第6話:聖都ルクセリア
聖都ルクセリア。
神聖メルディア王国の宗教的中心地であり、大陸有数の巨大都市だ。
白亜の城壁が遠くからでも壮麗に輝き、中央には黄金のドームを持つ大聖堂が聳え立っている。
「おお……! おっさん、見ろよ! すっげえ!」
リュートは興奮して周囲を見回していた。
「あの城壁、オラの村の百倍はあるぞ! いや、千倍か!?」
「そこまでではないと思うが」
「でもすげえ! 人もいっぱいいる! 馬車も走ってる! あ、あれ魔導車か!? 初めて見た!」
リュートは目を輝かせ、まるで子供のようにはしゃいでいた。
シオンはその姿を見て、少しだけ懐かしさを覚えた。
——四百年前、自分もこうだったかもしれない。
——初めて王都を訪れた時、同じように目を輝かせていた気がする。
「おっさん、早く行こうぜ!」
「待て、その前に準備がある」
シオンは城門の手前で足を止めた。
◇◆◇
「準備? 何の準備だ?」
「変装だ」
シオンは変装の魔法を発動した。
蒼い髪が黒に変わり、深海のような碧眼が茶色に変わる。顔の輪郭も少しだけ変え、端正な顔立ちを平凡な中年男性のものに変えた。
「おおお!? おっさん、また顔が変わった!」
「この方が都合がいい」
「なんでだよ? 悪いことしてるわけじゃねえだろ?」
「……色々あるんだ」
シオンは曖昧に答えた。
——本当の顔で歩いたら、「勇者王陛下!」と大騒ぎになる。
——今は静かに行動したい。
——それに、リュートにはまだ正体を明かすつもりはない。
「まあいいや。行こうぜ、おっさん!」
リュートは深く考えずに城門へと走っていった。
シオンは苦笑しながら、その後を追った。
◇◆◇
城門をくぐり、最初の広場に出た。
——と、その瞬間。
リュートが立ち止まった。
「おっさん……あれ……!」
リュートが指差す先には——
広場の中央に聳え立つ、巨大な青銅像があった。
像の男は堂々たる風格を持ち、神剣ラグナロクを天に掲げ、蒼い髪を風になびかせながら四方を睥睨している。足元には斬り伏せられた魔王の首が転がり、その姿はまるで神が地上に降臨したかのようだった。
——勇者王シオン・ヴァルディア。
——つまり、自分だ。
「勇者王様の像だ!!」
リュートは走り出し、像の前に駆け寄った。
「すっげえ! 本物だ! 勇者王様だ!」
シオンは複雑な気持ちでその場に立ち尽くした。
——変装して「誰にも気づかれまい」と思っていたのに。
——まさか現実は「天下にその名を知らぬ者なし」とは。
◇◆◇
「おっさん、見ろよ! 勇者王様だぞ!」
リュートは興奮して叫んだ。
「オラ、ずっと憧れてたんだ! チートもシステムもなしで魔王を倒したんだろ!? すげえよな!」
「……そうだな」
「グラン先生が言ってたんだ。『本物の勇者とは、特別な力がなくても、誰かを守るために戦える者だ』って。勇者王様は、まさにそれだって!」
「……」
シオンは何とも言えない気持ちになった。
目の前の少年が、自分を——いや、「勇者王」を心から尊敬している。
その純粋な目を見ると、正体を明かすのが躊躇われた。
「おっさんは勇者王様に会ったことあるか?」
「……まあ、一応」
「マジで!? どんな人だった!?」
「……普通の男だ。お前が思っているほど大したやつじゃない」
「そんなことねえだろ! 魔王を倒したんだぞ!」
シオンは苦笑した。
——自分で自分を褒めるのは、さすがに気が引ける。
◇◆◇
リュートは像に見入っていたが、シオンは別のことを考えていた。
——この像、悪くない出来だ。
——だが、実物の方がもっと美形だな。
