狼男の求愛1
皇都は夏だ。
ユイラ皇国の夏はとても爽やかで、気温も春と大差なく、すごしやすい。ただ空の色だけ底抜けに明るい。
いつものように、貴婦人たちとの浮ついた恋に飽きたワレスは、後見人のジョスリーヌの屋敷をおとずれた。
すると気まぐれな女侯爵ジョスリーヌは、開口一番、こう言った。
「ねえ、ワレス。人間が夜になると恐ろしい化け物に変身するなんてこと、あると思う?」
「はっ? また変なことを言いだしたな」
この後見人は寛容で気前がいいのだが、ときどき、ひじょうにやっかいな話題を持ちだす。もしかして、しばらく彼女の前に姿を現さなかったことへの腹いせだろうかとすら勘ぐる。
「そんなことあるわけないだろう? 人間は人間だ。化け物になんてならない。人間に生まれてしまったかぎり、一生、人間だ」
「そうよね。わたくしもそう思うわ」
侯爵家の酒蔵から勝手に持ってきた極上のブドウ酒をグラスにあけながら、ワレスはこれから自身にふりかかる面倒を思い、ため息をつく。
せっかく、薔薇の咲きほこる庭からの心地よい風を受け、怠惰に酒に溺れることができると考えていたのに。
「そう思うなら、何も悩む必要はないじゃないか?」
「でもね。ポレットが言うには、彼が変身した瞬間を見たって言うのよね」
「…………」
やはりまた、そうなるのか?
今ならなんとか、まわれ右して、この部屋から出ていくことはできるだろうか?
たとえば、唇にあてかけたグラスをおろし、中身をボトルに入れ、何もなかったことにすれば、それをあける前まで時間が戻ってくれるとか?
しかし、馥郁たる香りを放つブドウ酒は、もう瓶のなかへは返せない。一度封を切った酒は酸化が始まるからだ。すぎた時もまた、戻らない。
「わかったよ。ポレットって誰だ?」
「わたくしのイトコよ」
「またイトコか。国じゅうにいったい何百人のイトコがいるんだ?」
「さあ。わたくしにもわかりません。何しろ一族の数が多いもの」
皮肉も通じない。
「それで、イトコがなんて?」
「ポレットはわたしより、うんと年上なのよ。今年十八になる娘がいるの」
「ああ、そう」
ジョスリーヌは推定だが三十代のなかばだ。十代で結婚していれば、そのくらいの年の娘がいても不思議ではない。イトコがうんと年上かどうかは疑問だ。単に年齢をごまかすための言いわけだろう。
「それで、人間が変身する話はいつ始まるんだ?」
「今からよ。ポレットの娘はアマンディーヌと言うんだけど、舞踏会で、ある男性と知りあったらしいの」
「わかった。その男が化け物に変身するんだな」
ワレスは冗談のつもりで言ったのだが、あっけなくも、ジョスリーヌは首肯した。
「そうらしいのよね」
「えっ?」
「昼間はむしろ華奢な美青年なんだけど、夜になると体じゅうが毛だらけの狼になって、屋敷をウロつきまわるのだそうよ」
真顔のジョスリーヌをつかのま見つめる。
「……本気で言ってるのか?」
「わたくしはポレットが言ったことをそのまま伝えているだけ」
「じゃあ、そのポレットがウソつきなんだ」
「ところがね。ポレットは子どものころからお行儀ばっかり気にする堅苦しい人で、わたくしと気があわなかったわ」
「なるほど」
それは自由奔放なジョスリーヌとはあわないだろう。
「あら、何がおかしいの? ワレス」
「いや。堅物の貴婦人がそんなつまらないウソをつくはずがないな。当人はほんとに見たと信じているんだ」
「どう? 気になる?」
「ああ」
「よかったわ。では、これから出かけましょ?」
「どこへ?」
「ポレットの屋敷へ」
まあ、そうなるだろうことは予測していた。
ワレスはグラスにそそいだブドウ酒を、急いで飲みほした。
*
一刻後には、ポレットの屋敷にいた。ポレットの嫁ぎさきのル・バルビエ伯爵家だ。皇都のやや北の端にある。
ポレットは一族の長を大げさに歓待した。人のよさそうな丸顔の女だが、顔色が少し悪い。気苦労がありそうだ。
「よく来てくださったわね。ジョスリーヌ」
「イトコが困っているんですもの。当然よ」
「ありがとう。ほんとに心強いわ」
女たちの社交辞令をながめながら、ワレスは周囲を観察する。庭は手入れされ、邸内の銀の燭台もピカピカだ。ひとめで裕福な家庭であるとわかる。
「ポレット。手紙のお話のことで、彼が相談に乗ってくれるわ。くわしく話してくれないかしら?」
ワレスたちは庭の見える客間に案内された。そこで窓ぎわの丸テーブルの席につき、人間が狼に変わるという話を聞かされた。




