンが装填された方の拳銃のトリガーを引き、特殊な銃弾を発射する。その弾丸は小型の焼夷弾で、ボス格に当たると小さく火が上がる。その火は周りの火薬に引火、爆発が起きる。爆発は連鎖的に広がり、火薬の渦の中にいたボス格は一瞬で爆炎に包まれる。
痛々しい声をボス格は上げる。だが、声を上げるだけなのだ。皮膚に火傷は負っているだろうが、巨大化と共に耐久力も上がったボス格はまだ動けるだろう。それでも目的は達成された。この爆破の意味は敵を倒すことではなく、隙を作ることなのだ。
火をおこせる能力上の危険と助走のために少し離れた場所にいた近江が炎を纏った大剣を、殴りつけるようにしてボス格の首に叩き込む。煙で目が効かず、火薬の臭いで鼻もほとんど機能していない状態での奇襲だったのでその体が大きくよろめく。その隙を逃さず宮垣は頭への銃撃、織部はボス格に飛び乗り首に刃を突き立てる。首からかなりの出血をしているというのに体を激しく動かし、織部を振り落そうとし、近江を後ろに下がらせる。
揺れるボス格の上で、これ以上は危険だと判断した織部は刀を引き抜き、着地する。がここにボス格の前足の追撃が入る。
「うおっ!?」
攻撃自体は刀で防いだためダメージはないが勢いで吹き飛ばされる。足でスピードを完全に殺したときには宮垣が大量の銃弾を首に撃ち込み、倒れていた。それでも刀傷と弾痕だらけの首が動いていたがそれも小さくなり、ついには動かなくなった。
「『群狼』討伐完了。任務終了」
『群狼』は群れもボス格も倒した。与えられた任務は終えたが花風、それに異臭と足音が気掛かりだ。
「霞はまだか、もう来てもいいだろ」
「もうそろそろだと思うんだけど……あれ、霞じゃないかな」
近江が指をさした方を見たとき、風が横を吹き抜け、異臭を残していく。
「確かに……死臭じゃない、でもどこかで嗅いだことのある臭いだ」
織部もだが、近江も宮垣も鼻を手で覆う。かすかに鼻の奥に残る異臭を無視して前を見ると確かに花風がこちらに来ていた。
後ろに巨大な蜥蜴を連れて。
土色の鱗の肌に人間の白目に当たる部分が赤色で黒目の部分はそのまま黒、鋭い爪の生えた短い四肢を忙しなく動かして走っている。目測で全長は20~22mほど、そのうち7mが頭と胴、残りは全て尻尾になっているが珍しくも何ともない。『新生物』が攻撃してくる以前から体の3分の2は尻尾で構成されている二ホンカナヘビがいたからだ。だが、尻尾の先端3mは明らかに単に『巨大化』した物とは違っていた。そこだけが黒く、硬質化している。槍や、サソリの尾のように見えた。
「任務は達成した!今から撤退する!」
普段は恥ずかしくて口に出せないがものぐさな織部も班長として、『班員は死なせない』という信条をもっている。その信条に当てはめた結果、今まさに迫っているトカゲは完全に死に繋がる危険があると判断した。論理的な思考をせずとも、こいつはまずいと本能が言っている。
花風の到着を待ってから四人は人類居住区域へと走り出す。
「あのトカゲ、速いな!」
近江が後ろを振り返り毒づく。織部も後ろを確認するが確かに速い、このスピードでは確実に追いつかれるのが目に見えていた。
「くっ……仕方ない、ここでトカゲを迎撃する。追い払うだけでいい!仕留めようとはするな!」
指示を出した時点で戦闘状態に入る。顔には明らかに恐怖と緊張がある。距離は100m。ここからでも異臭が鼻先に付く。
「狙撃開始3秒前……2……1!」
地面にスナイパーライフルを構えた花風は鼻に入る異臭に耐えながら狙撃するが、トカゲは止まる様子はない。
織部、近江が先陣を切り、花風はそのまま狙撃を、宮垣は三人の中間に立ってサポートする。近江の大剣の間合いに入る直前になるとトカゲは高速で動く四肢を止め、その長い尻尾をもたげて自身の頭上から、見た目通りに硬質化した槍のような黒い部分で織部と近江を突き刺そうとする。こうして攻撃する姿はサソリのようだが悠長なことは言ってられない。恐ろしい速さで繰り出され、地面に穴をあけていく黒い槍を必死で避ける。だが、パターンは単調だった。十数撃目の突き出しが地面に刺さったところで、近江が大剣を使って槍を抑えつけた。
織部はジャンプし、黒い槍の付け根、胴と同じ色をした部分を横一直線に斬りつける。だが尻尾は切れぬまま刀だけが奥へといく。
(尻尾の柔軟性で刀の威力を殺されてる……!?)
まるで合気道で自分の体重を利用し、流されたかのような感覚がした時には勢い余って尾の根元の方まで来てしまっていた。飛びのこうとした瞬間にはもう黒い槍の雨が降り始めた。服の数か所を槍でかすめながら、宮垣たちの援護も手伝ってどうにか槍から逃れることには成功した。
一度体勢を立て直そうと織部は班員全員と合流したときに足音を聞いた。目の前のトカゲからではなく、別の方向からだ。
音源に目を向ければ黒くずんぐりした物が走ったくる。
「『オオヒグマ』!?こんなタイミングが悪い時に!」
宮垣が少し苛立った声を上げるが、タイミングが悪いどころの話ではない。『オオヒグマ』はヒグマの『巨大種』で大きくなっただけだが、その体長は8m前後で、ここら一帯の危険生物だ。しかも繁殖期で気が立っている。方向からしてこちらを狙っているのは明らかだった。しかも、目の前のトカゲはかなり強く、追い払えるかどころか勝てるかもわからない。どう冷静に考えても、冷静に考えれば考えるほど状況は悪すぎる。
正直言うと絶対絶命だった。