いや、別に自惚れているわけではない。
客観的事実として、四百年生きてきて、自分より美形な人間に会ったことがない。
エルフの女王ですら「あなたほど整った顔は見たことがない」と言っていた。
竜族の長老は「お前の顔面は神器級だ」と評した。
この像は確かに美形だが、実物の持つ圧倒的オーラが再現できていない。
あと、胸板がもう少し厚いはずだ。腕の筋肉の付き方も微妙に違う。実物はもっとしなやかで、かつ力強い。この像だと、ただのマッチョに見えてしまう。
シオンは心の中で採点した。
造形:85点。
雰囲気:70点。
色気:60点。
総合:72点。
まあ、四百年前の資料を基に作ったにしては上出来だろう。
……いや、待て。
なぜ俺は自分の像を採点しているんだ。
シオンは我に返った。
四百歳にもなって、自分の像の前で「実物の方がイケメン」とか考えている場合じゃない。
◇◆◇
像の周囲には大勢の人々が集まり、花を供えたり、祈りを捧げたりしていた。
「勇者王様、どうか私の冒険が成功しますように……」
「陛下、息子が無事にAランクに昇格できますように……」
「シオン様、私にも素敵な出会いがありますように……」
最後のは何だ。俺は恋愛の神じゃない。
「なあおっさん、オラも祈っていいか?」
リュートが振り返って聞いてきた。
「……好きにしろ」
リュートは像の前に立ち、手を合わせた。
「勇者王様、オラは絶対にグラン先生を助けます。だから、見守っていてください」
「……」
シオンは、その姿を黙って見つめていた。
——見守るも何も、俺は今ここにいるのだが。
——まあ、言わないでおこう。
中には異世界から召喚されたばかりの新人勇者らしき若者が、スマートフォンで像を撮影しながら呟いているのも見えた。
「マジでチートスキルなしでここまで来たのかよ……顔面だけはチートだな……」
顔面だけとは何だ。
剣技も、統治能力も、外交手腕も、全てにおいてチート級だ。
シオンは少しムッとしたが、すぐに気を取り直した。
像から微かな信仰の力が流れ込んでくるのを感じた。これだけ多くの人々が祈りを捧げていれば、自然と力が集まる。
——あまり長居すると厄介だ。
「リュート、そろそろ行くぞ」
「おう!」
◇◆◇
広場を離れ、街の中心部へと歩いていく。
リュートは相変わらず、周囲をキョロキョロと見回していた。
「おっさん、あれ何の店だ?」
「武器屋だ」
「あっちは?」
「魔法道具屋だ」
「あの建物は?」
「冒険者ギルドだ」
「すげえ、全部あるんだな! オラの村には何もなかったぞ!」
シオンは苦笑した。
この少年、本当に田舎から出てきたのだな。
「なあおっさん、腹減らねえか?」
「……まあ、少し」
「あそこに屋台がある! なんかいい匂いがするぞ!」
リュートは屋台を指差した。
焼き肉の串を売っている店だ。確かに、いい匂いがする。
「……少しだけなら」
「やった!」
二人は屋台に立ち寄り、焼き肉の串を買った。
「うめえ!」
リュートは頬を膨らませながら、幸せそうに食べていた。
「おっさんも食えよ!」
「ああ」
シオンは串を齧りながら、少年の姿を眺めていた。
——この無邪気さ、懐かしいな。
——四百年前、俺もこうだったのだろうか。
◇◆◇
食事を終え、シオンは本題に戻った。
「リュート」
「なんだ、おっさん」
「お前の師匠——グラン先生は、ヴァルガス公爵の屋敷に捕まっているんだったな」
「おう」
リュートの表情が真剣になった。
「ヴァルガス公爵とは、どういう人物だ? お前は会ったことがあるのか?」
