第1話「勇者システム、400年遅れで起動する」
アルヴァレス大陸、王都ルミナリア上空。
真紅の鱗を輝かせる巨大なグリフォンが、夕暮れの空を悠々と滑空していた。
その背には一人の男が座っている。
腰まで伸びた蒼い髪が風になびき、深海のような碧眼が遥か下方の王都を見下ろしていた。
彼の名はシオン・ヴァルディア。
四百年前に魔王を討伐し、「賢者の雫」で不老となった男。
アルヴァレス大陸の全種族が認める「勇者王」であり、大陸最強の存在。
——そして、異世界から召喚された元日本人だ。
「……暇だ」
シオンはぼそりと呟いた。
背中の下で、真紅のグリフォン——ルグナードが呆れたように鼻を鳴らした。
『四百年間、お前は同じことを言っている。少しは新しい台詞を覚えろ』
「実際暇なんだから仕方ないだろう」
『暇なら仕事をしろ。各国からの陳情書が山積みだ』
「書類仕事は嫌いだと、四百年前から言っている」
『知っている。だから四百年間、俺が処理してきた』
「いつも助かる」
『感謝するなら肉を寄越せ。竜牛を五頭分だ』
「お前、先週も三頭食ったばかりだろう」
『足りない』
シオンは苦笑しながらルグナードの首筋を撫でた。
ルグナードは魔王討伐の旅で出会った仲間であり、四百年来の相棒だ。「賢者の雫」の恩恵を受けた彼もまた、不老の身となっていた。
四百年前、共に戦った仲間たち——聖女も、大魔導師も、拳聖も、皆とうに逝ってしまった。
今でも生きているのは、自分とルグナードだけ。
正直、この世界にはもう飽きていた。
できることなら日本に帰りたい。コンビニのおにぎりが食いたい。漫画が読みたい。ネットサーフィンがしたい。
だが、元の世界に戻る方法は見つからなかった。四百年探しても。
「日本に帰れたらなあ……」
『また日本の話か。諦めろ、四百年探して見つからなかったんだ』
「分かってる」
その時——
脳内に、機械的な声が響いた。
【宿主情報を検出】
【逆襲システム起動】
シオンは一瞬、身構えた。だが敵の気配はない。
……今、何か聞こえたか?
【宿主名:シオン・ヴァルディア】
【年齢:418歳】
【レベル:999】
【称号:勇者王】
【起動遅延:約400年。申し訳ございません】
シオンは目を瞬かせた。
逆襲システム?
起動遅延400年?
「お前……もしかしてチートか?」
四百年前、この世界に召喚された時、他の勇者たちは皆チートスキルやシステムを持っていた。
【無限収納】【鑑定眼】【死に戻り】——そんな便利な能力を振り回す勇者たちの中で、シオンだけが何も持っていなかった。
チートなしで、努力と根性だけで魔王を倒し、勇者王にまで上り詰めた。
今さらシステムが来ても——
「四百年遅いわ!」
【申し訳ございません】
【お詫びとして、初心者ギフトパックを差し上げます】
目の前に半透明の画面が浮かび、アイテムが並んだ。
【・銅の剣(レベル1~10推奨)×1】
【・革の鎧(レベル1~10推奨)×1】
【・下級回復ポーション×5】
【・初心者向け魔物図鑑×1】
シオンの頬が引きつった。
「俺のレベルは?」
【999です】
「このギフトパックは何レベル向けだ?」
【レベル1~10向けです】
「間違っていないか?」
【間違っていません】
シオンはこめかみを押さえた。
『シオン、どうした。急に独り言を……』
「逆襲システムとやらが起動した。四百年遅れで」
『……は?』
「レベル999の俺に、レベル1向けのギフトパックを寄越してきた」
ルグナードは五秒ほど沈黙した後、盛大に噴き出した。
『ブフォッ——! 四百年遅れ!? レベル1向け!?』
「笑うな」
【チュートリアルクエストを発行します】
【このクエストは拒否できません】
【クエスト1:スライムを10体討伐せよ】
【クエスト2:ゴブリンを5体討伐せよ】
シオンは絶句した。
「……俺は魔王を倒した男だぞ」
【おめでとうございます】
「スライム狩りをしろと?」
【はい】
「レベル999の勇者王が?」
【はい】
「邪竜ヴォルザークを一刀で斬り、魔王を単騎で討った俺が?」
【はい】
「スライムを?」
【はい】
『シオン、システムに何を言われているんだ?』
「……スライムを十体倒せと」
ルグナードは盛大に吹き出した。
『ブハハハハ! 勇者王がスライム狩り! 歴史書に載せたい!』
「載せるな。絶対に載せるな」
シオンはシステムに向き直った。
「チュートリアルをスキップしろ」
【できません】
「俺はもう十分強い。チュートリアルは不要だ」
【チュートリアルは必須です】
「必須?」
【はい。チュートリアル完了後、メインクエストが解放されます】
「メインクエスト?」
【メインクエスト:クロード・レイサスを打倒せよ】
シオンの目が細まった。
クロード・レイサス。
確かに、村にいた頃は散々虐められた。「農民の分際で」と殴られ、蹴られ、泥を食わされた。
だが——
「クロードは四百年前に死んでいる」
【…………】
「村が魔王軍に襲われた時、逃げようとして魔物に食われた」
【…………】
「死者をどう打倒しろと?」
【クエストを完了してください】
「聞いているのか?」
【クエストを完了してください】
シオンは深呼吸した。
「クエストを変更しろ」
【できません】
「クエストを削除しろ」
【できません】
「システムを再起動しろ」
【クエストを完了してください】
「アンインストール」
【クエストを完了してください】
まるで壁に話しかけているようだ。
ふと、シオンは思いついた。
「システム、次元移動機能はあるか?」
【あります】
シオンの目が輝いた。
「日本に送ってくれ。元の世界だ」
【クエストを完了してください】
「先に送れ」
【クエストを完了してください】
「チュートリアルだけでも——」
【クエストを完了してください】
「スライムを倒せば送ってくれるのか?」
【チュートリアル完了後、メインクエストが解放されます】
【メインクエスト完了後、次元移動が解放されます】
つまり——スライムとゴブリンを狩り、その後で死んだ人間を「打倒」しなければ、日本には帰れない。
『シオン、顔色が悪いぞ』
「……このシステム、会話が成立しない」
『どうするんだ?』
シオンは長い溜息をついた。
日本に帰るためなら、スライム狩りくらいしてやる。
問題は、その後の「死者を打倒」という無理難題だ。
とりあえず、故郷に行ってクロードの生死を確認するしかない。万が一、まだ生きている可能性もある。この世界には不老の秘薬もあるのだから。
「ルグナード、まず初心者の森に寄ってくれ」
『……本気でスライム狩りをするのか?』
「チュートリアルを終わらせないと先に進めないらしい」
『勇者王がスライム狩り……四百年生きてきて、一番馬鹿らしい光景だな』
「言うな」




