東堂の憂鬱
結衣さんを喜ばせたくて、「風情がある宿でのんびり休日を過ごしたい」と言っていた彼女を京都まで連れてきた。一応、俺の快気祝いという名目で彼女も付き合ってくれていた。
…律を思っている彼女は、いつも健気で困っていれば助けてあげたくなる…。裏表のない性格で、誰にでも親切な彼女だからこそ、俺にも嫌な顔ひとつせず付き合ってくれる。
ふと、律よりも早く俺が出会っていれば…なんて、淡い期待をいつもしてしまう。現実は何も変わらないのに…。
「結衣さん…着きましたよ」
数年ぶりに母の実家にやってきた。高校を卒業してから、広島の実家には帰っていない。しかし、ここにはたまにふらっと顔を出す。広島ではあまり折り合いが合わずいい思い出がないが、ここは事あるごとに幼少期よく世話になった。
みんな世話焼きでうるさいが、裏表なく俺を一人の人間として扱ってくれていた。
九十九は、小さい頃から厳しくもあり優しくもあった。
「彼女さんですか?」
「いや、そうしたいのはやまやまなんだけど、親友の彼女」
「まぁ、間違いだけは起こさないでくださいね。一生後悔しますよ」
ごもっとも。風呂に入って、夜風に当たっていると、九十九が馴染みの地酒を運んできた。
「お食事、用意しますね」
「あぁ、よろしく頼むよ」
「あんまり飲みすぎないようになさいませ。怪我に障ります」
「ありがとう」
湯上がりの酒は思いの外すすみ、結衣さんが訪ねてくるころには少し気が緩んでいた。久しぶりに飲んだからか…結衣さんがいるはずもない場所にいることに緊張しているからか…。
浴衣姿の結衣さんは、俺を誘っているかと錯覚を起こさせるくらい艶っぽい。
『一生後悔しますよ』
九十九の言葉が脳裏をよぎり、自制心をなんとか取り戻した。
「美味しい! 東堂さんも早く召し上がって下さい」
自制はしたものの、先程から美味しそうにご飯を食べる浴衣姿の結衣さんから目が離せなくなっていた。
「あぁ、いただきます」
「東堂さんって、箸の使い方とか…なんてゆうか『所作』がいつ見ても美しいですよね。私も見習わなきゃ」
なんだかんだ話が弾み楽しい時間を過ごすことができたが、結衣さんは途中からうとうととお酒のせいか疲れのせいか、今にも寝落ちてしまいそうだった。
「結衣さん、そろそろ部屋に戻りましょう」
「……」
声をかけたときには机に突っ伏して、すーすーと心地よい寝息を立てていた。さすがに机で寝かすわけにもいかず、部屋まで連れて行こうと声をかける。
しかし、一向に起きる気配もない。どうしたもんかと考えていると、不意に浴衣の袖を掴まれた。
「…そばに…いてくだ…さ…い…」
消え入るような寝言を呟くと、ほほを涙が伝った。込み上げてくる思いを必死に抑えて、結衣さんを抱き抱え布団まで連れて行く。
暗がりの中、布団にそっとおろし涙を指で拭う。お酒のせいで紅潮したほほ、はだけた浴衣、アップにした髪…全てが俺を誘う甘い蜜のようだった。
ほほを撫でると、嬉しそうに擦り寄ってくる姿はなつきそうでなつかない自由奔放なネコのようだった。
唇が目に留まると、少しだけ…と魔がさした…。結衣さんに覆い被さると、ゆっくりと唇を近づけた。
吐息がかかる距離まで来たとき
「…か…みや…さ…」
結衣さんの唇から、律の名前が漏れた。一瞬で現実に引き戻され、結衣さんの横に倒れ込んだ。
「何やってんだ…俺…」
次の日の朝、結衣さんが慌てて俺を探していると聞き部屋に戻った。
「結衣さん、おはよう」
「と…東堂さん! ごめんなさい! 私酔っ払ってそのまま居座ってしまったみたいで。九十九さんが東堂さんには別の部屋を用意したって聞いて! 本当にごめんなさい」
「ゆっくり出来たみたいでよかった」
寝癖がついてることも気づかず、俺のことを探してくれていたなんて…。
「あ、東堂さん! そんなに笑って、私昨日何かしでかしました!?」
「いや、今日も可愛いなぁと思って」
キョトンとする結衣さんを見て、当分は諦められなさそうなことを覚悟した日だった。




