スーパーカー
「教頭は毎日スーパーカーで通勤している」というのは教員間で周知の事実……らしい。
らしい、という言い方をしたのは、私自身、教頭の通勤する姿を目撃したことがなく、(私はついこの間赴任したばかりでもある)私にとってはそれがちっとも周知の事実ではないことに由来する。
私はヒラの社会科教員である。車にはそこまで詳しいわけではない、が、スーパーカー、と聞くと(ちょっと見てみたいな)と感じるくらいには好きだ。
教頭は学校の戸締まりを担当することもあって、基本的には学校に朝早く一番乗りする。また、帰宅も先生方の中で一番最後になる。私は残業をなるべく残さないような働き方を心がけているのもあって、ふだん、教頭が帰るよりはずいぶん先に帰ってしまっている。
いちおう、おそらく教頭用とおぼしき駐車スペースは存在している(車止めブロックの後ろに「教頭」と書かれた立て札が立っている)ものの、いつもそこは空いている。
そんなこともあって、私は一度も教頭の通勤、および教頭のスーパーカーに出くわしたことがない。もしかして……奥さんがいつも迎えに来ている、とかだろうか。それか、別の駐車場をどこかに借りているか。
……しかし、あの教頭がスーパーカーに乗っているとは。かなり意外だ。
上司・部下の関係というのもあって、教頭と学校内で話したことは何度もある。
教頭はどんなときでも落ち着いている。まるでお坊さんのように穏やかな性格だ。とはいえ、緊急事態には冷静に的確な対応をする敏腕さを併せ持ってはいたりして。
見た目は柔和そのもの。男性にしては少し長めの白髪のヘアスタイルに、笑うと目じりに優しそうなしわができる。肌は比較的白い。そして少し厚めの丸眼鏡。
趣味はハイキングとバードウォッチング、あとは将棋と言っていた。渋い好みだ。
家の場所もそのとき聞いた、が、この高校からはかなり離れていて、歩いて通うには無理がある場所だったのを覚えている。近くに駅がないのもあって、家が遠い場所にあると、車以外の手段でこの高校に来るとなるとなかなか難しいはずである。
さて、私は今日、教頭の帰宅を目撃すべく、いつもよりもダラダラと仕事を進めた。とはいえ、日頃の積み重ねもあって、他の教員全員が帰宅するよりはずいぶん前に今日の分をし終えてしまったので、デスクで熱いお茶をゆっくり少しずつ飲んだりして文字通りお茶を濁し、教頭以外の先生たちがみんな帰ってしまうのを待った。
そしてとうとう、職員室に残っているのは私と教頭の二人きりになった。
「おや。珍しいですね、斎藤くんがこの時間まで残っているのは。」
「ちょっと成績入力の方でひどいミスをしてしまって……。でももう終わります。」
「お疲れ様。大変でしたね。職員玄関以外の戸締まりは終わってますから、あとは出るだけです。」
私はパソコンの電源を落とし、荷物を持って職員室をあとにした。教頭は私が出たのを確認して部屋の鍵を閉める。
今更だが、やはりヒラとは違い、教頭というのは大変な仕事なのだなと感じた。帰宅がここまで遅くても、終わるまで待たねばならないとは。
外に出るともう真っ暗だった。21時ともなると当たり前か。
私は教員駐車場に向かう。と、教頭は私の横に並んで同方向に歩いていた。ということはやはり、教頭の奥さんが、あの教頭用とおぼしきスペースにスーパーカーを停めて待っているのか。いや、しかし教頭は特に奥さんに連絡をしているようなそぶりは無かったはず。今日は帰宅時間としてはかなり遅めのはずで、連絡がないと長く待たせてしまうことになるのでは?
……しかし、教員駐車場に到着すると、教頭用スペースはやはり空いていた。これはどういうことか。
教頭は自身のとおぼしき駐車スペースの前に着くと、そのまま歩みを止めた。と、突然教頭は親指と中指とを口に咥え、
ピーッッ!!!
と豪快に指笛を吹いた。
すると、遠くの方からなにやらバサバサした音が聞こえだした。
音とともに、なにやら空に黒い影が。だんだんと大きくなりながらこちらに近づいてきた。
バサッ、バサッ。
その黒い影は、とうとう教頭の駐車スペースの直上に。大きな翼を動かしてホバリングしつつ、ゆっくりと降りてきた。
ほとんど車くらいの大きさのソレの正体は………カラスだった。
教頭は唖然とする私に向けて、
「では、お先に失礼します。明日も頑張りましょう。」
と挨拶すると、乗馬で馬にまたがるのと同じような感じで、ヒラリと巨大カラスの背にまたがった。
カラスは
「カーッ!!!」
と、大きく一鳴きすると、さっきと同じように翼をバサバサさせた。カラス(とその背に乗った教頭)の姿は、あっという間に彼方に消えていった。
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教頭があの巨大カラスと出会ったのは、数年前、自宅近くの山でバードウォッチングをしていた時のことだったらしい。普通はあんなものと出くわしたら焦ってすぐ逃げ出しそうなものだが、教頭は持ち前の冷静さでもって、カラスを見ても驚かずに、それどころかニコニコ笑いながら、カラスに、自分のおやつにするつもりだった菓子パンを与えたりした。それ以来、カラスはあそこまで教頭になついた、とのこと。
スーパーカー、というのは教頭があのカラスに付けた名前で、
すごい=スーパー
鳴き声=カー
という、正直「それはどうなんだ?」と思うようなネーミングセンスに基づく命名だった。
この高校の教員間では「新しく赴任した先生にはあえて教頭の通勤の詳細は伝えないでおく。」というのが暗黙の了解となっていた。なんでも、「新しい先生が教頭のカラスを目撃した次の日の、その先生が学校に来た時のリアクションを楽しみたい」という趣向のようだ。迷惑極まりない……ようで、たしかに逆の立場だったら私もそうするだろうな、という気がするのであまり強くは言えない。
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はてさて、最近、私の帰宅は以前よりかなり遅くなった。教頭と親睦を深めるために、戸締まり業務を肩代わりするなどしているからだ。
なぜそんなことをしているのか?
そう、私は知ってしまったのである。「教頭とすごく親しくなると、たまにスーパーカーに乗せてもらえるようになる。」ということを。
さいわい、この教頭は人間的にもなかなか尊敬できる存在だ。人としての成長とカラス搭乗権の一石二鳥を狙い、私は日々、教頭と積極的に関わろうとつとめるのである。めでたしめでたし。