第九章 残された謎
舟木隆の死について、公式に問題はなかった。
夜勤体制は基準を満たしていた。救急要請は行われ、医師は医学的に妥当な死因を記した。行政も監査も、記録の不備を指摘しなかった。書類は整い、時系列は破綻していない。
それでも、違和感は消えなかった。
誰が見ても異常な行為はない。暴力はなく、薬の過量投与もなく、明確な医療ミスも確認されない。にもかかわらず、舟木は死に至っている。
では、何が起きたのか。
記録を丹念に追うと、奇妙な空白が浮かび上がる。空白とは、未記載や欠落ではない。むしろ、すべてが記されているがゆえに、見えなくなった部分だった。
第一に、誰が最初に異変を認識したのかが、どこにも明確に示されていない。夜勤者、日勤者、看護師、誰もが「気づいていた可能性」はあるが、「判断した瞬間」は記録されていない。
第二に、医師への連絡が行われなかった理由が存在しない。連絡しないという判断は、誰かの裁量によって下されたはずだが、その判断自体は、記録上発生していない。
第三に、基準である。いつ、どの数値で、どの症状が出れば、誰が何をすべきだったのか。その基準はマニュアルとして存在するが、現場で適用された痕跡はない。
第四に、省略の連鎖である。一つひとつは合理的で、理解可能な省略。しかし、それらが連続した結果が、どの時点で不可逆になったのかは示されていない。
最後に、最も重要な点。
舟木隆が、翠松園の理事長であったという事実は、ケアにも記録にも、影響を与えていないことになっている。
誰も特別扱いをした形跡はない。だが、誰もが彼の素性を知っていた。その知識が判断に影響しなかったと、どうして断言できるのか。
三浦恒一は、記録を前にして考える。
――もし、舟木がただの無名の入所者だったら。 ――もし、舟木が入所者ではなく、職員だったら。
結果は同じだったのか。
この死に、犯人はいない。 だが、この死には、理由がある。
問題は、それが誰の意思でもなく、誰の責任にもならない形で成立しているという点だった。
謎は、事件の中にあるのではない。
謎は、制度と記録と日常の隙間に、静かに横たわっている。




