表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
指摘事項なし  作者: キロヒカ.オツマ―


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/31

第八章 最期の夜

その夜、翠松園は不思議なほど静かだった。


 面会時間は終わり、廊下の照明は落とされ、非常灯だけが淡く床を照らしている。空調の低い音と、遠くで鳴るナースコールが、夜の時間を刻んでいた。


 夜勤者は一人だった。いつもと同じ配置、いつもと同じ条件だ。違うのは、舟木隆の呼吸が、これまでになく浅く、速くなっていたことだけだった。


 午後十時。巡視の際、夜勤者は舟木の様子を確認した。目は閉じているが、胸の上下が大きい。喉元から、かすかな喘鳴が聞こえる。


「……寝ています」


 その判断に、確信はなかった。ただ、声をかけても反応が薄かったため、そう記録するしかなかった。


〈就寝中。呼吸音やや荒いが、大きな変化なし〉


 十一時過ぎ、ナースコールが鳴った。舟木の居室だった。夜勤者が駆けつけると、舟木は身体をよじり、左手で胸元を掴んでいる。口の端から、泡立った唾液が漏れていた。


 背中を叩く。体位を変える。咳き込みは一瞬強まったが、すぐに弱まった。


「落ち着きましたか」


 問いかけに、舟木は答えない。ただ、呼吸の間隔が不規則になっている。


 吸引器は廊下の収納にあった。だが、使用には判断が必要だった。夜勤者は時計を見た。別のユニットからもコールが鳴っている。


「少し、様子を……」


 その言葉は、途中で途切れた。


 午前零時過ぎ。再び巡視に入ったとき、舟木は仰向けのまま、動いていなかった。呼びかけても反応がない。呼吸音も聞こえない。


 慌てて看護師に連絡し、救急要請がなされた。救急隊が到着した時点で、心肺停止。蘇生は行われたが、反応は戻らなかった。


 死亡確認時刻は、午前一時二十二分。


 嘱託医が呼ばれ、状況が説明された。夜間の経過、呼吸状態、対応内容。すべては記録に基づいて語られる。


 医師は頷き、簡潔に告げた。


「誤嚥性肺炎でしょう」


 それ以外の言葉はなかった。


 死亡診断書が作成される。直接死因、誤嚥性肺炎。発症から死亡までの経過は「不詳」。


 誰も異議を唱えなかった。唱える材料が、どこにもなかったからだ。


 三浦恒一は、その夜の記録を入力した。


〈夜間帯、呼吸状態急変。救急要請するも死亡確認〉


 画面に表示されたその文章は、あまりにも整っていた。そこには、迷いも、ためらいも、躊躇も書かれていない。


 最期の夜に起きたことは、すべて記録された。


 ただし――


 起きなかったことについては、どこにも書かれていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