「いや、オラは会ったことねえ。でも、グラン先生が言ってた」
「何と?」
「『あの男には気をつけろ。表向きは立派な貴族だが、裏では何をしているか分からん』って」
「ふむ」
シオンは顎に手を当てた。
——正直、俺もヴァルガス公爵のことはよく知らない。
——聖都の貴族は何十人もいるし、全員の顔と名前を覚えているわけではない。
——まずは情報を集める必要がある。
「リュート、お前はここで待っていろ」
「え? なんでだよ!」
「まず俺が一人で状況を探ってくる。敵の情報も分からずに乗り込むのは愚策だ」
「でも、グラン先生が——」
「焦る気持ちは分かる。だが、焦って失敗したら、お前の師匠を救えなくなる」
リュートは悔しそうに唇を噛んだ。
「……分かったよ」
「いい子だ」
「子供扱いすんな!」
シオンは笑った。
「この宿屋で待っていろ。夕方には戻る」
「絶対だぞ! 絶対に戻ってこいよ!」
「ああ、約束する」
シオンはリュートを宿屋に預け、一人で街に出た。
◇◆◇
「もう一つ聞きたい」
「なんじゃね」
「ヴァルガス公爵の屋敷はどこにある?」
「ヴァルガス公爵? 街の北側、大聖堂の裏手じゃ」
老人は手で方向を指した。
「大きな屋敷だからすぐに分かる。じゃが、今は行っても無駄じゃぞ」
「なぜだ?」
「今はちょうど公爵家の『英雄祭』の期間での。屋敷を閉じて七日間、外部の者とは会わんのじゃ。今日で五日目になる」
「英雄祭?」
「ああ。ヴァルガス家の先祖——『勇者王の盟友』を祀る祭事じゃ」
シオンは眉をひそめた。
——勇者王の盟友?
——俺にそんな盟友がいた覚えはないが。
「聞くところによると、ヴァルガス家の祖先は勇者王様と共に戦った英雄だったそうじゃ。魔王討伐の旅に同行し、勇者王様の窮地を何度も救ったとか」
「……ほう」
「その功績を称え、百年ほど前からこの『英雄祭』が始まったらしい。最初は十年に一度じゃったが、今では毎年行われておる」
シオンは内心で首を傾げた。
——四百年前の魔王討伐で、ヴァルガスという名前の仲間はいなかった。
——聖女、大魔導師、拳聖、そしてルグナード。
——それが俺の仲間だ。
——ヴァルガスなど、聞いたこともない。
「ヴァルガス家の祖先の名は?」
「確か……ヴァルガン・レイサスだったかの」
シオンの動きが止まった。
——レイサス。
——クロード・レイサス。
——同じ姓だと?
「レイサス……? その名前、間違いないか?」
「ああ、間違いない。ヴァルガン・レイサスは勇者王様の幼馴染で、共に剣を学び、共に魔王討伐の旅に出たと伝えられておる。惜しくも旅の途中で命を落とされたが、その志は勇者王様に受け継がれたとか……」
シオンは危うく吹き出しそうになった。
——幼馴染?
——共に剣を学んだ?
——志を受け継いだ?
——クロードは俺を虐めていた側だぞ。
剣を学ぶどころか、俺が剣を握ろうとすると「農民の分際で」と嘲笑っていた。
そして魔王討伐の旅に出た? 馬鹿を言うな。村が魔王軍に襲われた時、真っ先に逃げようとして魔物に食われたはずだ。
——それが「英雄」として祀られている?
——しかも俺の「盟友」として?
——歴史を捏造するにも程がある。
「しかし旅の方」
老人が怪訝そうな目でシオンを見た。
「四百年前のことを随分と詳しく聞くの。失礼じゃが、お主の歳は……?」
四百年以上前の歴史を知っているなら、少なくとも長命種か、あるいはそれに匹敵する存在のはずだ。
シオンは微かに笑った。
「秘密だ」
老人に礼を言い、シオンはヴァルガス公爵の屋敷へと向かった。
**——第六章へ続く**




