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第12話 公開裁判



聖都エルデ執政官、アルベルト・フォン・クレメンス。


彼は自分の出世運は異常に良いと思っていた。


市政庁の下級書記官から始まり、次々と有力者に目をかけられ、一路昇進。今では多くの同僚が喉から手が出るほど欲しがる聖都執政官の座に就いている。


アルヴァレス帝国は十二の属州に分かれている。


旧領六州、新領四州、辺境二州。各属州には皇帝が任命した総督が置かれ、その下に複数の自治都市がある。


自治都市は二名の執政官が共同で統治する。任期は一年、市議会が立法と監察を担う——これが四百年前、勇者王陛下が『聖光律令』で定めた統治制度だった。


聖都エルデは聖光州に属する自治都市である。


だが、ただの自治都市ではない。勇者王陛下の故郷であり、帝国建国の地。毎年『英雄祭』には帝国中から巡礼者が訪れ、七賢者を祀る大聖堂には各地の貴族が寄進を競う。


聖都執政官の地位は、他の都市の執政官とは比べ物にならない。


この座に就けば、総督への昇進は約束されたも同然。さらにその先には、王都の元老院議員、大臣の椅子さえ見えてくる。


——だが、それ以上に美味しい利権があった。


レイサス家という後ろ盾だ。


勇者王陛下に直接お目にかかったことはないが、レイサス家と繋がっているということは、勇者王陛下と繋がっているのと同じこと。


レイサス家は、勇者王陛下の幼馴染——クロード・レイサスの子孫である。四百年前、勇者王陛下が魔王を討伐した後、帝国を建国する際に『聖友』の称号を授けた家系だ。


かつての聖都執政官たちは、今では高い地位に就いている。最も出世した者は、王都の財務大臣にまで上り詰めた。


——次は、自分の番だ。


◆◇◆◇◆


その日の夕刻。


アルベルト執政官はいつものように早めに仕事を切り上げようとしていた。


市政庁の窓から見える夕陽が、聖都の街並みを橙色に染めている。


眼下には大通りが伸び、両側に並ぶ列柱廊の影が石畳に長く落ちていた。噴水広場では商人たちが露店を片付け始め、大聖堂の鐘楼が夕暮れの鐘を鳴らしている。


聖都エルデは美しい街だ。


白亜の建物が立ち並び、街路樹のオリーブが銀色の葉を揺らす。中央の大通りは勇者王陛下が凱旋した道として知られ、毎年『英雄祭』にはここを行列が練り歩く。


日没まであと三十分ほどあるが、執政官ともなれば、誰も文句は言わない。


そこへ、部下が慌てて駆け込んできた。


「執政官様! 大変です!」


「何だ、騒々しい。明日にしろ」


アルベルトは羊皮紙の書類を巻きながら言った。今日の仕事は終わりだ。これから行きつけの浴場で汗を流し、馴染みの酒場で夕食を取る予定だった。


「そ、それが……門の外に、大事件の裁定を求める者が……」


「大事件?」


アルベルトは眉をひそめた。大事件となれば、すぐには終わらない。退勤時間が延びてしまう。


「明日来いと言え。今日は急用で外出すると」


「で、ですが執政官様……その者が言うには、乳児を攫った犯人を捕まえたと……」


「……何?」


「犯人はレイサス家の御先祖様だそうで……既に半死半生の状態になっており……民衆が噂を聞きつけ、市政庁の前に押し寄せております。広場は人で溢れかえっております」


「馬鹿者! そういうことは早く言え!」


アルベルトは部下を蹴り飛ばし、慌てて正装のトーガに着替えた。


執政官の正装——紫の縁取りが施された白いトーガ。勇者王陛下が定めた官服であり、法廷に立つ際には必ず着用しなければならない。


そして、バシリカの裁判席に着く。


バシリカ——市政庁に併設された大広間。列柱が並び、高い天井にはフレスコ画が描かれている。正面には執政官の高座があり、その前に原告と被告が立つ。


「門外で騒いでいる者を連れて参れ!」


アルベルトは裁判席の上から、威厳のある声で命じた。


◆◇◆◇◆


バシリカの扉が開いた。


夕陽の光が差し込み、埃が金色に舞った。


一人の男が入ってきた。


短く切り揃えた黒髪。地味な旅装。どこにでもいそうな平凡な顔立ち——シオンは変装を解いていなかった。


その手には、ボロ雑巾のように引きずられた老人——レイサス家の御先祖様がいた。


男の後ろには、ユアンが続く。緊張した面持ちで、周囲を見回していた。


さらにその後ろには、十数人の男女が泣きながら入ってきた。子供を失った親たちだ。グランが街中を回って呼び集めてきたのだ。


御先祖様の姿を見るや、親たちは泣き叫びながら殴りかかろうとした。


「この人殺し!」


「私の赤ちゃんを返せ!」


「畜生! 鬼畜!」


衛兵たちが慌てて親たちを制止する。


そして、バシリカの外には——野次馬の群衆が押し寄せていた。


噴水広場を埋め尽くす人波。商人も、職人も、農民も、貴族の使用人も——あらゆる階層の市民が集まっていた。


アルヴァレス帝国の『聖光律令』——勇者王陛下が四百年前に定めた法典——では、公職者の裁判は公開で行わなければならないと明記されている。


『公開裁判の原則』。


これにより、権力者が密室で不正な裁判を行うことを防ぐ。全ての市民は、裁判を傍聴する権利を持つ。


アルベルトは、この法律を心底恨んだ。


——衆人環視の中では、レイサス家を庇うのは難しい……!


