第十六章 記録の重なり
三浦は、二つの画面を並べて表示した。
一方は、舟木隆の最終月の介護記録。もう一方は、新しい入所者の直近一か月の記録だった。日付は違う。名前も違う。だが、文章の流れは、奇妙なほど似通っている。
〈食事摂取量やや低下。見守りにて対応〉 〈食事中、軽度むせ込みあり。経過観察〉 〈夜間、呼吸音荒い場面あり。様子観察〉
行を追うごとに、差異は消えていく。語尾、助詞、改行の位置。誰が書いたかは違うはずなのに、文体は同一だった。まるで、一つの文章が時間をずらして複製されているようだった。
三浦は、背中に冷たいものが走るのを感じた。
これは偶然ではない。だが、意図的でもない。
現場で共有されている「正しい書き方」が、職員の手を通して再生産されている。その結果、異なる人間の経過が、同じ物語に圧縮されていく。
舟木の記録の最後には、あの夜の文章がある。
〈夜間帯、呼吸状態急変。救急要請するも死亡確認〉
三浦は、その一文を、新しい入所者の画面に重ねて想像した。違和感はなかった。違和感がないこと自体が、異常だった。
職員同士の会話も、似てきている。
「この前の人と、ちょっと似てますね」
誰かがそう言い、別の誰かが笑って受け流す。
「高齢者施設なんて、みんな似たような経過ですよ」
その言葉は、安心をもたらすと同時に、思考を止める。
三浦は理解していた。記録が似ていくのは、手を抜いているからではない。むしろ逆だ。問題が起きないように、最も安全な表現を選び続けた結果なのだ。
だが、その安全は、個々の差異を消す。消えた差異の中にこそ、本来なら判断の根拠になるはずの兆しがあった。
新しい入所者の咳は、以前よりも深くなっている。夜間の呼吸音も、明らかに変わった。だが、それを記録に落とすとき、使える言葉は限られている。
〈以前より咳込み増加傾向。注意しながら対応〉
舟木の記録にも、同じ一文があった。
三浦は、画面を閉じた。
二つの記録が重なった瞬間、自分が何をしているのか、分からなくなったからだ。これは比較なのか、予測なのか。それとも、確認なのか。
はっきりしているのは一つだけだった。
この文章の先に、同じ結末が用意されている。
そして、その文章を書き続けているのは、自分たちだということだった。




