東雲さんは男の娘
世の中、何事も経験だ。
失敗は成功のもと、何ていうことわざもあるくらいだし、経験して、失敗して、学んで行くものなのだと私は思う。
…… だが。
東雲暁、16歳。
休日の日曜日、大ヒットベストセラーの小説を買うために隣町にある超大型書店へ行こうと電車に乗っている現在。
______ 何故か、痴漢にあっています。
当たっているだけか? いや、これは完全に触られているに入る部類だ。
それにしても、痴漢とはバカだなあとよく思う。ここで私が声を上げれば全てがパーになるというのに。チラッと観察したところによると、大学生くらいか? 人の尻触りたいなら、彼女でも作れば良いものを。美形だと思うし、その伸ばしすぎて顔が良く見えない前髪を切ればモテると思うんだが。
痴漢の冤罪って証明するのがかなり難しいとか聞いたし、本当にやっていれば絶対に無理だ。私だって見知らぬ、と言うか親でも尻に触られるのは嫌だし、そろそろ声をかけるか。
しかし、裁判沙汰とかになっても困るので、穏便に解決してあげよう。
「………… あのー、当たってますよ」
「ひっ⁉ …… え、あ、あっ、すっ、すいません」
あくまで当たっているで勝負だ。
気弱そうだし、一言言えばやめてくれるだろう。
ペコペコと謝り倒す痴漢男にいえいえと言いながら視線でもう一生するなよと睨んでいると。
「______ すみません、ちょっと良いですか?」
「…… はい?」
謝る痴漢男と笑顔で睨んでいる私の間に、1人の男が割って入ってくる。
男は痴漢男とか、そこら辺の美形よりかなり顔が整っていて、これほどの衆目美麗な人間をを見たのは桐生院さんくらいだ。
青みがかった黒髪に、優しそうな目元。
唇をぎゅっと引き締め、私たちを見ていた。
痴漢男の謝る声が大きかったのと新たな人物が現れたせいで、この車両の人間たちの視線は自然と私たちに集まっている。
「あなた、痴漢、してましたよね?」
「は、はっ⁉ ち、痴漢んっ? し、してないですしてないです! 当たってただけです! この方だってそう言って注意してくれましたし! ほんっとすいませんっ!」
「そうですよ、当たっていただけです。何を勘違いされたかは分かりませんが、ご心配なく」
正義漢気取りか、熱血漢気取りか。
確かに痴漢だったが、されている私が触られるのは嫌だが別に良いと言ったんだ。
もうちょっと空気と言うか、読んで欲しい。
それと、痴漢男さん、パニックになり過ぎだ。それこそバレるぞ。
「本当ですか?」
「ええ、本当です」
触ったと言ってもかすった風に見せかけているし、そこまでダメージもない。
心配そうに私の顔を覗き込む正義漢男に、告げる。
よし、これで早く本が買えるぞ。超大型書店と言ったって、大ヒットベストセラー小説には勝てまい。何せ、家や学校周辺の本屋は、どこも売り切れだったくらいだ。通販も入荷予定不明だし。
とにかく、私は早く事を終わらせたい。
「だったら、これは何なんでしょうか?」
「っ⁉」
痴漢男と共に、見せられたスマートフォンの画面に息を呑む。
画面には、男が私の尻をかするように触る画像があって、正義漢男は勝ち誇ったようなドヤ顔を浮かべていた。
と言うか、肖像権の侵害だぞ。顔は写っていないとはいえ、私の尻が写っている。
「すみません、そこのおばあさん。痴漢を見ましたか?」
私が立っている席に座っていたおばあさんが、正義漢男に声をかけられてハッとしたように顔を上げる。
「へ?」
「申し訳ありません、彼女がこの男に痴漢されているのを見ましたか?」
「は、痴漢…………? っ⁉ あ、ああ、あたしゃ見ましたよ! このお姉ちゃんがやわやわと尻をまさぐられているのを!」
嘘いえ、あなた、声をかけられるまで寝てたでしょうが!
持っていた大荷物に顔を埋めて気持ち良さそうに寝てたでしょうが! 声かけられたから、起きただけでしょうが。
しかしこのおばあちゃん、美形には弱いのか、正義漢男の顔を見た途端、ぱああっと顔をほころばせ、うんうんと顔を上下に振りながら力説する。
おばあちゃんの隣に座っていたOLらしきお姉さんや、若い女子中学生たちも、そうだそうだと同意する。
………… なるほど、痴漢の冤罪はこうやって出来ていくものなのか。
いや、今回は冤罪じゃないけど。立派に痴漢してるけど。だから本人が良いと言ってるのに、何で気付かないかな!
証拠写真、周囲の証言。
これさえ揃えば、痴漢何て100パーセント証明出来るのである。
「あなたも、痴漢されたことを必死に思い出さないようにしたくて、されてないと思ってしまったんじゃないですか? そういうのはよくないですよ。嫌なことから、逃げてはいけません」
逃げてないよ、面倒事になりたくないから穏便に済まそうとしてるんだよ!
