episode.3
図書館の最寄駅で高宮さんが来るのを待っていた。時計の針は午後9時を過ぎたところだった。ヘッドライトの明かりがロータリーの時計に反射する。数台通り過ぎたところで一台のセダンが私の目の前に停車した。助手席側のウィンドウが半分ほど開くと、高宮さんがこちらをのぞくのが見えた。
「結衣さん、お待たせ。乗って」
言われるがまま助手席のドアを開け、高宮さんの隣に乗り込んだ。シートは革張りで内装も高級感がある。
「少し話がしたいんだけど、このまま横浜の方まで走らせていいかな?」
「は、はい! 大丈夫です!」
「そんなに緊張しなくていいよ。この前みたいに結衣さんが嫌がることはしないから」
高宮さんに触られるのが嫌だった訳ではないのに、勘違いをして気を遣わせてしまっている…。今日は私もちゃんと高宮さんに思ってることや聞きたいこと話さなきゃ。
ゆっくりと駅のロータリーを出ると車は横浜方面へと進む。車内は地元のラジオ局が番組が小音で流れ、ノリの良い夏に聴きたいJ-POP特集のメロディが聞こえて来る。横須賀から逗子、朝比奈、港南台を過ぎた。その間、高宮さんは時折窓の外に目をやるだけで、会話らしい会話にはならなかった。
「あ、あの高宮さん…。昨日のことなんですけど、私別に嫌だったわけじゃなくて、その…職場の近くだったし…人の目が気になって、すみません。…覚悟が足りなかったって反省してます」
「えっと…何の覚悟かな?」
高宮さんは、おかしそうに笑うとハンドルを持ち替え、あいた手で私の手を優しくにぎる。その姿にギュッと胸を掴まれた気持ちになる。
「改まって聞かれるとちょっと後ろめたいといいますか…言葉にするのがはばかられるといいますか…」
「どういうこと?」
「その…高宮さんにとって都合のいい相手になる覚悟です」
高宮さんはその言葉を聞くと盛大にため息をつき、速度を落として路肩に停めハザードをたく。ど、どうしよう…私、何かまずいこと言っちゃったかな。
高宮さんがハンドルにうなだれこちらを向く。
「都合のいい相手って…ごめん。俺、なんか勘違いさせるようなことしたかな?」
「え? 勘違い?」
状況がのみこめない私は、いきなり告白されたこと、それから連絡全然取れないこと、別れるとき『また』って言わないこととか、色々疑問に思ってることを全て高宮さんに伝えた。
「俺、本気で君のこと大切にしたいと思ってるんだけど…ごめん、不安にさせた」
ハンドルに突っ伏して動かない高宮さんになぜか触れたくなり手を伸ばす。高宮さんが私に気付き、その手を掴まれた。2人の間に少しの沈黙が流れ息が詰まりそうになる。
「やっぱり、抱きしめてもいいかな?」
高宮さんは私の目を見て少し躊躇いがちに尋ねる。私は声にならない声で返事をした。彼がゆっくりと私の手を引き、2人の距離が少しずつ近づいていく。すっと通った鼻筋や少し長めのまつ毛、あまりにも整い過ぎて見ていられなくて目をそらす。
高宮さんの引く手に力が入ったかと思うと、そのまま彼の胸に閉じ込められた。私の身体をすくうように少しだけ力が入り高宮さんの身体に密着した。高宮さんの身体からは規則正しい心臓の鼓動が聞こえてくる。僅かな時間、そのリズムに身体がふわふわとした感覚に陥る。
「結衣…」
高宮さんの身体が離れ、私の頬から耳にかけて彼の優しい手が輪郭をなぞった。くすぐったいような、身体がうずうずするような感覚に、自分の頬を擦り寄せた。
これって、キスされるってことかな? 停止しそうな思考の中ぼんやりと意識する。ゆっくりと目を閉じると、頭上からチュッと小さなリップ音が聞こえ、おでこからじんわり熱を感じる。
「唇だと思ったのに…」
おでこを押さえふと本音が溢れると、高宮さんはするりと私の後頭部に手を回した。
「君が煽ったんだからね」
高宮さんが私の唇を軽く塞いだ後、啄むように何度も何度も私の唇を舐めとる。息をしようとしても、そんな余裕を与えられることはなくキスで溺れそうになり、高宮さんのワイシャツを掴む。
「あっ…た、かみ…や…さん…。くる…し…はぁ」
必死の訴えも今の高宮さんには聞き入れてもらえない。だらしなく開いた私の唇を高宮さんの舌がなぞる。ぬるっと温かな感触が口内を痺れさせた。彼の舌先が私の中を一つ一つ確かめているようだった。キスは激しくなる一方で、私はいよいよ自分の身体を支えられなくなり力が抜けたことで解放された。
「はぁ…は…ぁ。高宮…さん…」
「俺が本気って信じてもらえた?」
高宮さんがゆっくり私の背中をさすってくれている。包み込むようなその大きな手は私の呼吸が落ち着くまで待ってくれているようだ。私は顔をあげようと身体から離れようとすると、力強く抱きしめられる。
「…高宮さん?」
「はぁ、ごめん。今、俺、多分ヤバい顔してるから見ないで」
初めは規則正しかった高宮さんの心臓が、今は私と変わらないくらい早くなっていることに身体の奥がキュンとした。