泥試合前夜6
ふたたび、食堂へ移動。
ドニたちの部屋では、パトリックが寝ている。彼を起こさない配慮だ。
「えっ? じゃあ、何? ベルナールが自分でブローチを隠していたの? しかも、僕が盗んだことにするために? なんで? なんで、そんなこと?」
混乱するドニと対照的に、ベルナールは意気消沈している。いつもの傲慢さの片鱗もない。
ワレサは皆の前で語った。
「あの状況でブローチを盗むことができるのは、一人だけです。ドニさまが一人でいるときにブローチを隠し、部屋に鍵をかけて出ていく。それしかない。
だけれど、ドニさまはご自分ではないとおっしゃる。では、誰にそれが可能だったのか? そう考えると、もう一人だけ、それのできる人がいるのです。
そう。ベルナールさまです。ベルナールさま。あなたが部屋を出たとき、たしかにブローチは卓上にあった。が、しかし、三人で部屋へ帰ったとき、あなたはまっさきに室内へ入ったそうですね。しかも、明かりをつける前から、まっすぐ机のほうへ歩いていった。そして、暗がりのなかでブローチがなくなっていると主張した。
なぜ、わかったのですか? いくら大粒の宝石でも、暗闇のなかでその存在を視認できるはずがありません。ブローチがそこにないことを、《《あなたは知っていた》》からではないですか?
いや、机に近づいたあなたは、手さぐりでブローチをつかむと、自身でそれを隠した。そのあと、さもなくなっているようにさわぎたてた。そうですよね?」
答えはない。
ベルナールはただ、うなだれている。
「ドニさまに責任を負わせたかったからですよね? 剣を三人ぶんも持たせれば、彼の歩調が遅れることはわかっていた。わざと帰りを遅れさせて、ドニさまだけが盗むことができる状況を作った。違いますか?」
ドニはさすがに怒ったようだ。顔を真っ赤にして、ベルナールにつかみかかっていく。
「なんで、そんなことをしたんだ! 僕が君に何かしたか? 怒ってるなら、ハッキリ言えばいいじゃないか! 友達をおとしいれるなんて、いつもの君のやりくちじゃない」
犯人は捕まえたし、問題は解決した。盗難がベルナールの自作自演なら、誰もとがめられることはない。一件落着だ。
ベルナールがみんなから責められて恥をかくのも、ドニとの友情がこわれるのも、ワレサには関係ない。そう思っていた。
ところが、そのとき、だまってワレサの腕をつかむ者があった。ふりかえると、ジェイムズだ。
「なんでしょうか?」
「このままじゃ二人がケンカしてしまう。なんとかならないかな?」
「それは、いたしかたないのでは? ベルナールさまが悪いのですし」
「でもきっと、わけがあったはずなんだ。そのわけさえわかれば」
ジェイムズはルーシサスの幼なじみだ。ワレサがアウティグル家にひきとられるまで、ルーシサスの親友はジェイムズだった。
ワレサにとってはジャマなライバルだ。ワレサ自身は丁重な態度をくずさないよう用心していたものの、ルーシサスには彼と絶交するよう宣言させた。ルーシサスの前から消えてほしかったからだ。
なのに、なぜ、彼はわけへだてなく、ワレサに接することができるのだろうか?
もちろん、ワレサがルーシサスにしていることを知らないせいだとは思う。ワレサの本性を知らないからだ。
ジェイムズのそういうところが気に食わない。純粋で、公正で、誰にでも優しい。
ジェイムズのまっすぐな瞳に見つめられると、ワレサは自分が泥だらけなんだと見透かされているようで居心地が悪い。
(ああ、そうか。だから、おれは泥試合が嫌いなんだ)
そうでなくても、ワレサの人生はすでに泥だらけなのに、そのさまを人前にさらすなんて、自分にはできない。無邪気に泥にまみれて遊ぶことができるのは、彼らの心が少しも汚れていないからだ。それを見せつけられるようで、気分が悪いのだと。
「頼むよ。ワレサ。なんとかならないか?」
「…………」
ワレサは嘆息した。
なぜだか、途方もない敗北感をおぼえる。
「……理由なんて決まっているではないですか。ベルナールさまは先日、ラ・ギヴォワール侯爵さまの手紙を受けとってから、ご機嫌が悪かったのでしょう? 廃嫡されたのではないですか? だからといって、なぜ、ドニさまを盗人にしようとしたのか、その理由まではわかりませんが。まあ、腹いせでしょうか?」
瞬間、しんと室内が静まりかえった。ワレサには、なぜ、みんなの顔がひきつるのかわからない。
「おや、おかしなことを言いましたか?」
「いや……そんなこと考えつきもしなかったから」
「だって、ラ・ギヴォワールさまはまだ四十代です。長年お子さまに恵まれなかったから、養子縁組の取り決めとなっているのでしょうが、そのお年なら、実子ができないことはありません」
すると、急にベルナールが肩をふるわせて泣きだした。どうやら、ワレサの導きだした答えは正しかったようだ。
「そうだよ。奥さまが懐妊なさったんだ。だから、嫡子の件はなかったことにして、これから生まれる子の後見人になってくれないかと。僕に赤ん坊のお遊び相手になってくれって言うんだ」
一族の長か、その後見役かでは、天地の差がある。ベルナールは栄光への階段をのぼる途中で、とつぜん、足をすべらせた。
あるいは、これまで自分がとりまきたちにしてきた数々のワガママを思い浮かべたのかもしれない。いつも機嫌をとられる側だった彼が、今度は機嫌をとる側になったのだ。
ワレサが彼の立場でも絶望したと思う。
「だからと言って、やつあたりなんて、子どもっぽいマネをされましたね」
ワレサとしては同情の言葉だったのだが、ベルナールは激昂した。
「やつあたりなんかじゃない!」
「では、なぜですか?」
ワレサの問いに、ドニも乗ってくる。
「ベルナール。教えてくれ。なぜ、パトリックじゃなく、僕に罪を着せようとしたんだ? 僕は君のこと、ほんとの友達だと思ってたのに」
問いつめられたベルナールは泣きだした。
「友達だからだよ。僕が次期侯爵でなくなれば、君が離れていくと思った……だから、だから……君の弱みをにぎって、一生、僕から離れられないようにしてやろうと……」
ワレサはハッとした。
ベルナールのその感情は、とてもよく理解できるものだった。いや、むしろ、ワレサがルーシサスに対してしていることそのものだ。
おどして、縛りつけて、天使の羽に楔を打って、自身のそばにつなぎとめている。
それは、いびつな愛。
ほんとの友情とは言いがたい。
すると、ドニがベルナールの頬を平手でぶった。パチンと見事な音がする。
「ドニ。乱暴はやめたまえ」と、寮長が止めるまでもなく、ドニの目からも涙があふれる。
「君はバカだ。弱みなんてにぎらなくても、僕らは一生、友達だろ? そんなこともわからなかったのか?」
「ドニ……」
「みんなが離れていったとしても、僕はずっと君のそばにいるよ」
「ごめん。ごめんよ」
両手をかさねて泣きじゃくる二人を見て、ワレサはそっと退室した。
自室へ帰ると、ルーシサスは眠っていた。
寝顔はやはり、天使だ。
泥をあびせて、ワレサと同じ生き物にしてやったはずなのに、それでも、こんなに美しい。
「おまえはおれのものだよ。誰にも渡さない」
そっと指さきにふれると、ルーシサスはその手をにぎりかえしてきた。ただの無意識の反応にすぎないのだろうけど……。