episode.2
サマーフェスタの熱烈告白から早1週間が過ぎ去ろうしていた。高宮さんとはあれからメッセージアプリのID交換はしたものの、一度もスマホが鳴ったことはなかった。熱に浮かされて夢でも見ていたのか…
釣った魚に餌はやらないタイプ? そもそも冷静になったら違ったとかなっちゃった?? ぐるぐるとよからぬ妄想ばかりが次から次へと脳裏をよぎる。
そう言えば、あのあと護衛艦見学に向かうことを伝えると、その格好では艦内への立ち入りは許可できません。と叱られてしまった。もともとサマーフェスタ仕様では無かったのは確かだが、男目当てと勘違いされてもおかしくは無かった。
ちなみに電話番号の書かれた紙も、何やかんや理由をつけて没収されてしまった。高宮さんは一体私の何処が気に入ってくれたのだろうか? 考えれば考えるほど腑に落ちない。ましてや真面目を絵に描いたような人に。
護衛艦見学は諦め、売店や演習コーナーを回りながら、お互いのことを少し話してその日は別れたのだった。高宮律さんは私の5つ年上の31歳で、海上自衛隊で医官というお仕事をされているらしい。
「三雲さん、そろそろ休憩してきて」
「はーい。ここ片付けたら行きます」
ずらっとならんだ本棚に所定の本を差し込む。天井まで伸びる大きな窓ガラスから、夏の日差しがギラギラと降り注ぎ見ているだけで目眩がしそう。基地から程近いこの図書館には海上自衛隊関連の書籍や雑誌のコーナーがあり、何度か特集を組んだこともある。
護衛艦を背景に女性自衛官が表紙を飾っていた。それに見合うフォントで『国を守る仕事』と書かれている表紙が目に飛び込む。思わず雑誌を手に取るとパラパラとページをめくっていく。
特集ページには海上自衛隊の仕事について書かれていた。『海上自衛隊は、国内外で災害が発生した場合には、災害派遣や国際緊急援助活動に従事し、被災者や遭難した船舶・航空機の捜索・救助、水防、医療、防疫、給水、人員や物資の輸送といった、様々な活動を行っています。』
その他、日米合同訓練や演習、オーストラリア軍やインド海軍とも共同でその安全を守っていると書かれていた。
国を守る仕事ってすごいことなんだな。と今まで興味のなかった海上自衛隊というお仕事にいつの間にか惹かれると同時に、高宮さんに会いたい気持ちが募っていった。
図書館のテラスに出ると、スマホを取り出しメッセージアプリを開く。『連絡下さい』と一言送信する。案の定、数日たっても既読の表示にはならなかった。
『今、何処にいますか?』
急にメッセージが届いたのは夏休みもあと少しになってからだった。私は思わずスマホを取り落とす所だった。
「びっくりした! 三雲さん、大丈夫? なんかあった?」
「い、いえ、大丈夫です!」
今、何処と聞かれても! 何て返すべき? スマホと5分ばかり睨めっこをした後、とりあえず図書館名を打って、仕事であることを伝えて、ついでに今日の勤務時間を送信した。今日は早番だったから、16時半までの勤務。仕事が終わり次第、もう一度連絡をしよう。
『了解』と短めな返信を確認すると、いつも通り午後の勤務についた。3週間ぶりの連絡に足取りも軽くなる。何度も腕時計を確認している自分も嫌いではない。
腕時計が15時を指しているのを確認した。退勤の時間も目の前まで来た。カウンター越しに図書館の入り口に目をやると、そこにはいるはずもない高宮さんの姿が!! 高宮さんが自動ドアを通り、海風に煽られた前髪を掻き上げる仕草に胸がギュッと締め付けられ、一瞬息をするのを忘れていた。
「貸し出しお願いします。」と利用者の方が本をカウンターに持ってこられた。私は深呼吸をしてから貸し出し業務に取り掛かる。本のバーコードを読み取り、破損がないか軽く確認をしてから利用者に本を手渡した。
「9月3日まで、7冊の貸し出しですね。またのご利用を」
