第13話 システムの報酬
第一次審判が終わった夜。
シオンは宿の部屋に戻った。
「お疲れ様です、シオンのおっさん!」
リュートが元気よく駆け寄ってきた。五頭身の小柄な体格に、ツンツン立った金髪。大きな瞳が怒りで燃えている。
「あの執政官、絶対ずるいです! 時間稼ぎして、証拠を隠させるつもりですよね!」
グランも心配そうな顔をしていた。
「このまま日を改めれば、レイサス家は必ず証拠を隠滅するでしょう。オリーブの丘の地下墓地……あの骸骨たちを処分されてしまったら」
「心配するな」
シオンは椅子に座り、窓の外を眺めた。
夜の聖都エルデ。街灯の光が石畳の通りを照らしている。大聖堂の鐘楼が夜の鐘を鳴らし、遠くで犬が吠えている。
平和な夜景だ。
だが、その裏では——
「奴らが証拠を隠滅しようとするなら、その現場を押さえる。証拠隠滅の事実そのものが、新たな罪になる」
リュートが目を輝かせた。
「じゃあ、張り込みするんですか!?」
「ああ。今夜から、オリーブの丘を監視する」
シオンは立ち上がった。
「お前たちは休んでいろ。明日からが本番だ。体力を温存しておけ」
「でも——」
「俺一人で十分だ」
シオンはそう言って、窓を開けた。
夜風が部屋に吹き込む。
「おっさん、気をつけてください!」
リュートが叫んだ。
シオンは軽く手を振り、窓から飛び出した。
◇◆◇
夜の聖都は静かだった。
大通りの列柱廊に月光が差し込み、白亜の建物が青白く光っている。
シオンは気配を完全に消し、屋根から屋根へと跳んだ。
聖都の外れ、オリーブの丘。
地下墓地の入り口付近の大木に、シオンは身を潜めた。
——さて、いつ来るかな。
シオンは内心で呟いた。
——執政官が今日裁判を延期したのは、レイサス家に時間を与えるため。
——証拠を隠滅する時間を。
——ならば、今夜中に動くはずだ。
果たして——
二時間後。
十数人の人影が、松明を持ってオリーブの丘に現れた。
先頭にいるのは、レイサス家の現当主ヴィクトル。その後ろには、家の者たちと使用人が続いている。
「急げ。夜明けまでに全てを片付ける」
ヴィクトルの声が、夜の闇に響いた。
シオンは木の陰から、その様子を静かに見守った。
——やはり来たか。
——だが、ここで止めるのは早い。
——奴らがどこまで繋がっているか、確かめる必要がある。
レイサス家の者たちは、地下墓地に入っていった。
しばらくして、乳児の骸骨を袋に詰めて運び出し始めた。血で染まった祭壇の石版も、一つ一つ破壊している。
「骸骨は全て川に流せ。祭壇の破片は粉々に砕いて、別々の場所に埋めろ」
ヴィクトルが指示を出している。
「痕跡は一切残すな。あの黒髪の平民が再び調査に来ても、何も見つからないようにしろ」
全ての証拠を消し去るつもりだ。
シオンは動かなかった。
——まだだ。
——もっと大物が来るはずだ。
そして——
夜明け前。
馬車が一台、オリーブの丘に到着した。
馬車から降りてきたのは、紫の縁取りのトーガを纏った男。
アルベルト執政官だった。
「作業は順調か」
「はい。あと一時間で全て終わります」
ヴィクトルが恭しく頭を下げた。
アルベルトは地下墓地の入り口を覗き込んだ。
「良い。この件が片付けば、私は総督への昇進が約束されている。お前たちへの見返りも十分に用意しよう」
「ありがとうございます」
「ただし——」
アルベルトは声を低めた。
「あの黒髪の男には気をつけろ。ただの平民ではない。『生贄の儀式』の秘密を知っていた。聖光の浄化作用のことまで」
「……あの男、何者なのでしょう」
「分からん。だが、証拠がなければ奴も何もできない。急げ」
シオンは木の陰で、全てを見ていた。
——執政官が直接関与している。
——これで十分だ。
シオンは気配を消したまま、その場を後にした。
◇◆◇
朝が来た。
シオンは宿に戻ると、グランとリュートが心配そうに待っていた。
「おっさん、無事でしたか!?」
リュートが飛びついてきた。
「ああ。レイサス家は夜通し証拠を隠滅していた。執政官も直接現場に来ていた」
グランは息を呑んだ。
「執政官まで……では、どうするのですか?」
「二日ほど様子を見る。奴らが完全に証拠を消し去ったと安心したところで——」
シオンは薄く笑った。
「——控訴する」
◇◆◇
その夜。
グランとリュートは疲れて眠りについた。
シオンは窓辺に座り、夜空を見上げていた。
——さて。
シオンは心の中で呟いた。
——システム。
脳内に、機械的な声が響いた。
【宿主の呼びかけを検出】
【逆襲システム起動中】
——御先祖様を倒した報酬は?
