第二十五章 家族の違和感
佐原義明の姪を名乗る女性が翠松園を訪れたのは、死亡から三日後だった。平日の午後、面会受付の窓口は空いており、事務員は淡々と用件を聞いた。
「死亡の経過について、少し確認したいことがありまして」
声は低く、感情を抑えていた。悲嘆というより、整理の途中にある人間の声だった。書類の受け取りはすでに済んでいる。葬儀も終えた。その上で、残った疑問だけが彼女をここへ戻していた。
対応に出たのは施設長代行だった。応接室に通され、机の上に一式のコピーが置かれる。事故報告書、経過記録、家族説明メモ。いずれも、昨日確定したばかりの文書だった。
「こちらが当日の記録です」
施設長代行は、指でなぞるように時系列を追った。二十三時十分、ナースコール対応。零時五分、呼吸苦の訴え。零時二十分、救急要請。文書は滑らかだった。空白はない。
「叔父は、嚥下が悪いと聞いていました」 姪は、資料から目を上げずに言った。
「はい。医師からも注意指示が出ていました」
「それで……この日の食事形態は」
施設長代行は一瞬だけ間を置いた。だが、すぐに該当箇所を指した。
「刻み食、トロミあり。記録上はそうなっています」
記録上、という言葉が応接室に残った。姪は、それ以上踏み込まなかった。質問を続ければ、答えは必ず文書に戻ってくる。そのことを、彼女は直感的に理解していた。
「叔父は、亡くなる前に何か言っていましたか」
「特段の訴えはありませんでした。急変です」
急変。
姪は、そこで初めて顔を上げた。
「急変、というのは……いつからですか」
施設長代行は、資料の一行を指した。
「こちらの時点から、です」
それは、零時五分だった。
姪は小さく頷いた。それ以上の言葉はなかった。説明は尽くされた、という形式が完成していた。
帰り際、受付で三浦恒一とすれ違った。互いに会釈だけを交わす。姪は立ち止まり、振り返った。
「現場に、いらっしゃいましたか。あの夜」
不意の問いだった。
三浦は、答えるまでに一拍置いた。
「……夜勤者ではありません」
それは事実だった。だが、十分な答えではなかった。
姪はそれ以上聞かなかった。ただ一度、深く頭を下げた。
「お世話になりました」
その言葉が、三浦の胸に残った。感謝でも非難でもない、形式だけが残った挨拶だった。
姪が去った後、応接室の机に残されたコピーは回収された。違和感は、書類として残らない。
三浦は思った。
家族は、真実を知らないのではない。 知ろうとすると、必ず文書に行き当たるのだ。
そして文書は、すでに確定している。
違和感は、問われなかった疑問として、個人の内側にだけ沈殿する。
それが、この施設で起きることの、唯一の余韻だった。




