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迷宮の車上自殺者

作者: 森山 純

主な登場人物

美田 野秋:イラストレーター

神沢 松子:大手保険会社社員

野沢 達夫:野沢交易(不動産等の会社)・社長

野沢 志穂:野沢交易・社長夫人

井川 秀男:野沢交易・部長

永田牧師 :聖ヨハネ教会の牧師

山野刑事

ワゴン車のA:会社社長

ワゴン車のB:ニートの若者

ワゴン車のC:離婚経験者


第1幕

ヨコハマの丘の中腹の、古い6室のアパート。

その一階の、ひと部屋。4畳半ほどの広さ。

部屋の左奥に、ユニットバスの淡茶のドアが

付いている。淡いブルーのカーテンを、半分

開いた、小さな窓の傍で、美田はイラストを

描いている。そして、ふと手を止めると立ち

上がり、壁ぎわの箪笥の、上の引き出しを引

き出す。中から、小さな金属性のチョコレー

ト菓子の箱を取り出す。ちょうど、お札の入

る手頃な大きさで、蓋をあけると、10枚ば

かりの1万円札の束を取り出す。それを数え

た後、机に置き、箱から今度は通帳を取り出

す。通帳を開くと、軽いため息をつく。


美田(独白)合わせて、約40万円。あと4、

  ヵ月位は、何とか暮せるだろうか?とも

  かく、身辺の整理を急がなくては。今ま

  でも徐々に、かなり進めては来たけれど、

  いよいよ、仕上げの段階に入らなくては。

(野沢交易が、払ってくれた、風景や美人画

のイラスト料{エコバックやハンカチ、バン

ダナ、ストラップ、紙袋などに使用された}

も、契約の切れた今では、残りあとわづかで

あった。どう節約しても、あと半年はもたな

い。美田は今度はパソコンに向かい、急いで

いつもアクセスしている、ある自殺サイトを

呼び出す。

(美田は、真剣な顔でその中の情

報を次々とチェックしはじめる。)


第2幕

雨の日の、横浜の高級住宅地の、古い洋館。

ここの入口付近の3室が、野沢交易のオフィ

スになっている。入口のホールの椅子に、美

田が座っている。まもなく、ひとつの室から、

六十歳くらいの部長の井川が出てくる。


井川 いやいや、お待たせしました。お話は、

  社長から、聞いております。社長は、急

  用が出来まして、宜しくとの事です。

(井川、向かいの椅子に座る。そして、かす

かに微笑しながら、話し出す。)

井川 では、イラストを、見せて頂けますか。

美田 はい。どれか、お気に召して頂けると、

  いいのですが-----。

(美田、大きな布袋から、たくさんのイラスト

を取り出す。井川、ひとつずつ、それを見て

行く。美田、しばらくそれを見ている。)

美田 あのー、アレでしたら、すぐに持ち帰

  りますが。

井川 いやいや、なかなか結構ですよ。ただ

  し、正式決定までには、かなり時間がか

  かりますので。あと、長期間に渡って、

  使うこともありますので、新しい方は、

  著作権込みで、買取りの形になりますが、

  それでも宜しいですか?

美田 ええ、それで結構です。よろしく、お

  願い致します。

井川 それでは、お預かり致します。いま、

  預り証を、お持ちしますので、お待ち下

  さい。

(井川、部屋に戻って行き、間もなく戻って

くる。元の椅子に座る。)

井川 では、こちらが預り証です。それと、

  こちらは本日、来て頂いたギャラです。

(井川は美田に、茶色い封筒を渡す。)

井川 なかに領収書がありますから、あとで

  記名・捺印して、郵送して下さい。

美田 分かりました。

井川 それでは、これで失礼します。

美田 あっ、あっ、どうも。失礼します。

(美田は、荷物を取り、席をたつ。ゆっく

りと出口のドアに向かう。舞台は、次第に暗

くなって行く。)


