第17話 悪役令嬢降臨
扉の外に立っていたのは、一人の女性だった。
深い紫色の外套を纏い、フードで顔を隠している。だが、フードの隙間から、栗褐色の髪が僅かに覗いていた。
グランは扉を開けた瞬間、息が止まった。
外套の下に見える服装。
純白の絹に金糸で刺繍された複雑な紋様。胸元には七芒星の中に太陽を配した意匠——帝国の皇族だけが身につけることを許される紋章。
そして、その指には——
『輝煌の指輪』。
帝国の皇帝だけが身につける、国宝級の神器。
グランの膝が、がくりと折れた。
「じょ、女帝陛下……!!」
グランは床に額をつけた。全身が震えている。
◇◆◇
女性は、グランの反応を見て満足げに微笑んだ。
そして——
バサッ!
外套を脱ぎ捨てた。
一瞬、時が止まったかのようだった。
栗褐色の長い髪が、風もないのに優雅に舞い上がる。琥珀色の瞳が、蝋燭の光を受けて黄金に輝いた。
その衣装は、息を呑むほど豪華だった。
純白の絹のドレス。裾には銀糸で月と星の紋様が刺繍され、無数の小さなダイヤモンドが夜空の星のように煌めいている。
その上に羽織っているのは、深紅のマント。金糸で縁取られ、背中には翼を広げた黄金の鳳凰が刺繍されていた。マントの留め金は、ルビーとサファイアを組み合わせた帝国の紋章。
首元には、大粒のエメラルドが連なるネックレス。耳には、涙型のダイヤモンドのイヤリング。腕には、蛇を模した黄金の腕輪が幾重にも巻かれていた。
まさに、帝国の頂点に立つ者にふさわしい、圧倒的な威光。
そして——
ドドドドドド……!!
宿屋の外から、轟音が響いてきた。
窓から見上げれば、巨大な『飛空艇』が旋回している。帝国の紋章を掲げた、女帝専用の御座船だ。その周囲を、数十機の小型飛空艇が護衛として取り囲んでいる。飛空艇から放たれる魔力の光が、夜空を昼間のように照らしていた。
「わらわが参ったぞ、シオン!」
女帝アウローラ・ヴァルエスは、両手を広げて高らかに宣言した。
完璧な登場だった。
◇◆◇
「……相変わらず派手だな」
シオンは溜息をついた。
——『わらわ』?
——こいつ、いつから『わらわ』なんて自称を使い始めた?
——前に会った時は、普通に『私』だったはずだが。
——まあ、三百年も経てば、キャラ作りも変わるか。
「何を言う。わらわは帝国の女帝じゃぞ。これくらいの演出は当然じゃ」
「お忍びで来たんじゃないのか」
「お忍びで来たが、登場は派手にせねば格好がつかんじゃろう」
「その理屈は分からん」
◇◆◇
シオンは、アウローラを見つめながら、心の中で『鑑定眼』を発動させた。
四百年間の修行で得た、あらゆる存在を解析できるスキル——
【鑑定対象:アウローラ・ヴァルエス】
【——アクセス拒否——】
【——ファイアウォール検出——】
【——鑑定を中断します——】
——やっぱりか。
——相変わらず、防壁が硬い。
シオンは内心で苦笑した。
この女は昔から、自分のステータスを他人に見られるのを極端に嫌っていた。『鑑定防御』に関しては、シオンを上回る技術を持っている。
◇◆◇
さて、ここで説明しておこう。
各位観客、心して聞くがよい。
今、シオンの目の前に立っているこの女——アウローラ・ヴァルエス。
彼女こそが、『悪役令嬢転生システム』の所有者にして、史上最強の女帝である。
四百年前、シオンと同じ時期に、この女は『システム』を覚醒させた。
彼女の前世は、日本のOL。過労死して、この世界の皇女として転生した。しかも、『乙女ゲームの悪役令嬢』として。
本来ならば、ゲームの主人公に断罪され、処刑されるか追放される運命だった。
だが、彼女には『悪役令嬢転生システム』が与えられていた。
このシステムには、二つの『チート能力』が付与されていた。
一つは『生活魔法』。料理、掃除、洗濯、裁縫——あらゆる家事を魔法で完璧にこなせる能力だ。
