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指摘事項なし  作者: キロヒカ.オツマ―


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第三十章 指摘事項なし

県から届いた文書は、薄かった。


表紙、チェックリスト、講評欄。枚数にして三枚。封筒を開けた三浦恒一は、その軽さに一瞬、拍子抜けした。重みがないという事実が、結果をすでに語っていた。


講評欄の最後の一行。


「本件について、重大な指摘事項は認められなかった」


文書は丁寧な言葉で構成されていた。記録の整合性、手続きの適正、医師指示の妥当性。どれも否定されていない。どれも肯定されているわけでもない。ただ、問題にしないと判断された、それだけだった。


三浦は、その一文を何度も読み返した。読み返すたびに、意味が削ぎ落とされていく。最後に残るのは、結論だけだった。


――指摘事項なし。


それは免罪ではない。祝福でもない。ただの処理結果だ。


翠松園では、いつも通りの朝が始まっていた。夜勤明けの職員が引き継ぎをし、食堂では配膳の準備が進む。新しい利用者の入所予定も、すでに決まっている。


その書類の中に、見覚えのある文言があった。


「誤嚥リスク高。要注意」


三浦は視線を外した。それ以上読む必要はなかった。どうせ、その注意は、どこにも着地しない。


舟木隆の死は、すでに過去の事例だ。 佐原義明の死も、同様に処理された。


二つの死は、正式に「問題ではなかった」ことになった。


三浦は、自分が何をしなかったのかを思い出そうとした。しかし、それは曖昧だった。何かを省いた記憶は、どれも決定的ではない。誰かが指示したわけでもない。止められたわけでもない。


ただ、流れがあった。


忙しさ。人手不足。前例。記録様式。妥当という言葉。


それらが重なり、判断を不要にしていった。


三浦は、文書をファイルに綴じた。ラベルには施設名と年度が印字されている。棚に戻せば、もう二度と開かれないだろう。


誰かが責任を問われることはない。 誰かが救われることもない。


それでも、施設は続く。


次の入所者は、また同じ説明を受ける。同じ同意書に署名し、同じベッドに横たわる。違うのは名前だけだ。


三浦は、窓の外を見た。中庭の松は、植えられたときと同じ形を保っている。剪定され、管理され、問題なく生きているように見えた。


――問題は、なかった。


そう結論づけることで、すべてが保たれる。


誰も悪くない。 誰も正しくない。


最後に残るのは、書類と、空いた部屋だけだ。


その部屋にも、やがて新しい名前が貼られる。


そしてまた、記録が始まる。

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