第十章 死後の処理
舟木隆の遺体は、夜明け前に施設を出た。
ストレッチャーが廊下を通るとき、カーテンはすべて閉められていた。早番の職員には「今朝、空床が一つ出ます」とだけ伝えられた。理由を問う者はいなかった。理由を知る必要も、知る権限もない。
家族はいなかった。戸籍上の配偶者も子もなく、身元引受人は法人だった。葬儀は簡素に、法人名義で手配された。参列者は理事数名と、形ばかりの弔問者だけだった。
死亡後の説明は、驚くほど事務的だった。
「誤嚥性肺炎です。高齢者にはよくある経過です」
その言葉で、すべてが完結する。問いが差し込まれる余地はない。遺族がいないという事実が、説明責任を最小化していた。
施設内では、緘口令のようなものは出なかった。ただ、「余計なことは言わないように」という曖昧な注意が、空気として共有された。
事故報告書は作成された。だが、その区分は「軽微な事故」。転倒や皮下出血と同列に並べられる扱いだった。
死亡事故でありながら、緊急性の高い報告案件には該当しない。その判断は、マニュアルに基づいている。
行政への報告書には、簡潔な経過が記された。
〈夜間帯、呼吸状態悪化。救急要請するも死亡確認〉
余分な形容は排され、判断の過程は書かれていない。事実だけが、事実として整えられる。
三浦恒一は、報告書に押された法人印を見つめていた。その朱色は、血の色を連想させるには、あまりに均一だった。
数日後、ベッドは清掃され、新しい入所者が入った。舟木が使っていた福祉用具は点検され、別の番号が振られる。
誰も彼の名前を口にしなくなった。名前を出す必要がなくなったからだ。
三浦は気づいていた。
死後の処理は、死そのものよりも早く、正確で、感情を伴わない。
それは、組織が最も得意とする行為だった。
舟木隆は、完全に処理された。
人としてではなく、
一件の事象として。




