表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
指摘事項なし  作者: キロヒカ.オツマ―


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/31

第三章 医学的に妥当

嘱託医の佐伯誠一は、翠松園を「問題の少ない施設」だと認識していた。


 月に二度の定期往診。診察時間は一人あたり数分。血圧、脈拍、呼吸音、皮膚の状態。必要があれば採血を指示し、嚥下状態に不安があれば食形態の変更を提案する。それ以上のことを、彼は求められていなかったし、自ら求めようともしていなかった。


 高齢者医療とは、そういうものだ――佐伯は長年そう理解してきた。全てを救うことはできない。むしろ、過剰な介入こそが害になる場合もある。だからこそ、彼は「妥当」という言葉を好んだ。


 ある日の往診で、佐伯は一人の男性入所者のカルテに目を通した。要介護五。経口摂取は可能だが、誤嚥リスクあり。看護記録には「刻み食・トロミ付加」と明記されている。


「変わりありませんか」


 問いかけに、看護師は即座に答えた。


「はい、特に」


 それ以上の説明はなかった。だが、記録が整っている以上、疑う理由はない。佐伯は聴診器を胸に当て、肺音を確認した。雑音はない。発熱もない。


「このままで大丈夫でしょう」


 彼はそう言って、指示欄にチェックを入れた。それが、その入所者に対する最後の診察になった。


 数日後、その男性は誤嚥性肺炎で亡くなった。連絡を受けた佐伯は、特段の驚きを覚えなかった。経過としては不自然ではない。死亡診断書には、慣れた筆致で死因を書き入れた。


〈直接死因:誤嚥性肺炎〉


 それが医学的に妥当であることを、彼自身が一番よく知っていた。


 ただ一つ、気になる点がなかったわけではない。看護記録と介護記録の文言が、妙に似通っていることだ。「安眠」「変化なし」「様子観察」。どれも、どこかで見たことのある言葉ばかりだった。


 だが佐伯は深く考えなかった。医師の仕事は、現場の全てを把握することではない。報告を前提に判断する。それが制度だ。


 後日、県の指導監査にあたり、佐伯は意見照会を受けた。施設の医療対応について問われ、「特段の問題は認められない」と回答した。その文末に、彼はこう付け加えた。


〈医学的見地から見て、当該対応は妥当である〉


 その一文は、施設にとって強力な盾になった。


 さらに後になって、理事長の舟木隆が要介護状態となり、翠松園へ入所するという話を耳にしたとき、佐伯は一瞬だけ言葉を失った。だがすぐに、こう思い直した。


 自分は医師だ。相手が誰であろうと、判断基準は同じだ。


 その判断が、誰かを守り、誰かを切り捨てている可能性について、佐伯は考えなかった。考える必要がないように、制度はできている。


 医学的に妥当である限り、問題は存在しない――それが、彼の信じる真実だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