第3幕

5ヶ月前の区立港図書館のラウンジ。3台の

自動販売機が、壁際に並ぶ。飲み物や、カッ

プラーメン、菓子パンなど。美田は、紙コッ

プのコーヒーを買って、窓際の席に座り、コ

ーヒーを飲みながら、眼の下の住宅街の向こ

うにある、大きな港町を見つめる。

そこに、突然の悲鳴が聞こえてくる。そして、

あわただしい人々の動きと会話。ラウンジに

いる、他の5人の客達も、聞き耳を立てる。

そこへ、客のひとりと知り合いの、若い男D

がやって来る。


D 入口の方で、誰かが、怪我をしたようで

 すよ。階段で、滑って転んだとか。

(客のなかの3人が立ち上がって、入口に向

かう。美田も、それに続く。そこへ下手から、

両脇を2人の女性{館員と、友人の神沢}に

支えられた、野沢志穂がやって来る。スカー

トと足に、血の滲んだ、2枚の、エルメスの

大きなスカーフを巻き、青い顔で、痛みを堪

えて、すこし震え、やや放心状態でいる。客

も美田も、隅に寄って立ち止る。椅子に座ら

せると、館員の中年女性は、「それでは、も

う一度、救急車の確認をして来ます。」と言

って、去って行く。)


神沢 救急車がくるまで、ここで待たせて下

  さい。それと、ここに血液がB型の方、

  おられますか?すこし出血しているので、

  万一のため、一緒に行って欲しいのです

  が。

(一瞬、全員が黙ってしまう。そして、女子

高生のひとりが、おずおずと「私、A型なん

ですけど」と答える。すると、連れの2人も、

「私は、O型なんですけど。」「私も、Oなん

です。」と、答える。)


美田 あっ、あっ、僕はBです。

神沢 あら、良かった。

D 僕は、AB型なんです。

E 僕はBなんですが、4時からアルバイト

  がありまして。済みません。

神沢 そう。じゃあ、結構よ。それでは、あ

  なた行って貰えるわね。お名前は?

美田 あっ、美田と申します。私は、特に用

  事がないので、もし宜しければ。

神沢 悪いけど、お願いするわ。多分、必要

  は無いと思うけど、私はこの方に大変な

  責任があるので。経費がかかったら、あ

  とでそれ以上に、お支払いしますわ。

美田 いえいえ、そんな事、結構です。すこ

  しでもお役に立てるのでしたら。

(そこへ、救急隊員2人が、ストレッチャー

を持って駆け込んで来る。野沢は、それに乗

せられ、神沢、美田とともに、下手に去って

行く。)

(暗転)

病院のロビー。三田は、血液検査のあと、使

用するかは未定であるが、神沢の強い希望で、

とりあえず血液を献血したところである。す

こし青い顔をしている。そこへ神沢が、コー

ヒー入りの紙コップを、持ってやって来る。


神沢 まあ、ご苦労さまでした。本当に、有

  難うございました。野沢様は、救急処置が

  済んで、いま検査の結果を待っているとこ

  ろですの。痛みも、酷いのは取れてきたよ

  うです。

美田 そうですか。それは、良かったですね。

神沢 コーヒーを、お持ちしました。どうぞ。

美田 どうも。頂きます。

(受け取って、ひと口、続けてもうひと口飲

む。)

神沢 それと、これは、野沢の奥様からの、

  とりあえずのお礼と、お車代なのですが。

  本当に有難う御座いました、と、くれぐ

  れもお伝えするように、言われまして。

  なお、後日、改めてお礼に伺いますから、

  と。

(神沢、美田に、厚い白い封筒を渡す。)