◆◇◆◇◆


シオンは裁判席の前に立ち、御先祖様を床に放り出した。


大理石の床に、鈍い音が響いた。


アルヴァレス帝国では、裁判において跪く必要はない。勇者王陛下が「全ての民は法の前に平等である」と定めたからだ。原告も被告も、執政官の前で立ったまま陳述する。


「執政官殿、大事件を報告する」


シオンは軽く頭を下げた。その仕草は、どこにでもいる平民の冒険者そのものだった。


「……申せ」


「俺はノイン。聖都出身のSランク冒険者だ。こちらは俺の仲間のユアン」


シオンは淡々と語った。


「聖都で近年、乳児が多数行方不明になっていると聞いた。市政庁は人手不足で捜査できないと聞いたので、俺たちが独自に調査した。そして——犯人を捕まえた」


シオンは床に転がる御先祖様を指さした。


「レイサス家の御先祖様、クロード・レイサス三世だ」


バシリカの外で、群衆がどよめいた。


「レイサス家の御先祖様だと……!?」


「勇者王陛下の幼馴染の子孫が……まさか……!」


「嘘だろう……!?」


◆◇◆◇◆


アルベルトは目の前の男を値踏みした。


——黒髪の平民。地味な風貌。取り立てて特徴のない青年。


——Sランク冒険者と名乗っているが、本当か?


——この程度の男が、レイサス家の御先祖様を捕らえた?


アルベルトは内心で鼻を鳴らした。


「ノインとやら、軽々しいことを申すでない。レイサス家は代々善良な名家、しかも勇者王陛下の幼馴染のご子孫であるぞ。確たる根拠もなく誹謗すれば、誣告罪に問われるぞ」


「証拠ならある」


シオンは冷たく言った。平凡な顔に似合わぬ、底知れぬ威圧感があった。


「レイサス家がなぜ乳児を攫っていたか、説明しよう。この男——クロード・レイサス三世は、二百年前に『賢者の雫』の欠片を手に入れ、不老となった。だが、魔導師としての才能は凡庸だった。Aランクに届くのがやっと。それでも彼は聖域級への昇進を望んだ。そこで禁忌の儀式に手を出した」


「禁忌の儀式……?」


「『生贄の儀式』だ」


シオンの声が、バシリカに冷たく響いた。


「乳児の魂を捧げ、その生命力を己の魔力に変換する。『聖光律令』で死刑と定められた最悪の禁呪だ。この二年間、レイサス家は数十人の乳児を攫い、この男の魔力の糧にしてきた」


群衆から悲鳴が上がった。


「数十人……!?」


「乳児を生贄に……!?」


「鬼畜の所業だ……!」


◆◇◆◇◆


その時、杖をついた老人がバシリカに入ってきた。


群衆が自然と道を開ける。


レイサス家の現当主、ヴィクトル・レイサス。


紫の縁取りのある上等なトーガを纏い、金の指輪を幾つもはめている。聖都でも指折りの名士——その威厳は、執政官にも引けを取らない。


ヴィクトルは床に転がる御先祖様を見て、顔色を変えた。だが、すぐに表情を取り繕い、シオンに向き直った。


——ただの黒髪の平民か。


——大した者ではなさそうだ。


「貴殿は、我がレイサス家の御先祖様が『生贄の儀式』を行ったと申すのか」


「ああ」


「ならば、証拠を見せていただこう。『生贄の儀式』を行った者の体内には、捧げられた魂の残滓が宿るはず。御先祖様の体を検査すれば、すぐに分かること」


ヴィクトルは自信ありげに言った。


『生贄の儀式』を行った者の体内には、犠牲者の魂の残滓が宿る。これはアルヴァレス帝国で広く知られた常識であり、裁判における重要な証拠となる。


だが、レイサス家には秘策があった。


——聖都の聖光信仰の力で、御先祖様の体内の魂の残滓は既に消し去ってある。


——検査しても、何も出てこない。


——そうなれば、この平民風情を誣告罪で訴えることができる。


ヴィクトルは内心でほくそ笑んだ。


◆◇◆◇◆


シオンは冷たく笑った。


その笑みは、平凡な顔には似つかわしくないほど、冷酷だった。


「魂の残滓か。確かに、普通なら『生贄の儀式』を行った者の体内には残滓が残る」


「ならば——」


「だが、お前たちは賢いな」


シオンはヴィクトルを見据えた。


「聖都の大聖堂に満ちる聖光の力。それを利用して、御先祖様の体内に溜まった乳児たちの魂の残滓を浄化していたのだろう」


ヴィクトルの顔が凍りついた。


「な……何を……」


「レイサス家の先祖祭は、必ず大聖堂で行われる。表向きは先祖を敬う儀式——だが、本当の目的は違う。聖光の浄化作用を利用して、『生贄の儀式』で生じた魂の残滓を消し去っていたのだ」


バシリカが静まり返った。


群衆も、執政官も、衛兵たちも、呆然とシオンを見つめていた。


——この平民、何を言っている……?


