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第11話 報い


レイサス家の屋敷。


午後の陽光が、白亜の豪邸を照らしていた。


聖都エルデでも指折りの名家にふさわしい威容。高い塀に囲まれた敷地には、手入れの行き届いた庭園が広がり、噴水が涼やかな音を立てている。薔薇の花壇が幾何学模様を描き、刈り込まれた生垣が迷路のように続く。


だが、その優雅な外観とは裏腹に——屋敷の内部は騒然としていた。


「何だと!? 囚人が逃げた!?」


「地下牢が破壊されています! 壁に大穴が——」


「あの老いぼれの冒険者か!? 誰が逃がした!?」


「分かりません! 見張りは全員気絶していて——」


使用人たちが慌ただしく走り回る。


怒号が飛び交い、屋敷中が蜂の巣を突いたような騒ぎになっている。


だが、グランの姿はどこにもなかった。


◆◇◆◇◆


接待の間。


豪華な調度品が並ぶ広間で、一人の老人が椅子に座っていた。


天井からは水晶の燭台が吊り下げられ、壁には先祖代々の肖像画が並ぶ。窓から差し込む午後の光が、大理石の床に長い影を落としていた。


レイサス家の現当主、ヴィクトル・レイサス。


七十を超える老人だが、その目には野心の光が宿っていた。


扉が開き、麻の衣を纏った老人が入ってきた。


「御先祖様」


ヴィクトルは震える手で杖をつき、立ち上がって礼をした。


「予定より二日も早いお戻りです。もしや、Sランクの極限を超え、聖域級に……?」


麻衣の老人——レイサス家の『御先祖様』、クロード・レイサス三世。


二百年前に『賢者の雫』の欠片を手に入れ、不老となった男。


レイサス家の真の支配者であり、現当主ヴィクトルの曽祖父にあたる。


聖域級。


Sランクの更に上、この大陸に十人といない最高位の魔導師。


七賢者は全員が聖域級であり、勇者王陛下は聖域級を遥かに超えた『神域級』と言われている。


クロード三世は、あと一歩で聖域級に届く——Sランク極限の魔導師だった。


「聖域への道は容易ではない」


御先祖様は首を振った。


「残念ながら、あの十数人の乳児では、わしの修行に大した助けにならなかった。聖域級に至るには、血祭りだけでは足りぬようじゃ。別の方法を探さねばならん」


ヴィクトルの顔に、一瞬だけ残念そうな色が浮かんだ。


「実は、御先祖様。先ほど問題が発生しまして……」


「問題?」


「地下牢に閉じ込めていたAランク冒険者が、何者かに救出されました。屋敷中を探しましたが、見つかりません」


御先祖様は眉をひそめた。


「あのグランとかいう老いぼれか。誰が逃がした」


「分かりません。見張りは全員気絶しており、地下牢の壁には大穴が開いておりました。相当な実力者の仕業かと……」


「ふん。たかがAランクの冒険者一人、逃げたところで何ができる」


御先祖様は鼻で笑った。


「それより、他に問題は」


「はい。今回子供を失った親たちが、街中で騒ぎ立てておるそうです。市政庁の前で大騒ぎまでしたとか。今回は隠蔽が難しいかもしれません」


「誰が騒いでおる」


「街の平民どもです。井戸端で泣き喚く女どもが——」


御先祖様は手を振って遮った。


「あの騒いでおる愚民どもも、いっそ捕まえて血祭りにしてやれ。子供と一緒に『再会』させてやろう」


御先祖様は薄く笑った。


「感動的な『家族の再会』じゃな」


「仰せのままに」


◆◇◆◇◆


「感動的だな」


突然、冷たい声が響いた。


「それなら、お前も地獄で両親と再会するか?」


「誰だ!」


御先祖様は振り返り、声の主を睨んだ。同時に、体が素早く後退する。


——気配を感じなかった。


自分の感知を欺けるのは、同じSランク極限で隠密に長けた者か、あるいは——聖域級以上の魔導師だけ。


接待の間の入り口に、一人の男が立っていた。


黒い髪に、どこにでもいそうな平凡な顔立ち。


若い——二十代半ばに見える。だが、その目には、年齢に似合わぬ深い闘気が宿っていた。


窓から差し込む午後の光が、男の輪郭を照らしている。逆光で表情は読み取れない。


「貴様、いつからそこに——」


御先祖様は即座に魔法を放った。


炎の槍。氷の刃。雷の矢。


三属性同時発動——Sランク極限の魔導師だけが可能な高等技術。


全てがシオンに向かって飛んでいく。


シオンは片手を振った。


それだけで、全ての魔法が霧散した。


「な——!?」


御先祖様の目が見開かれた。だが、二百年を生きた魔導師は、一瞬の驚愕で動きを止めるほど甘くはない。


「『灼熱地獄』!」


御先祖様は床に手をついた。


大理石の床が赤く輝き、部屋全体が炎に包まれる。Sランク極限の広域殲滅魔法——触れた者は骨まで焼き尽くされる。


だが——シオンは炎の中を歩いてきた。


服の裾すら焦げていない。


「馬鹿な……!」


御先祖様は後退しながら、次の魔法を詠唱した。


「『凍結棺』!」


空気中の水分が一瞬で凝結し、シオンの全身を氷の棺が包み込む。絶対零度の氷——触れた者は細胞ごと凍りつく。


氷の棺が、内側から砕け散った。


シオンは欠伸をしながら歩いてくる。


「終わりか?」


「くっ……!」


御先祖様は歯を食いしばった。


——何だ、この男は……!?


