第十五章 三浦の沈黙
三浦は、言葉を選ばなくなっていた。
正確には、選ぶ必要がなくなっていた。必要な言葉は、すでに決まっている。現場で使われる語彙は限られており、その範囲から外れる言葉は、理解されないか、過剰だと受け取られる。
新しい入所者の状態について、朝の申し送りで触れられることはあった。食事量、咳き込み、夜間の様子。だが、それは報告であって、提案ではない。
「注意して見ていきましょう」
誰かがそう言うと、話題は次に移る。誰も反対しない。その必要がないからだ。
三浦は、ある瞬間を待っている自分に気づいていた。
――もう少し悪くなれば。
その考えが浮かんだとき、彼ははっきりと自覚した。自分はすでに、判断を先送りする側に回っている。止める人間ではなく、止まらない流れに合わせる人間になっている。
声を上げることはできた。嘱託医に直接連絡することも、看護師に強く進言することも、不可能ではない。
だが、その先が見えてしまっていた。
医師は指示を出すだろう。刻みを細かく、トロミを強く。見守りを強化する。それで何かが変わる保証はない。変わらなかった場合、その判断は誰のものになるのか。
三浦自身だ。
舟木隆の件が、頭をよぎる。あのときも、同じように考えた。結果はどうだったか。誰も責任を取らなかった。ただ一つ、違ったのは、彼自身が自分を疑い続ける立場に置かれたことだった。
沈黙は、安全だった。
少なくとも、組織の中では。何も言わなければ、間違ったことを言ったことにはならない。言わなかったことは、評価の対象にならない。
三浦は、その安全を選んだ。
記録を書く手は、以前よりも速くなっていた。迷いがないからだ。適切な文言を、適切な位置に配置する。それだけで、一日が終わる。
〈経過観察〉 〈大きな変化なし〉
その言葉が、盾になる。
夜、帰宅しても、三浦は何も考えないようにした。考えれば、言葉が浮かぶ。言葉が浮かべば、行動に結びつく可能性がある。それを避けた。
沈黙は、怠慢ではなかった。
計算だった。
自分が壊れないための、最低限の選択。
その選択が、何を犠牲にするのかを、彼は考えないことにした。