美田 えっ、これは。

神沢 だから、とりあえずのお礼です。血を

  採っちゃったから、好きな物を食べて、

  すこしでも栄養を付けて、回復して頂き

たいと。

美田 そんなご心配は、どうぞ為さらずに---

  --。

神沢 貴方は知らないと思うけど、野沢様の

  お家は、この辺りで、大変な名家なの。

  つまり、お金の価値が、庶民とはひと桁、

  ううん、2桁違うのよ。

  だから、純粋にこれで栄養を付けて頂

  きたいのよ。それに、また必要になって、

  お願いするかも知れませんし。売ってい

  る血は、怖いって言うでしょ。

美田 -----そうですか。それでは、遠慮なく。

神沢 それと、こちらは、私からのお願いな

  の。良かったら、ぜひ検討して頂ける。

(神沢、美田に、名刺と数枚のパンフレット

を渡す。ある大手の生命保険会社のもの。)

神沢 私、いちおうキャリアウーマンって、

  言われているの。成績は、社内でいつも

  十番以内なのよ。その半分は、野沢様の

  サポートのお陰なんだけど。

美田 申し訳ないんですが、私、収入が乏し

  いものですから。とても、保険までは。

神沢 どんなお仕事を、してらっしゃるの?

  失礼だけど、ご収入はいかほど?

美田 いちおう、イラストレーターなんです

  が。といっても、実績は、母親の知り合

  いの紹介で、小さな雑誌に、4、5回載

  せて貰っただけなんですけど。だから、

  貰ったお金も、合計で2万円足らず、な

  んですよ。

神沢 まあ、それは大変ね。でも、どうやっ

  て、生活してらっしゃるの。

美田 まあ、両親の残してくれた貯金や、保

  険の支払い金が、まだ多少ありまして。

神沢 それは、良かったわネ。私も離婚した

  あと、子供を抱えて、途方に暮れたの。

  そんなとき、大学のときの親友だった

  志穂さんが、手を差し伸べてくれたの。

  だから、役立つときにすこしでもお役に

  立ちたいの。

  -----では、私、そろそろ奥様のお部屋

  に、戻りますので。今日は、本当に有難

  うございました。

(神沢、立ち上がりながら頭を下げる。美田

は、座ったまま、力弱く「どうも、どうも」

と言いながら、頭を下げる。)


第4幕

図書館での事故から、約3ヶ月後。美田の、

古いアパート。その一階の、ひと部屋。4畳

半ほどの広さ。淡いブルーのカーテンを半分

開いた、小さな窓の傍で、美田はイラストを

描いている。そこへノックの音が、小さく2

回ずつ、2度鳴る。美田は、立ち上がって、

ドアの前に立つ。


美田 どなたですか?

神沢 神沢です。先日は、大変お世話になり

  ました。

(美田はドアのチェーンをはずして、ドアを

開ける。)

美田 あっ、どうも。こんにちは。

(神沢の後ろには、野沢夫妻がいる。美田は

何度も、小さく頭を下げる。)

志穂 先日は、誠に有難うございました。お

  陰様で、だいぶ良く治りましたので。

  志穂は、深く頭を下げる。

野沢 家内が、大変お世話になりまして。誠

  に、有難うございました。

(野沢は、菓子折りを、美田に渡し、深く頭を

下げる。野沢は、日焼けしたゴルファータイ

プの、ハンサムな40代の男。)

美田 いえいえ、どうぞお気になさらずに。

  とても狭いところですが、どうぞお入り

  になって下さい。


三人は、ひとりずつ部屋に上がってくる。美

田は、押入れから、薄い小さめの座布団を出

して並べ、三人に勧める。そして、隅の冷蔵

庫から、ウーロン茶のボトルを出して、イラ

ストを描いていた机で、三つの湯飲み茶碗に、

注ぎ分ける。三人は、その間、珍しそうに、

部屋のなかを見渡す。


美田 ウーロン茶ですが、宜しければどうぞ。

(客たち、「頂きます」と、2、3口飲んで

から、神沢が切り出す。)