と言うか、この言葉は本当にイラっとくるぞ。
「…… いえですからね、私は」
「あ、戸田山です。とりあえず、ここで降りて警察に行きましょう」
私が降りる駅より何駅も前の駅で降りようとする正義漢男に何か言い訳をつけて降りないようにしようとするが、正義漢男のもの凄い握力に負けて降りさせられる。
寝ていたおばあちゃんやOLさん、女子中学生たちやサラリーマンなどに応援され、私は正義漢男に引っ張られ駅前の交番に入ることとなった。
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結局、取り調べをして出てこられたのは夜の7時だった。
6時間も取り調べとか、何であんなにすることがあるんだろうか。
今から行っても本は売り切れているだろうし、まったく最悪である。
やたらを私を守るようにして歩く迎えに来た両親に苦笑しながらも、笑顔の正義漢男を睨む。
うん、私はお前に感謝してないからな!
「ほんっとうに、ほんっとうに娘を救ってくれてありがとうございました!」
「いえ、俺は当然のことをしたまでです」
だから、その笑顔をやめて欲しい。
謝りっぱなしの両親に、驚いたようにやめて下さいと言う正義漢男。
何の茶番だ、何の。
「あの、ところでお名前をお伺いしても良いでしょうか……? 今日は慌てて飛び出して来たもので、後日、改めてお礼をしたいのですが……」
母が申し訳なさそうに正義漢男に話しかけると、正義漢男はいえそんなと言いながらも渡されたメモ帳に住所と電話番号をスラスラと書く。
結局、お礼されたいんだろうが。
「すみません、お名前も」
「ああ、すみません」
正義漢男はまた、ペンを取ってスラスラと無駄に達筆な字でメモ帳に名前を書いていく。
そして、無駄にムカつく笑顔でこう言った。
「_______ 東雲鏡、と申します」
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「一昨日、お前じゃない東雲と合同の舞台稽古があってよー」
「そう言えば、次の舞台は東雲家とやるんですっけ」
翌日。
もうすっかり慣れた、桐生院さんとの中庭でのお昼を食べている時に、ポカポカと当たる日差しに眩しそうに目を細めながらそんなことを言い出した。
ちなみに、私じゃない東雲とは、桐生院さんが私を男だと勘違いして原因の家でもあり、日本舞踊の家元である桐生院家とは最大のライバルであるらしい。
近々、その東雲家と舞台をやるらしく、稽古で忙しいらしい。
「じゃあ、私を間違えた原因の東雲家の跡取りとは会えたんですか?」
「まあなー。そういや、あいつも男だったんだよな。だから、俺と同じ女装。俺と違って、男名と女名があった。男名は忘れたけど、確か女名はかがみ、とか言ってた気がする」
向こうは、桐生院さんの蜂蜜色の髪とは対象的な黒髪で、いかにも大和撫子と言った風らしい。桐生院さんと同じく美形だとか。
名前は、元々こういう場合で女装する時は男名と女名が別にあるのが普通らしいが、どっちも一緒な桐生院さんは、気に入らないらしい。
芸も上手く、年齢も同じであるため本当に桐生院さんのライバル的存在らしい。
「それで、どうだったんですか? 私じゃない東雲さんは」
「それが、何か凄いうざいんだよな」
「うざい?」
芸は上手いが、桐生院さんが踊ると一部の箇所に、その舞には色々な解釈があり、とか聞いてもいないことをベラベラ喋ってくるらしい。しかも、人の話を聞かないのだとか。だが、何故か大人たちからは信頼されているらしい。
今回の土曜日の稽古は午後からだったが、次の合同稽古は日曜日でしかも朝からなため、今から憂鬱だと嘆いていた。
「うざいと言えば、私も昨日、隣町の本屋に行こうとした電車でうざい人に会ったんですよね」
痴漢に合ったことは伏せながら、昨日会った正義漢男の話をする。
すると、何故か桐生院さんは爆笑していた。
「おまっ、それで結局本買えなかったのか⁉」
「そうですけど」
正義漢男は、しつこいナンパ男に変えておき、交番は電車が人身事故で止まったことにしておいた。
…… さすがに、一応は助けてくれたということになっている正義漢男に、ナンパ男は悪かったかもしれない。正義漢男、ごめん。
「俺の完璧だった女装を暴いた罰だな!」
「いや、あれは桐生院さんの自爆型でしょうが」
自分から話していただろう、あれは。
そして、その人の苗字が東雲だったことを話すと、桐生院さんはまた笑い出した。
「俺が会ったやつも東雲、お前が会ったやつも東雲、そしてお前も東雲! もしかしたら、東雲にはうざいヤツしかいないのかもな」
「え、ちょっと待って下さい。確かに、ライバルの東雲さんと私が昨日会ったナンパ東雲さんはうざいのは認めますが、東雲にうざいやつしかないとは、私もうざいってことですよね⁉ 撤回を認めます!」
「いや、お前も大概うざいだろ」
「それだったら、桐生院さんの方がうざいです」
「はあ⁉ 俺がうざいって今言ったな⁉ 言ったな⁉」
______ そして、正義漢男に会ってから1週間後の日曜日。
私は、1人、菓子折り片手に正義漢男の家の前に立っていた。