【おめでとうございます! 宿主は艱難辛苦の末、強敵クロード・レイサス三世を打倒しました!】
【報酬を計算中……】
シオンは内心で苦笑した。
——艱難辛苦?
——片手で殴っただけだが。
【報酬が確定しました!】
【・経験値ポーション(Lv1-10推奨)×3】
【・鉄の剣(Lv10-20推奨)×1】
【・中級回復ポーション×5】
【・スキルブック『火球』×1】
シオンのこめかみがピクリと動いた。
——俺のレベルは?
【999です】
——この報酬は何レベル向けだ?
【Lv10-20向けです】
——……。
【申し訳ございません】
——いや、もう慣れた。まあいい。幼稚園児に大学の教科書を渡すようなものだが、気持ちだけ受け取っておく。
シオンは溜息をついた。
報酬など最初から期待していない。
収納魔法の中に、専用の区画を作った。
『逆襲システムからの役立たず報酬・二号』
新手ギフトパックが一号だ。
◇◆◇
【新しいクエストが発行されました】
——また何か面倒なことか。
【クエスト:聖光教団の大司教、ルシウス・ソラリスを打倒せよ】
【報酬:謎の地図の欠片×1】
シオンは眉を上げた。
——ルシウス・ソラリス?
その名前には、覚えがあった。
三百年前。
当時、この大陸には『太陽神教』という巨大な宗教があった。
『太陽は大地の周りを回っている』『太陽神こそが世界の中心である』——そう教え、民衆の信仰を集めていた。大陸最大の宗教勢力であり、政治にも大きな影響力を持っていた。
その太陽神教の大司教に、ソラリス家の当主がいた。
そして、その孫が——ルシウス・ソラリスだった。
◇◆◇
当時、シオンは『ノイン』という偽名を使い、平民に変装して各地を旅していた。
太陽神教の神殿に立ち寄った時、シオンは司祭たちと天文学について議論した。
そこで、うっかり『地動説』を口にしてしまった。
『大地が太陽の周りを回っている』『太陽は世界の中心ではない』——日本で学んだ知識を、つい喋ってしまったのだ。
最初、司祭たちは笑った。
『馬鹿なことを言うな』『太陽神の教えに背くつもりか』と。
だが、シオンは証拠を示した。
天体の運行を計算し、日食と月食の周期を予測し、星の動きを説明した。
全てが、地動説でなければ説明できない現象だった。
太陽神教は——崩壊した。
教義の根幹が否定されたのだ。信者は離れ、神殿は閉鎖され、司祭たちは路頭に迷った。
大司教——ルシウスの祖父——は、責任を取って自害した。
◇◆◇
その後、シオンは罪悪感を覚えた。
確かに教義は間違っていた。だが、そのせいで多くの人々が職を失い、路頭に迷った。大司教は自ら命を絶った。
そこで、シオンは残った司祭たちを集め、新しい教団の設立を手伝った。
『聖光教団』。
太陽神教の教義を修正し、『太陽神』ではなく『聖光』を信仰の対象とした。
『聖光は全てを照らす』『聖光は太陽にも、星にも、月にも、あらゆる光に宿る』——そう教えを変えることで、地動説と矛盾しない新しい宗教を作り上げた。
シオンは教義の修正案を提案し、組織の運営方法を教え、財政の立て直し方を指導した。
その過程で、ルシウスと出会った。
当時、ルシウスはまだ十代の少年だった。祖父を失い、家は没落し、路頭に迷っていた。
だが、頭が良く、行動力があった。
シオンはルシウスの才能を見出し、新教団の中枢に据えた。
『ノイン様のおかげで、私は新しい道を見つけられました』
ルシウスはそう言って、深々と頭を下げた。
『この御恩は、一生忘れません』
◇◆◇
——その後、聖光教団は大きく発展した。
——今では大陸有数の宗教勢力になっている。
——ルシウスは大司教にまで上り詰め、聖域級の魔導師になったと聞いている。
——三百年前に別れたきりだが、今も生きているはずだ。
シオンは首を傾げた。
——だが、なぜルシウスを『打倒』しなければならない?
