第4章:思い出
通りは静まり返り、人の気配も死体も見当たらない。
ただ一人、神経質に銃を構える男の姿だけがあった。
彼の瞳には驚愕が浮かび、呼吸が速まっていることにすら気づいていない。
「…あり得ない…あいつらがここにいるわけない…ここは俺たちの検疫区域なのに…」
突然、男は激しい咳に襲われ、視界がぼやけていく。
「まさか…またかよ…」
彼は震える手でフィルターを確かめ、腕時計に目をやると身震いが止まらない。
しかし原因はフィルターでも空気の汚染でもなかった。
極度のストレスが、彼の呼吸を乱していたのだ。
「違う…のか?」
心臓の鼓動は激しく、先ほどの咳はフィルターや大気汚染ではなく、緊張から来ていると悟る。
男は頭を振り、右手側の建物へと向かう。
扉はいつものように塞がれていたが、こじ開ける代わりに近くの窓を割り、
ガラス片を銃床で払いのけてから、落ちた先の台所にあった家具を持ってきて窓を塞ぐ。
周囲を確認する余裕もなく、暗く狭い部屋を見つけると即座に身を潜めた。
「見たことのないマーク…ゴミひとつない通り…何なんだこれは?」
男の呼吸は相変わらず安定せず、まるでパニック発作が起きそうな気配さえある。
「落ち着け…大丈夫だ…」
男は大きく息を吸い、震える瞳をどうにか鎮めようとする。
パシン
男はマスク越しに両頬を叩き、鼓動を少し落ち着かせる。
しばし目を閉じ、初めて一息つくことができた。
この家がどんな場所かも分からないままではあるが…。
* * *
「ぎゃああっ! な、何だ…助けてくれぇ!」
茶髪の男と金髪の男が暮らすアパートの窓ガラスを突き破るように悲鳴が響く。
「何があった?」
ぼやけた視界の中、金髪の男が問いかける。
赤い雪のような物質が割れた窓から入り込み、茶髪の男は音もなく立ち上がっていた。
「聞こえてるか?」
金髪の男も立ち上がり、世界のぼやけが徐々に晴れていく。
彼らの身体には、いくつかの赤い雪の結晶が付着していた。
「うっ…!」
茶髪の男は黒ずんだ血を吐き出し、その顔の静脈が漆黒に染まる。
体がふらつきながら、金髪の男のほうへと歩み寄る。
「おい、大丈夫か?!」
金髪の男は慌てて駆け寄ろうとするが、激痛に襲われ動けなくなる。
彼の顔にも黒い血管が浮かび上がり、友人ほどではないが目は赤く濁り始めていた。
「くそ…っ!」
喉が焼けるように痛むが、茶髪の男はまるで平然と近づいてくる。
その様子はまるで猛獣が獲物を狙うかのようだ。
「下がれ! 下がってくれ、やめろ…ノオオッ!」
外の叫び声はますます増え、窓の外では人々が骨を砕き合うような凄惨な音がこだまする。
「うわああああっ!」
金髪の男が思考を取り戻す前に、茶髪の男に地面へ押し倒される。
その力は人間離れしており、身動きが取れない。
「何してんだよ?!」
相手は答えず、喉元に顎を近づけ、カチカチと鳴らす。
「ふざけんな…こんなの冗談になってないぞ!」
バキッ
「なんだと…?」
金髪の男は咄嗟に茶髪の男の頭を押し返したが、骨が軋むような音とともに頭が異様な方向に曲がる。
「大丈夫かよ、おい!」
首が変な角度になったまま、茶髪の男は血の涙を流しながら近づいてくる。
金髪の男の制止も無視し、唾液が腕時計に垂れていく。
「ふざけんな…消えろっ!」
金髪の男は渾身の力で脚を振り上げ、茶髪の男の胴を蹴り飛ばす。
相手は割れた窓際へと吹き飛ばされ、恐ろしい音を立てて転落する。
「うああっ!」
金髪の男は叫びながら立ち上がり、自分の姿が映る鏡など気にも留めず、窓へと駆け寄る。
彼の顔にも、友人と同じ黒い線が浮かび始めているのだが、それを自覚する前に窓の外を見下ろす。
だが、そこにいたのは悲鳴を上げる通行人ではなく、互いを食いちぎる無数の化け物の群れだった。
彼はその光景に言葉を失い、瞳が赤く染まると同時に意識を失っていく。
* * *
男は息をのみ、飛び起きる。
反射的に頭を上げたせいで、隠れていた物置の扉にぶつかってしまった。
「いってぇ…」
男はマスク越しに額をさすり、深いため息をつく。
「ただの夢…いや、寝ちまっただけか…」
こんにちは! 今回は少し短めの章でしたが、いかがでしたでしょうか。
いつもどおり、誤字や訳し間違い、不自然な表現などを見つけたら遠慮なく教えてくださいね。
それでは、皆さん、良い一日または良い夜をお過ごしください!