——聖光の力で魂の残滓を消す?


——そんなことが可能なのか?


ヴィクトルの顔は蒼白になっていた。


「で、出鱈目を……! そのようなこと、一介の平民が知っているはずが……!」


「俺が知っている」


シオンは淡々と言った。


「聖光の力で魂の残滓を浄化できることは、古代の禁書にしか記されていない秘術だ。普通の者は知らない。だが——」


シオンはヴィクトルの目を見据えた。平凡な顔の奥に、深淵のような闘気が覗いた。


「——俺は知っている。お前たちが何をしてきたか、全て」


◆◇◆◇◆


ヴィクトルは冷や汗を流した。


——この男、何者だ……!?


——ただの平民ではない……!


——あの知識は、レイサス家が長年かけて発見した秘術だぞ……!


——古代の禁書を読み漁り、何度も実験を重ねて、ようやく見つけた方法だ……!


——なぜ、こんな黒髪の平民が知っている……!?


「魂の残滓は消せても、死体は消せない」


シオンは続けた。


「聖都の郊外、オリーブの丘に、古い地下墓地がある。そこに、数十体の乳児の骸骨が積み上げられている。血で染まった祭壇もある」


群衆から悲鳴と怒号が上がった。


バシリカの外では、女たちの泣き声が響いていた。


「執政官殿。人を送って、その場所を調べればいい。証拠は全てそこにある」


◆◇◆◇◆


アルベルトは額の汗を拭った。


——まずい。


——このままでは、本当にレイサス家を裁かなければならなくなる。


——だが、レイサス家を裁けば、俺の出世は終わりだ。


——時間を稼がねば……!


「日も暮れた」


アルベルトは威厳を保とうとしながら言った。窓の外では、夕陽が沈みかけていた。バシリカの中に長い影が伸びている。


「この事件は複雑であり、証拠の検証も必要だ。結論を急ぐべきではない」


シオンが何か言おうとしたが、アルベルトは遮った。


「『聖光律令』第七十三条——『重大事件については、十分な証拠検証の後に判決を下すべし』。これも勇者王陛下が定めた法だ」


アルベルトは咳払いをした。


「よって、本件は日を改めて再審理する。クロード・レイサス三世は、ひとまず市政庁の牢に拘留する」


「執政官殿——」


「異議は認めん!」


アルベルトは木槌を叩いた。その音がバシリカに響き渡る。


「本日は閉廷とする! ——退廷!」


◆◇◆◇◆


衛兵たちが御先祖様を引きずっていく。


群衆からは不満の声が上がった。


「なぜ今日裁かない!」


「時間稼ぎだ!」


「執政官はレイサス家の味方か!」


だが、アルベルトは群衆を無視して、裁判席を後にした。


紫の縁取りのトーガが、大理石の床を擦りながら消えていく。


◆◇◆◇◆


バシリカの外。


夕陽が街を赤く染めていた。


噴水広場には、まだ多くの市民が残っていた。興奮冷めやらぬ様子で、互いに言葉を交わしている。


「レイサス家が乳児を生贄にしていたなんて……」


「信じられない……勇者王陛下の幼馴染の子孫が……」


「あの黒髪の男、何者だ……?」


ユアンがシオンに駆け寄った。


「先輩……これで良いのですか? 執政官は明らかに時間を稼ごうとしています。このままでは、証拠を隠滅されるかもしれません」


シオンは静かに言った。


「分かっている」


「では——」


「奴らが何をするか、見届ける必要がある」


シオンは市政庁の奥を見つめた。夕陽に照らされた白亜の建物が、血のように赤く染まっていた。


「執政官だけか。それとも——総督まで繋がっているのか」


ユアンは息を呑んだ。


「まさか……聖光州総督まで……?」


シオンは答えなかった。


——クロードの子孫か。


シオンは内心で呟いた。


——あいつは昔、俺を散々虐めていた。


——村長の息子という立場を利用して、俺を殴り、俺の物を奪い、俺を嘲笑った。


——だが、魔王軍が村を襲った時、俺はあいつを助けた。


——恨みはあった。だが、見殺しにはできなかった。


——それが、俺の甘さだったのかもしれない。


——あの時、あいつを見捨てていれば——


——今、こんなことにはなっていなかったのかもしれない。


シオンは首を振った。


——いや、過去を悔やんでも仕方がない。


——今、目の前にある罪を裁く。


——それだけだ。


夕陽が沈み、聖都エルデに夜の帳が降り始めていた。


大聖堂の鐘楼が、夜の鐘を鳴らした。


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