神沢 かなり狭い、いやや、陽当りのいいお

  部屋なのね。

美田 ええ、こんなに狭くても、私にとって

  は家賃が高いものですから。それに、働

  く力がなくて、収入が乏しいものですか

  ら。恥かしい事なんですが。

野沢 いま、机の上の絵を、見させて頂いた

  のですが、わが社と、かなりテイストが

  合いますから、私の会社のグッズなどに、

  使えるかも知れません。いちど、作品を

  持って、いらして下さい。審査に通れば、

  印税をお支払い出来ますよ。

美田 有難うございます。機会がありました

 ら、ぜひトライさせて頂きます。

志穂 ぜひ、お待ちしていますわ。

(志穂は、ほのかに微笑む。)

野沢 それでは、そろそろ失礼しましょう。

(野沢、二人を促す。)

美田 こんなに狭くては、とてもお引止めで

  きませんね。わざわざ来て頂いて、本当

  に有難うございました。

(客たちは立ち上がり、別れの会釈をしなが

らドアに向かう。)

(舞台は、次第に暗くなる。)


第5幕

それから、約1年後。

平日ながら、全国からの観光客で、かなり賑

う、青い海べりの山下公園。そこへ、美田と

神沢がやって来る。


美田 でも、よく気が付かれましたね。私は、

  珍しく、急いでいたものですから。

神沢 たまたま、喫茶店の窓際にいたもので

  すから。お客様のお話が、すこし長引い

  てしまって。----ところで、イラストは

  採用して頂けたのかしら?

美田 あっ、あっ、お陰様で。使って頂ける

  ことに。買取りで、五年払いなんですよ。

  本当に、有難いです。

神沢 まあァ、良かったわね、それじゃあ、

  私の保険にも、入って頂けるわねえ。

美田 御免なさい。部屋を見て頂いたから、

  お分かりだと思いますが、経済的な余裕

  が、まったく無いものですから。

神沢 -----そう、残念ね。でも、その気に

  なったら、連絡してね。

美田 あっ、はい。

(神沢、屋台から、コーヒーを二つ買って、

ひとつを美田に渡す。そして、二人で、海の

見渡せる、ベンチに座る。)

神沢 この間の、野沢様のお家のパーティー

  に、お出でにならなかったのね。

美田 ええ、私など、とても恐れ多くて。イ

  ラストを買って頂いただけでも、本当に

  感謝しているんですよ。

神沢 失礼なんだけど、あなたは、どういう

  人なのかしら。私、商売柄、たくさんの

  人を見てきたけど、あなたは、よく分か

  らないわ。フワフワしていて、ボンヤリ

  していて。貧乏なのに、焦ってないし、

  惨めじゃないし、悩んでないし。

美田 私は、すべてに、あまり思い入れが無

  いんですね。食べ物も、ソバとか即席ラ

  ーメンに、卵でも落せば、私には十分な

  ご馳走ですし。トーストとコーヒーだけ

  でも、嬉しい。まあ、アレルギーなので、

  やたらな物は、危なくて食べられない、

  ということもあるんですが。

  ファッションも、普通で十分だし。旅

  に出ても、神経が疲れて、あまり、楽し

  くないしーーー。

  そりゃあ、たまにはラグジュアリーな

  暮らしに、憧れますけど。

神沢 まあ、エコノミーな方なのね。私は、

  おいしい物が、いっぱい食べたいし、ブ

  ランド物も、いっぱい欲しいわ。豪邸や

  億ションにも、住んでみたいし。宝石や

  有名な人の絵も、たくさん欲しいわ。い

  い服を着て、いい店にいくのは、すごい

  快感なのよ。

美田 -----普通は、そうなんでしょうねえ。

  私は、変わっているのかも。それに、精

  神的に、生き抜くだけで、やっとの日々

  でしたし。父母がいなければ、とてもこ

  の年まで、生きては来れなかったんです

  よ。------すこし人に心を開きかけると、

  なぜだかビシャッ!と、手痛いしっぺ返

  しを受けるのですね。それで、心が萎え

  て、またピタッと閉じてしまう。その繰

  り返しのなかから、だんだん、自分に本

  当に必要なものは何かと、自分に問い始

  めて-----。そして、だんだん、いまの私

  が、出来上がってきたんですね。

神沢 まあ、そうだったの。貴方も、色々、

  大変だったのね。私には、よく理解でき

  ない事だけれど。

野沢 私は、これでも、わりと満足している

  んですね。私のようなナイナイ尽くしが、

  ここまで生きれた事自体、有難いことな

  んですから。社会に、感謝しているんで

  すよ。

(二人は、なおも話つづけている。舞台は、次

第に暗くなる。)

