第三章 医学的に妥当
嘱託医の佐伯誠一は、翠松園を「問題の少ない施設」だと認識していた。
月に二度の定期往診。診察時間は一人あたり数分。血圧、脈拍、呼吸音、皮膚の状態。必要があれば採血を指示し、嚥下状態に不安があれば食形態の変更を提案する。それ以上のことを、彼は求められていなかったし、自ら求めようともしていなかった。
高齢者医療とは、そういうものだ――佐伯は長年そう理解してきた。全てを救うことはできない。むしろ、過剰な介入こそが害になる場合もある。だからこそ、彼は「妥当」という言葉を好んだ。
ある日の往診で、佐伯は一人の男性入所者のカルテに目を通した。要介護五。経口摂取は可能だが、誤嚥リスクあり。看護記録には「刻み食・トロミ付加」と明記されている。
「変わりありませんか」
問いかけに、看護師は即座に答えた。
「はい、特に」
それ以上の説明はなかった。だが、記録が整っている以上、疑う理由はない。佐伯は聴診器を胸に当て、肺音を確認した。雑音はない。発熱もない。
「このままで大丈夫でしょう」
彼はそう言って、指示欄にチェックを入れた。それが、その入所者に対する最後の診察になった。
数日後、その男性は誤嚥性肺炎で亡くなった。連絡を受けた佐伯は、特段の驚きを覚えなかった。経過としては不自然ではない。死亡診断書には、慣れた筆致で死因を書き入れた。
〈直接死因:誤嚥性肺炎〉
それが医学的に妥当であることを、彼自身が一番よく知っていた。
ただ一つ、気になる点がなかったわけではない。看護記録と介護記録の文言が、妙に似通っていることだ。「安眠」「変化なし」「様子観察」。どれも、どこかで見たことのある言葉ばかりだった。
だが佐伯は深く考えなかった。医師の仕事は、現場の全てを把握することではない。報告を前提に判断する。それが制度だ。
後日、県の指導監査にあたり、佐伯は意見照会を受けた。施設の医療対応について問われ、「特段の問題は認められない」と回答した。その文末に、彼はこう付け加えた。
〈医学的見地から見て、当該対応は妥当である〉
その一文は、施設にとって強力な盾になった。
さらに後になって、理事長の舟木隆が要介護状態となり、翠松園へ入所するという話を耳にしたとき、佐伯は一瞬だけ言葉を失った。だがすぐに、こう思い直した。
自分は医師だ。相手が誰であろうと、判断基準は同じだ。
その判断が、誰かを守り、誰かを切り捨てている可能性について、佐伯は考えなかった。考える必要がないように、制度はできている。
医学的に妥当である限り、問題は存在しない――それが、彼の信じる真実だった。




