YEHI OR/イェヒ・オール -召命に応じた者たち-
三十四年前、一九九一年七月十九日───。
───大学天文研究部の一室。
サークルに参加していた学生たちは各々が独自に研究したい課題を探求していた。三年生の男が痺れを切らし、飲みに行こうと一人ひとりに声をかけた。部屋の片隅でホワイトボードに数式を書き記している学生が立っていた。
日向 一幸 二〇歳
大学二年生。
最後に、男は日向へ声をかけた。
「俺たち、これから飲みに行くけど、お前も行くか?」
一幸はそれに返答せず、黙々とホワイトボードに向き合っていた。
(無視かよ)
男はそう思いながら同級生や後輩と部屋をあとにした。彼らの話し声が廊下を伝い、一幸の耳元へ届いていた。
「彼は何を調べてるんだ?」
「またあれか? 夢で見た?」
「アイツも懲りねえなあ!」
「案外、ああいう奴がノーベル賞とか取ったりしてな!」
学生たちの笑い声が遠のいていった。
一幸は注意が削がれ、動かしていた手を止め、深いため息を吐いた。腕時計の短い針が午後一〇時をさしていた。
天文研究部の部屋にはキッチンがあり、学生用に冷蔵庫やインスタントの珈琲も常備されてあった。一幸はキッチンへ歩いて行き、換気扇から垂れた紐を引っ張り、窓を開けた。蛇口の取手をひねり、ヤカンに珈琲一杯分の水を注ぎ込み、ガスコンロに置いて火を付けた。一幸はズボンのポケットからライターとタバコを取り出し、紙タバコを吸い始めた。
「しょうもねえ」
一幸は紙タバコの煙を眺め、揺れて消えゆくその予測不可能な有機的形状に見惚れた。窓の向こうから学生たちの声が聞こえてきた。カップルの日常的な会話、飲み屋の話、最新のポケットベルについて、明日の講義が何時から始まるのか、そのような他愛のない話し声があった。
紙タバコを吸い終わるころには、ヤカンの水も沸騰を始め、一幸はガスコンロの火を止めた。マグカップに珈琲の粉を入れ、続けてヤカンのお湯を注ぎ込んだ。キッチンに珈琲の独特な香りが広がり、窓を閉め、換気扇の紐を引いた。
一幸は近くにあった腰掛け椅子を掴み、ホワイトボードから少し離れた場所に置いて座った。珈琲をひと口飲み、色々と書き記されたホワイトボードを見上げた。
アルファ・ケンタウリ、ベータ・ケンタウリと南十字星の絵に加え、各星の正確な位置と距離が数式で書かれ、それぞれの星を見つけた人物、名前の由来、それら以外にも多くのことが詳細にあった。一幸は疑問に思ったことや気づいたことをノートに綴り、図書館で借りた参考資料を見開き、新しい発見があればホワイトボードとノートに書き記した。そうして時間が経ち、鳥に釣られて蝉の声が外から聞こえていた。
「もうこんな時間か……」
一幸は重たい瞼を擦り、ベランダに出て、生暖かい空気に触れながら朝焼けの空を眺めた。またズボンのポケットからライターとタバコを取り出し、箱から一本だけ抜き取り、紙タバコを吸い始めた。
◆
早朝、一幸は駅前に設置されたベンチに座り、紙タバコを吸いながら道行く人を眺めていた。サラリーマン、親子、学生、ホームレス───彼らの背景には、愛する人がいて、もしくは成し遂げたい夢があり、あるいはその日を懸命に生きるため、互いの生活に足を踏み入れないように避け、皆、目的地へ向かっているように見えた。
一幸は、自分の言動になど誰も興味を示さないと知っていた。それでも夢の中で見た二点の星と南十字星が何を意味しているのか解き明かそうとしていた。しかし何故、そうまでして研究に没頭しているのか、一幸さえもわからないでいたが、ある種の欲望か何かに掻き立てられるような感覚が強迫的にあった。頭がおかしくなったのかと思い、教授やサークルの先輩、同級生や後輩にも相談したこともあったが、まともに取り合ってくれるわけでもなく、軽くあしらわれるか、または酒のアテになって終わるのが落ちだった。徐々に外界との接点が乏しくなり、一人、社会の中で取り残されたような孤独感に押し潰されそうな思いだった。
ふと、駅の出入口に黒いスーツを着た男が立っていた。異様に存在感のある、西洋人のようにも見える面立ちに反して、周囲の人々から視線を向けられるようなことはなかった。にも関わらず、駅に出入りする人々は男を避けて歩いていた。男が一幸のもとへ歩いて来た。
「今日も暑いですねえ」
男はそう言って一幸の隣に座った。
一幸は見知らぬ男に話しかけられてむげにもできず、社交辞令として返した。
「そうですね」
少しして、男が手を差し出した。
「ジャックといいます。よろしく」
一幸は男の図々しさに嫌気が差しつつも、それに握手で応えた。
「一幸です……」
男の手は死体のように冷え切っていた。真夏日だというのにズッシリとしたスーツを着て、汗ひとつ流さず涼しい顔をしている彼に、一幸は少し恐れを感じた。二人の手が離れ、一幸はその冷たさに疑問を抱きながら、何故、自分に話しかけたのか尋ねた。
「それで……俺に何か用ですか?」
男は遠くの方を眺めて言った。
「毎朝、晴れた日に限り、君はこうしてこのベンチに座っているが、何か悩みでもあるのかい?」