(暗転)

十年後、同じ山下公園。ベンチに座って、美

田が、コーヒーを飲みながら、海を見ている。

午後3時の公園には、観光客が疎らにいて、

海を見たり、お喋りをしている。

そこへ、二人の中年女性を連れた、神沢が、

通りかかる。美田の姿を認めて驚くが、いっ

たん通り過ぎて、間もなく、一人で戻ってく

る。

神沢 まあ美田さん、お久しぶり。懐かしい

  わぁ。

美田 あっ、こ、こんにちわ、お久しぶりで

  す。その後、お元気でしたか?

神沢 ええ、お陰様で。4,5年前に、中華

  街で、すれ違って以来ね。

美田 ええ。お客様を、連れていらっしゃっ

  たので、2,3分しか喋れなかったです

  けど、ね。

神沢 今日も、馬車道や、みなと未来の辺り

  を、ご案内してきたの。いま、タクシー

  に乗せてきたところ。

美田 そうですか。大変でしたね。まだ勤め

  てらっしゃるんですね。

神沢 ええ、お陰様で。でも、いまは契約

 社員なの。週、3日の。私も、もう55

 歳でしょ。フルタイムだと、身体が疲れ

 ちゃって。だから、去年、いったん早期

 退職したの。退職金が、5割増しになる

 から、色々と、助かったわ。住宅ローン

 を返したりね。いまは、いままでのお客

 様の、フォローが主なの。出来れば、あ

 と5年位は、勤めるつもりなの。

美田 そうなんですか。あっ、野沢様は、お

 元気ですか?

神沢 ええ、お元気よ。でも、このところ、

  業績が、いまいちのようなのね。ほら、

  バブルがはじけたでしょ。それで会社を、

  すこしずつ、整理・縮小しているのよ。

美田 そうですかーーー、それは大変ですね。

  井川さんは、お元気ですか?

神沢 3年前に辞めて、いまは私と同じ、週

  3日の嘱託社員なの。もう、70歳だし。

美田 そうですか。私も、5年間、大変お世

  話になりまして。

神沢 たまに、貴方の話も出るのよ。だから、

  こうして外で会ったときのことを、話し

  てあげるの。

美田 5年間、お金を頂いて、本当に助かり

  ました。あれから、コンクールに応募し

  たり、勇気を振り絞って、あちこち売り

  込みに歩いたんですが、お恥ずかしいこ

  とにまったく芽が出なくて------。

神沢 まあ、気長に頑張ったら、宜しいわ。

  いつか、道が開くときも、あるわよ。私

  だって、勤めたての5年は、下積み暮ら

  しで大変だったわ。子育てもあったから、

  心身は限界よ。でも、両親や、野沢様の

  応援があったから、どうにか乗り越える

  ことが出来たの。

美田 お強いんですね。私にも、その強さの

  1%でもあったなら--------。

神沢 まあ、嬉しいわ。お褒めに与って。

(二人の話は、まだ続いていく。舞台は、次

第に暗くなっていく。)

(暗転)


第7幕①

それから、7年後。東京郊外の、国営の大公

園に向かう、一台のワゴン車。

(舞台上に、4人の乗ったワゴン車。上手に、

車内の様子を映し出す、大きな画面。)