——俺が知る限り、ルシウスは悪人ではなかった。
——むしろ、俺を恩人として慕っていた。
——『ノイン様のおかげで新しい道を見つけた』——あの少年が、今では打倒すべき敵になっているのか。
——何があった、ルシウス。
——まさか、三百年の間に何かあったのか?
——それとも、クロードの時と同じで、このシステムが何か勘違いしているのか。
シオンは少し考えた。
——まあいい。レイサス家の件が片付いたら、聖光教団に寄ってみるか。
——何か事情があるのかもしれない。
——それに——
シオンの目が、報酬に留まった。
——『謎の地図の欠片』か。
——何の地図だ?
【メインクエストを完了するごとに、地図の欠片が手に入ります】
【全ての欠片を集めると、地図の全貌が明らかになります】
——その地図は何を示している?
【不明です。全ての欠片を集めてください】
——……まあいい。
シオンは夜空を見上げた。
——気になるが、今はレイサス家が先だ。
◇◆◇
翌朝。
シオンはグランとリュートを起こした。
「今日と明日は、レイサス家が証拠隠滅を続けるはずだ。奴らが完全に安心するまで待つ」
「待つんですか?」
グランが不思議そうに尋ねた。
「ああ。奴らが『もう大丈夫だ』と思った瞬間——」
シオンは冷たく笑った。
「——控訴状を叩きつける」
リュートが拳を握った。
「おっさん、かっこいいです!」
◇◆◇
二日後。
シオンはオリーブの丘を再び訪れた。
地下墓地の入り口は、既に土で埋められていた。周囲の草木も整えられ、まるで何もなかったかのようだった。
シオンは地面を掘り返した。
——完璧に片付けている。
——骸骨も、祭壇も、血痕も、全て消えている。
——これで奴らは安心しているだろう。
シオンは立ち上がった。
——だが、俺には『時遡の術』がある。
——証拠を消しても無駄だ。
◇◆◇
その日の夕方。
シオンは控訴状を書き上げた。
羊皮紙に、几帳面な文字で訴因を列挙する。
グランとリュートが、隣で見守っていた。
「これを、聖光州総督グスタフに提出する」
「総督……ですか」
グランは緊張した面持ちだった。
「総督も、レイサス家と繋がっているのでは?」
「繋がっているだろうな」
シオンは淡々と答えた。
「だが、それでいい。総督まで巻き込めば、『アルディア大憲章』の出番だ」
「『アルディア大憲章』?」
「ああ。四百年前、勇者王陛下が制定した根本法典。全ての法律の頂点に立つ」
シオンは控訴状にインクを乾かしながら、薄く笑った。
「——そして、その法典には、『時遡の術』という切り札がある」
◇◆◇
翌日。
レイサス家は、アルベルト執政官に連絡を入れた。
「準備は整いました。再審をお願いします」
そして——
事態は当主ヴィクトルの予想通りに進んだ。
アルベルト執政官は堂々とレイサス家を庇い、証拠不足を理由に『御先祖様』クロード・レイサス三世の無罪を宣言した。
「クロード・レイサス三世を無罪とする。さらに、ノインとユアンの二名には傷害罪の嫌疑がある。後日、改めて審理を行う」
シオンは内心で苦笑した。
——まあ、想定内だ。
「この裁定に不服がある者は、十五日以内に聖光州総督に控訴することができる」
執政官がそう告げた瞬間、シオンは懐から羊皮紙を取り出した。
「控訴状です」
インクはとっくに乾いている。
執政官の顔が引きつった。