——Sランク極限の魔法が、まるで効いていない……!?


「『時間断裂』!」


御先祖様は最後の切り札を切った。


禁呪に近い時間魔法——対象の時間を一瞬だけ停止させる。その隙に致命的な一撃を叩き込む、必殺の連携技。


シオンの動きが止まった。


「もらった!」


御先祖様は全魔力を込めた拳を振りかぶった。


——だが。


シオンの手が動いた。


時間停止の中で。


「え——」


御先祖様の思考が追いつく前に、シオンの平手が顔面に叩き込まれた。


◆◇◆◇◆


轟音。


御先祖様の体が吹き飛び、壁に激突した。


豪華な調度品が砕け散り、先祖代々の肖像画が床に落ちる。水晶の燭台が揺れ、窓ガラスにひびが入った。


御先祖様の口から、血と共に歯が数本飛び出した。


「き、貴様……! 時間魔法の中で……動いた……!?」


御先祖様は壁にめり込んだまま、信じられないという目でシオンを見た。


——同じSランク極限のはずだ。


——この男から感じる魔力は、自分と同程度。


——なのに、なぜ……全ての魔法が通じない……!?


シオンは四百年の戦闘経験を持つ。


魔王大戦を生き抜き、数え切れないほどの死線を越えてきた。


たとえ魔力をSランクに抑えても、戦闘技術だけで御先祖様を圧倒できる。時間魔法程度、何度も経験している。


シオンは無言で御先祖様に近づいた。


午後の陽光が、砕けた窓から差し込む。埃が光の中で舞っていた。


そして——また殴った。


◆◇◆◇◆


殴り続けた。


一発、二発、三発。


顔を。腹を。胸を。


御先祖様が何か叫ぼうとするたびに、拳が言葉を遮った。


「勇者王の名を騙り」


殴る。


「乳児を殺し続けた」


殴る。


「その罪、万死に値する」


殴る。


シオンの声は低く、冷たかった。


御先祖様は必死に抵抗しようとした。魔法を放とうとした。だが、シオンの拳の方が速い。詠唱を始める前に、顔面に拳が飛んでくる。


「ま、待て……! わしは……わしは勇者王陛下の……血縁じゃぞ……!」


「だから何だ」


シオンは冷たく言った。


「知っておるのか……!? 勇者王陛下のご先祖、クロード・レイサス様の直系の子孫じゃぞ……! わしに手を出せば、勇者王陛下が黙っておらん……!」


シオンの拳が止まった。


御先祖様は、それを好機と見た。


「そうじゃ……勇者王陛下は、我がレイサス家を庇護しておられる……わしらがやっていることも、全て陛下のため……陛下の成神儀式のため……」


「……成神儀式?」


「そうじゃ! 陛下が神になるための儀式じゃ! わしらは陛下のために、二年もかけて準備を——」


「勇者王陛下が、そんなことを頼んだと?」


「……え?」


御先祖様は、シオンの言葉の意味が理解できなかった。


「七賢者の徽章を持つ者として断言する」


シオンは懐から銀色の徽章を取り出した。


七つの星が円を描くように刻まれた、七賢者の証。


午後の光を受けて、徽章が鈍く輝いた。


「勇者王陛下は、一度もお前たちにそんなことを頼んでいない」


「な、何を……」


「勇者王の名を騙り、陛下の知らぬところで乳児を殺し、陛下のためだと嘯く。——その罪、万死に値する」


御先祖様の顔から血の気が引いた。


——七賢者の徽章……!?


——まさか、この男……七賢者会議の密使か……!?


「貴様……貴様は……!」


シオンは答えなかった。


ただ、御先祖様の襟首を掴み、引きずって部屋を出た。


◆◇◆◇◆


屋敷の廊下を歩くシオンの姿を見て、使用人たちが悲鳴を上げた。


赤い絨毯が敷かれた長い廊下。壁には燭台と絵画が交互に並び、高い天井にはフレスコ画が描かれている。


「御先祖様!?」


「貴様、何者だ!」


「御先祖様を離せ!」


数人の護衛がシオンに襲いかかった。


シオンは振り返りもせず、空いている方の手で全員を弾き飛ばした。


護衛たちは壁に叩きつけられ、気を失った。


「せ、先輩……!」


後ろから、ユアンが追いかけてきた。


「これは一体……」


ユアンは目を見開いた。


シオンが引きずっているのは、レイサス家の『御先祖様』——Sランク極限の大魔導師。


その顔は腫れ上がり、歯は半分以上折れ、意識も朦朧としている。


「どうするんですか、こいつを……」


「決まっている」


シオンは屋敷の門に向かって歩き続けた。


「アルヴァレス帝国は法治国家だ。罪人は法で裁く」


「し、しかし……執政官はレイサス家とグルでは……」


「だからいい」


シオンは冷たく笑った。


「誰がこいつらを庇うか、見届けてやる。執政官か。総督か。それとも——もっと上か」


ユアンは息を呑んだ。


——この御方、どこまで事を大きくするつもりだ……!


屋敷の門を出ると、午後の陽光が二人を包んだ。


石畳の道が市政庁へと続いている。道の両側には商店が並び、行き交う人々がシオンの姿を見て驚きの声を上げた。


——あれは……レイサス家の御先祖様では……!?


——誰だ、あの男……!?


——御先祖様を引きずっている……!?


ざわめきが広がる。


シオンは構わず歩き続けた。


御先祖様を引きずりながら、午後の街を堂々と進んでいく。


市政庁へ向かって。


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