しばらくは、皆、押し黙っている。やがて、

それぞれが、少しずつ、自己の来歴を、語り

始める。運転をしている、40代の垢抜けた

女性、Cは、静かにそれを聞いている。


C ----私は、皆さんご存じのように、ア

 レコレあって、疲れちゃったの。亭主の

 浮気と、その相手の若い子に、子供が出

 来て。あとは、離婚までのドロドロ。結

 局、家と、お金を少し貰って、別れて。

 その間に、何回か、こういう集まりに参

 加したの。でも最初のは、下見に参加し

 ただけで、本番は、行かなかったの。ま、

 だ心が、そこまで決まってなかったのネ。

 二度目は、途中でうやむやになって、中

 止。三度目のときは、本番の予定日の前

 に、父親が急に倒れて。そのあと、それ

 から1年の間に、きちんと身辺を片付け

 るために、アレコレ動いたの。子供はい

 なかったから、動くには助かったわ。ま

 ず、妹の一家が、アパート住まいだった

 から、家に呼んで、光熱費と水道代だけ

 で住んで貰ったの。姪と甥が、ひとりず

 ついるの。まだ、幼稚園だったから、毎

 日、バスで送って行かせて。よく陽の当

 たるひと部屋だけ、自分用にして。妹の

 旦那の勤めは、少し遠くなったけど、家

 賃がタダだし、一戸建てだから、ノビノ

 ビ出来るでしょ。皆、喜んでくれたわ。

 私の両親も。----それから、貯金や持ち

 物の処理。貯金は合わせて一千万位しか

 なかったけど、毎月、違う銀行に行って、

 ひとつずつ解約して、全部、現金にした

 の。現金で残っていれば、妹も何かと便

 利でしょ。離婚の慰謝料で、振り込まれ

 たお金よ。バッグや宝石は、今日、身に

 付けているリングやネックレスを除いて、

 妹や友達、それにお世話になった人達に

 プレゼントしていったの。気付かれない

 ように、誕生日とか、お正月とか、でき

 るだけさり気なく、渡せる時を選んで。

 あと、雑貨なんかは、家族の気に入って

 いるもの以外は、少しずつ、捨てたりバ

 ザーに出したり。フリマも、行ったわ。

 ---そうこうする内に、予定の一年が過

 ぎてしまって。ほぼ片付けが終わってか

 ら、また打ち合わせや、下見に参加する

 ようになったの。そして、8度目にとう

 とう本番に参加したの。海辺の人気のあ

 まり無い街。ひとり来なかった人がいて、

 参加者は、全部で3人だったの。----練

 炭を焚き始めて、クスリを呑んで朦朧と

 してきたの。そこへ、なんと女子高生の

 両親が、車で駆け付けて、突然のジ・エ

 ンド。でも、その子の親も、世間に知ら

 れたくないから、私達が、このまま黙っ

 て家に帰る事を条件に、何もなかった事

 にしたの。----そして、10度目が今回。

 これで、最後って、決めているの。もう

 すべて綺麗にしてきたから、心残りはな

 いし。----あっ、スーパーが見えて来た

 わ。寄りましょう。私、おトイレを借り

 たいの。

A ああ、良かった。僕も、お願いしようと、

 思っていたんです。トイレと、部下や家

 族に最後の連絡を取りたいので。

美田 私も、おトイレを。

B 僕も、家族に葉書を書きます。

C では、30分の休憩を取りましょう。さ

 あ、これで、今生とのお別れネ。

(上手の画面、大型スーパーの建物と、その

前面の駐車場に変わる。4人は車を降りて、

スーパーに向かう。舞台は、次第に暗くなっ

ていく。)


