第二十八章(回想) 最初の入所
舟木隆が翠松園に入所した日の記録は、後から読み返すと奇妙なほど整っている。
発症から入所決定までの経緯、医師の診断書、要介護度認定の結果、家族(とされる代理人)の署名。いずれも不備はなく、行政書式としては理想的だった。三浦恒一は後年、その書類一式を見返しながら、違和感の正体を言語化できずにいた。
舟木は特別扱いを拒んだ。少なくとも記録上はそうなっている。「他の利用者と同じでいい」。入所面談時の発言として、そう記されていた。だが実際には、職員全員が知っていた。理事長であり、市会議員であり、この施設を作った人間だということを。
入所初日、ユニット会議では介護方針が淡々と共有された。誤嚥リスク高。全粥、刻み食、トロミ必須。夜間は特に注意。誰も異論を唱えなかった。唱える理由がなかったからだ。
だが、その「注意」は、具体的な手順には落とし込まれなかった。誰が、いつ、どこまで確認するのか。チェックリストは作られず、申し送りは口頭で済まされた。忙しいからではない。忙しいのは、いつものことだった。
三浦はこのとき、どこかで安堵していたのかもしれない。舟木が、制度の中にきちんと収まったことに。特別扱いされず、例外にならず、他の九十九人と同じ「利用者」になったことに。
数日後、刻み食は徐々に省略され始めた。厨房からは「人手が足りない」という声が上がり、現場では「本人が嫌がる」という理由が添えられた。記録には「摂取良好」とだけ書かれた。
口腔ケアも同様だった。実施したことになっていた。実施したかどうかは、誰も覚えていなかった。
それでも、問題は起きなかった。少なくとも、起きたことになっていなかった。バイタルは安定。事故報告なし。医師の往診では「現状維持」。
三浦は、ここで一つの基準が生まれたのだと、後になって理解する。
――この程度なら、問題にならない。
舟木隆の入所期間は、短かった。しかし、その短さこそが重要だった。長く続けば、どこかで破綻が露呈したかもしれない。だが、彼は破綻する前に死んだ。
そして死は、記録によって滑らかに処理された。
この入所が「最初」だった。
後に続く者たちは、皆、この形に沿って入ってきた。