もう一つは『創造』。任意の物質を無から生み出す能力。金、宝石、武器、防具——何でも作り出せる。
彼女はこの二つの能力を駆使して、破滅フラグを完全に粉砕した。
まず、『創造』で莫大な富を築き、貴族たちを買収した。
次に、『生活魔法』を応用して、毒殺を防ぎ、暗殺者を返り討ちにした。
そして——攻略対象であった王子と将軍を、逆に自分のものにした。
『逆ハーレム』である。
乙女ゲームの主人公が攻略するはずだった男たちを、全て自分の手駒にしてしまったのだ。
王子を手に入れ、将軍を手に入れ、宰相を手に入れ、大魔導師を手に入れた。
そして、先代皇帝が崩御した後——彼女は玉座に座った。
アルヴァレス帝国史上初の、女帝の誕生である。
以来三百年、彼女は帝国を統べ続けている。
『賢者の雫』を飲んで不老の身となり、歴代最長の治世を敷いている。
まさに、『女帝ルート』を完走した転生者。
『史上最強の悪役令嬢』の名は、伊達ではない。
◇◆◇
「お、おい、グラン爺さん、どうしたんだ?」
リュートが首を傾げた。
鼻水を袖で拭いながら、きょとんとした顔で女帝を見つめる。
「すげえ綺麗な服だな。なんか偉い人が来たのか?」
女帝アウローラは、リュートを一瞥した。
「シオン」
「何だ」
「この鼻水を垂らしておる小僧は誰じゃ?」
シオンは肩をすくめた。
「こいつは勇者だ」
「勇者じゃと?」
アウローラの目が見開かれた。
「この、鼻水小僧が?」
「ああ。正真正銘の勇者だ。俺が保証する」
リュートは首を傾げた。
「え? オラが勇者? 先輩、何言ってんだ?」
「後で説明する。——今は跪け」
「え? なんで?」
「この方は女帝陛下だ。帝国の支配者だ。跪かないと不敬罪で処刑されるぞ」
「え!? 処刑!?」
リュートは慌てて床に突っ伏した。
「す、すみません!! オラ、田舎者なんで、何も知らなくて——鼻水も出てて——」
「よい、よい」
アウローラは手を振った。
「わらわは寛大じゃからな。鼻水勇者の無礼くらい、許してやろう」
「あ、ありがとうございます……」
リュートは床に額をつけたまま、震えていた。
◇◆◇
グランは、床に跪いたまま、頭の中が真っ白だった。
——女帝陛下が、先輩と親しげに話している。
——先輩は、女帝陛下に敬語を使っていない。
——そして、女帝陛下は先輩を『シオン』と呼んだ。
——シオン。
——その名前は——
——まさか——
グランの全身が、さらに激しく震え始めた。
◇◆◇
「さて」
アウローラは、部屋の中を見回し、適当な椅子を見つけて優雅に腰を下ろした。
「申請状の筆跡を見て、お主じゃと分かった。帝国に来たなら、一言くらい挨拶があっても良いじゃろう」
「本来は故郷で少し用事を済ませるだけのつもりだったんだ。まさか、こんな大事になるとは思わなかった」
シオンは肩をすくめた。
「して、お主はまだその変装を続けるつもりか?」
「……ばれてるか」
「当然じゃ。わらわの目は誤魔化せんぞ」
シオンは溜息をついた。
そして——指を弾いた。
彼の容姿が変化した。
黒い短髪が、腰まで伸びる蒼い髪に。地味な顔立ちが、神々しいまでの美貌に。
フレスコ画に描かれた、あの姿。
勇者王シオン・ヴァルディア。
「せ、先輩……!?」
グランは目を見開いた。
「お前……いや、あなた様は……」
「堅苦しいのは嫌いだ。今まで通り『先輩』でいい」
「そ、そんな恐れ多い——」
「命令だ」
「……は、はい、先輩」
グランは震えながら答えた。
頭の中は真っ白だった。
——俺は、勇者王陛下に向かって——
——『勇者王陛下が邪法を使っている』と——
——穴があったら入りたい。
リュートも口をぽかんと開けていた。
「え……先輩が……勇者王……?」
「そうだ」
「……オラ、勇者王に鼻水見られた……」
「気にするな。もっと汚いものも見てきた」




