第十一章 行政・警察の論理
行政が動いたのは、舟木隆の死から二週間後だった。
市高齢福祉課の担当者二名が、事前通知どおりの時間に翠松園を訪れた。目的は「死亡事案に関する確認」。監査ではない。指導でもない。ただの確認だった。
担当者は淡々と質問した。夜勤体制、看護配置、嘱託医の指示、救急要請の時刻。質問はチェックリストに沿っており、答えはすべて書類で用意されていた。
「記録上は、問題ありませんね」
その一言で、訪問は終わった。
警察も同様だった。通報は救急からなされ、所轄署の警察官が一度、施設に顔を出した。だが、事件性の有無を確認するだけだった。
遺体に外傷はない。争った形跡もない。医師の死亡診断書は明確で、死因は自然経過と一致している。
「高齢者施設では、よくあるケースです」
警察官はそう言い残し、深追いはしなかった。捜査を開始する理由が、どこにもなかったからだ。
行政と警察の論理は、よく似ている。
第一に、違反は書類で判断される。書類が整っていれば、問題は存在しない。
第二に、因果関係は証明可能でなければならない。省略や判断の遅れは、証明が困難である。
第三に、過失は個人に帰属しなければならない。組織的な曖昧さは、責任主体にならない。
そして最後に、誰も訴えていないという事実が、すべてを補強する。
三浦恒一は、担当者の背中を見送りながら思った。
この論理の中では、真実は重要ではない。
重要なのは、 ・規定が守られていること ・形式が整っていること ・異議が出ていないこと
それだけだった。
行政も警察も、嘘はついていない。ただ、見える範囲でしか物事を扱わない。
見えない部分――判断の躊躇、省略の積み重ね、空気の圧力――は、論理の外に置かれる。
だからこそ、この死は、どこにも引っかからない。
舟木隆の死は、
問題が起きなかった事例として処理された。
三浦は、その結論を否定できなかった。
否定するための言葉も、証拠も、制度の中には存在しなかったからだ。