第8幕

4人が乗り合わせた車は、東京郊外の大公園

の傍の、夜の空き地にいる。丈の低い草むら

のなか。それぞれ、車内で物思いに耽ってい

る。やがて、AとCが外に出て、四つの七輪

に練炭を熾し、車内に持ち込む。その間、美

田とBは、太い粘着ガムテープで、二つのド

ア以外の車内のすき間を、塞いでいく。そし

て、AとCが車内に戻ると、ペットボトルの

飲料水やウーロン茶、ジュースなどで、睡眠

導入剤を飲む。


A では、天国の入口で、待ち合わせましょ

 う。

美田 遅れたら、待ってて下さいね。

B いつまでも、待っていますよ。

C 知らない人たちにも、迷惑をかけるのは、

 大変、申し訳ないけど、いまはただ、許

 して貰いましょう。

(舞台は、次第に、暗くなっていく。)


第9幕

永田牧師、鎮痛な面持ちで、ドアから、山野

刑事と出てくる。そして、山野に言う。


永田 私がもう少し注意を払っていれば、あの

 方は死を択ばなかった、のかも知れません

 ね。------といって、私どもが、生活の面

 倒をみることも出来ないのですが。

山野 あなたの責任では、ありませんよ。人

 には、それぞれ事情があるのですから。

 では、書類に判を、押して頂けますか?

 ご遺体の引渡しは、なるべく急ぎますから。

永田 2、3日、かかるでしょうか?

山野 そうですね。まず、そんな所でしょう。

  お電話を差し上げますよ。

永田 宜しく、お願い致します。遺骨は、こ

  の方のご両親の、お墓のあるお寺に、埋

  葬したいと思っています。

(永田と山野、下手の部屋のドアを開けて、

消えていく。舞台は、すこしずつ暗くなっ

ていく。)

                  (完)

*あとがき/上演・映像化等の許可について

 かなり、負の世界を、描いてしまったのかも知れません。いま悩んでいる方は、このように悩んでいる人々もいる、ということを知って頂ければ。近年、日本の自殺者は、年に3万人前後を記録するとか。私は、清算のつけ方として、あるいは病苦から逃れるためなど、必ずしも、否定派ではありません。ただし、ギリギリまで、生きることを追求したうえでのことです。出来るだけ、生き延びる道を、時間をかけ、また知人等に聞いてもらって、あれこれと模索して欲しいと思います。人生は、多くの人にとって100年足らず、なのですから。私自身も、自信を失いつくし、生きる気力を無くした日々もありました。足掛け、何十年もの間。すべてを忘れ、すこしづつリセットする時間を、各自が持ってみませんか?

*この作品の、劇場・学園祭などでの、上演許可また映像化は、意図が公的啓蒙・普及等で、改竄等の意思がないかぎり、許可したいと思っています。また、ひとり芝居や数人での上演(全役を、いちぶ朗読などの技法で。ひとり芝居のときは、何幕か短縮する。)の形でもいいと思います。第2期の受付は、2016年10月末までです。20日以内に、返事のないときは、不許可ということです。

 さて最後に、この10年で、私のもっとも感動したエピソードを、ひとつ。10年程前だったか、テレビの深夜のドキュメンタリーで、浅草の隅田川べりに住むホームレスの特集がありました。4、5人の人の生活を紹介したのですが、その内の一人が、カラスを一羽ぺットにして暮らしていました。隣接する公園で、巣から落ちたらしい3羽のヒナを拾って、餌を与えて育てたとか。その内の2羽は、すでに少し前に巣立っていったとか。残ったこのカラスは、大きさはすでに普通のカラスに近いのですが、飛ぶのが下手で、高く上がることも、遠くへいくことも出来ないのだ、と。

*女性のインタビュアー「この鳥、これから、どうなさるんですか?」

ホームレスの男性(60才前後?)「いいじゃないの。自由に飛べるようになるまで、ここにいれば。追い立てるように、巣立ちさせなくても。飛べるようになるまで、俺のそばにいればいいさ。」

 私は、深く感動しました。ホームレスという厳しい状況を生き抜いているオッチャンが、こんな素晴らしい人生哲学を持っているなんて。そう、飛べない小鳥(大鳥もOKです)は、けして巣立ちを急がせてはならないのだ。では、ブルー&シルバーダークな世界を、体験してみて下さい。

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