と笑顔で見送る。高宮さんが先程までいた場所を見るが、そこには彼の姿はもうなかった。キョロキョロと辺りを見回すと、向かいの読書コーナーで新聞を広げている彼を見つけた。私の視線に気づいたようで、新聞から顔を上げて小さく手を振ると、また新聞に目を落とした。
待っててくれるってことかな? 私は次々と来る貸し出し利用者をさばき、合間に返却作業も行った。毎日働いている職場に高宮さんがいると思うだけで、何だか全然別の場所に感じた。夕方のピークを過ぎた頃には勤務時間を10分過ぎたところだった。
「三雲さん、お疲れ様。あと引き継ぎします」
「ありがとうございます。お疲れ様でした」
急いでロッカー室でエプロンをとり、服装と髪型を確認する。仕事モードなので、今日は露出の少ないパンツスタイルだった。高宮さんに会えるならもっとおしゃれしてくればよかった! 髪を少し高い位置に結び直し、大ぶりなシュシュをつける。前髪を整えて、少し明るめのリップを塗り直した。覚悟を決めロッカーを閉めると、裏口から図書館の入り口に向かう。
「高宮さん!」
彼は私の呼びかけに気付き、ゆっくりとこちらに向かってくる。その少しの距離がもどかしく、整えた前髪が崩れるのも気にせず彼に駆け寄っていた。
「お仕事、お疲れ様でした」
「お待たせしてしまってすみません! た、高宮さんこそ、お仕事お疲れ様でした!」
「いや、待たせてしまったのは俺の方で…」
申し訳なさそうにする高宮さんを見てキュンとしてしまう。確かにかなり待ったんだけど、待ったんだけどね、こうして会いに来てくれただけでなんかそんな事吹っ飛ぶくらい嬉しくなっちゃってる私って…都合のいい女? 愛人体質?
「詳しくは話せませんが、少しの間外洋での任務についていました。今日の明け方、基地に戻って来たところです」
そんな日に私に会いに来てくれたってことは、少しは気にかけてくれてたってことだよね。たったそれだけなのに、『好き』がまた大きくなるのを感じる。
「この後、人と会う約束があるので、あまり時間がないのですが…」
「そ、そうだったんですね! わざわざありがとうございました。あの、会えて嬉しかったです」
「その、少しだけ抱きしめてもいいですか?」
「え? 今、ここでですか!?」
こんな人の往来の多い場所で!? しかも職場、目と鼻の先!!
「…こ、ここではちょっと…」
もごもごと話す私をよそに、高宮さんがすっと私に向かって手を伸ばした。私は思わず彼の手を掴み静止させた。二人の間に変な沈黙が流れる。
「あ、あの、ごめんなさい! その…」
「いや、俺こそ君の気持ちも考えず…今後、こういう行動は出来るだけ控えるようにする。すまない」
高宮さんにそんな顔させるつもりはなかったのに。いや、ダメでしょ、ダメ! とにかく場所が悪い。職場の人に見られたら明日何言われるかわかったもんじゃない。
「この後、人と会うんですよね? 電車ですか?」
「ああ、都内の方で…もうこんな時間か…結衣さんは逆方面の電車でしたよね?」
名前! 今、サラッと『結衣さん』って! 初めて会った時もそうだったけど、誰に対しても優しいとことか、すぐ抱きしめちゃうとことか、もうそれだけで経験値高そう…。
それに比べて、『彼氏いない歴=年齢』の私に太刀打ちできる相手ではないのは確かだ。
「行きましょうか」
そう促され、何事もなかったかのように2人並んで駅に向かった。その間もさっきの事が頭から離れず、ずっと会いたかった高宮さんとの会話も上の空だった。
抱きしめられておくべきだった? でもリスクが…頭の中の天秤はぐらぐらと揺れ続け、結局答えは出ることはなかった。
「それじゃあ」
そう笑顔で言うと高宮さんは反対方向のホームへ続く階段を足速に登って行ってしまった。予想はしてたけど、『また』とは言ってくれないんだと肩を落とす。