一幸は男に対して懐疑的な目を向けた。ここ一週間のあいだで、ジャックと似たような男を思い出そうとしてみたが、該当する人物は出てこなかった。一幸は彼に星の話を打ち明けようとも考えたが、何処の誰なのかもわからない人に話を聞いてもらっても、頭がおかしいと思われて終わりだと悟った。
「特にないですけど……」
男は軽く微笑んで言った。
「君のやっている研究には意味があったのだと、誰かに理解してほしいのだろう?」
「は?」
一幸は男の言葉に動揺した。
「なんで研究のことを───」
「偶然、君が道端で一人ぶつぶつと喋っているところに出会したのさ」
ジャックは誤魔化すように続けた。
「話題を変えましょう」
一幸は自分が研究のことを独り言のように喋っていたなんて思いもしなかったため、面食らい何も言えなかった。
「では、───」
ジャックは迫るように言った。
「君は宇宙人が存在すると思いますか?」
一幸は妙な質問を受け、大した考えもままならぬうちに答えた。
「それは存在するんじゃないですか?」
「彼らと人類の違いはなんだと思いますか?」
一幸は冷静に考え込んだ。
「愚かさ……ですか?」
「面白い回答ですね。それは何故ですか?」
「それは、……この広大な宇宙で、わざわざ彼らがこの地球へ訪れる。その技術があるということは、彼らは様々な困難を乗り越えたことになる」
「それで?」
「かたや、俺たち人類はどんな形であれ未だに争い合っている。政治的な争い、領土的な争い、宗教的な争い、資源的な争い、───おそらく、限られた資源を使い続け、俺たち人類は使い果たすだろう。地球温暖化はその良い例だ。互いに罵り合い、足を引っ張っている」
「君は、若いな」
男はそう言ってベンチに背を預けた。
一幸は食い気味になって聞いた。
「失礼ですけど、ジャックさんはたかだか四〇代後半ですよね?」
「四〇代後半に見えますか⁉︎ 嬉しいです!」
男がまた笑った。
(調子が狂うな)
一幸は首裏を掻いた。
「それで、歳は幾つなんですか?」
「君たち人類の年齢換算で言えば、ざっと……二〇〇億歳は優に超えます」
「アンタは宇宙ができる瞬間を目撃したってか?」
「そうとも」
一幸はジャックの返答に呆れた。これ以上、付き合っていられないと思い、その場から立ち去ろうとした。
「卵が先か、鶏が先か」
ジャックはそう言ってベンチから立ち上がった一幸の手を掴んだ。
「見せよう。私の母を───」
突然、一幸の脳裏に膨大な情報量の映像が流れ込んだ。棺桶の中にでもいるかのような居心地で天井との感覚は狭く、金属製の小さな機器が見受けられ、小窓から外の景色が眺められた。空には太陽の他に幾つかの惑星があり、遠くの方には未来都市のような建造物がちらほらと、棺桶の近くには無数の人影があった。二つの人影が歩み寄り、一瞬でその光景が遠のいた。それからはあらゆる光景が横切り、全ての映像が一点の光に集約され、周辺には真っ暗な闇が残った。光の点が眩く弾け飛び、ビッグバンのように大きな爆発を起こしあと、小さな星々が広がった。
一幸は立ち眩み、ベンチに腰を下ろした。真理に触れ、意図せず、涙が溢れ始めた。
「アンタ、……いったい何者なんだ?」
男は満足気に言った。
「私は君たちの家族です」
「家族……?」
「家族構成で言えば、長男や長女に該当するのだろう」
「さっきから何を言ってんだ⁉︎」
一幸は苛立ちながら言った。
「答えになってないぞ⁉︎」
「地球は美しく、人類の創造物にはユーモアが溢れている」
男は淡々と続けた。
「君たちの歴史は浅い。そして、何より若い。ゆえに争いごとが絶え間なく起こるが、それでも私たちのように乗り越えてきた。これからも困難に打つかることだろう。その度に、君たちは予測し、言動に移して、最悪な結果を回避するのだ」
一幸は深いため息を吐いたあと、男の話に合わせることにした。
「俺たち人間には、そんな大層な能力は持ち合わせていないですよ。どうせ人類は過ちを繰り返します」
「いいえ、───」
男はそれを否定した。
「人類にも特有の能力があります」
「能力?」
「幾つか挙げられるが、その中で君たちは睡眠中に夢を見るでしょう。その現象は違う世界の様子を覗き見していることがあるのです」
「それって、パラレルワールドかなんかの話ですか?」
「ええ、そうです」
男はジャケットの胸内ポケットから何かを取り出した。男から差し出されたのは、二点の星と南十字星が描かれた紋章のようなものであった。
「これが君の求めている答えだ」
一幸は困惑して目を見開き、紋章をジッと見つめた。
「どうして! これをアンタが……この星になんの意味があるんだ⁉︎」
男は一幸に紋章を手渡した。
「その紋章に描かれている星々の方角に私の故郷があるのです」
「故郷……」
と一幸は呟いた。額に汗が流れる。夢で見た星の意味を男が知っている、それだけでどんなに嬉しいことか、靄のかかった景色が晴れてゆくような思いであった。
「召命に応えた者よ、───」
男はその場に立ち上がった。
「これから君には重荷を背負わせてしまうことになるだろう。どうか、それでもこの手を取ってほしい。私に着いて来てくれ」
一幸は男を見上げ、その手を取った。
◆
この日を境に、日向 一幸を含めた十三人の人間が消息を絶ち、密かに行方不明となった。




