episode.1
眩い白の儀礼服に袖を通した高宮さんに、私は思わず見惚れてしまっていた。
「結衣? こっちへおいで」
そう言って優しく微笑みかける最愛の人。この人を守るためなら私はなんだって出来る。
純白のウェディングドレスに身を包んだ私は、ゆっくりと差し伸べられた手の方へ歩み寄った。
「高宮さん、私と別れて下さい」
人生最高のこの日に、最愛の人に別れを告げたのだった。
私は額の汗を拭い、駅の掲示板の隅に貼られたチラシに目をやった。海に浮かぶ護衛艦が白波を立て航行している写真の上に、ポップなデザインの文字で『サマーフェスタ2023』と書かれていた。
壮観な護衛艦の写真とは似つかわしくない文字と護衛艦のキャラクターらしきイラストとのアンバランスさに目が離せなくなっていた。
何分そこでチラシを凝視していただろうか、いつの間にか駅の構内には人もまばらになっていた。
「海上自衛隊、興味ありますか?」
背後から声をかけられビクッと肩をすぼめた。まぁ、あれだけ時間かけて見ていれば相当興味あると思われても仕方ないレベルだ。正直な理由を話すわけにもいかず、はぁ、まぁ。と気の無い返事をしてその場をやりすごす。
「もうすぐ開場ですけど、行き方わかりますか?」
いつの間にやら私はこのサマーフェスタ2023の参加者と間違われているらしいことを悟る。誤解を解こうと、親切なその人の方を振り返った。髪の毛は短く切り揃えられており、端正な顔立ちに一瞬胸が小さく跳ねる。スーツ姿の男性の歳は私と同じくらいか、少し上だろうか30前後と見た。思いの外背が高く165cmある私でも見上げるほどだった。
「行き方? 大丈夫ですか? 僕も今からそっち方面なんで案内しますよ」
「お、お願いしますっ!」
食い気味に返事をすると、彼はくすっと笑って「こっちです」と私の前に立った。駅を出るとまだ朝の8時半だというのに、太陽の光がアスファルトに反射して眩しい。急に明るいところに出たせいか、目の前の視界が一瞬クラっとした。目をつぶって現状回復に努める。
次の瞬間、肩を抱かれ力強く支えられていた。
「す、すみません! すぐ良くなるので…」
「無理しなくていいですよ。少し座りましょう」
駅を出てすぐの木陰にあるベンチで、冷や汗をかきながら申し訳なさでいっぱいになる。
「すみません。ほんとにすぐ良くなるので行ってください。ここまで連れてきていただき、本当にありがとうございます。」
すっと、彼の大きな手が私の手首を優しく掴んだ。触れられたところが熱を持ったように感じた。
「僕は医者です。体調の悪い人を放って行けません。軽い熱中症だと思うので、水分摂って少し休みましょう」
「…お、医者さん…」
手首に指を当てどうやら脈を測っているようだ。こんなイケメンの先生なら毎日でも診てもらいたい。ってこんな時に私は何を思っているんだか!
彼がカバンからまだ手付かずのイオン飲料を取り出し蓋を開けると私の前に差し出した。
「少しでもいいので飲んでください」
私はペットボトルを受け取ると、汗をかいている表面をじっと見つめ、ゆっくりと唇に運んだ。すっと喉を通る液体の感覚に朝起きてから、水分を摂っていなかったことを思い出した。ごくっと喉がなった。冷たくて気持ちがいい…、少し気持ちがスッキリとし冷や汗も止まってきた。
「あ、あの…ありがとう、ございました…」
「動けますか? 基地の中に救護所があるのでそこまで移動して、もう少し様子を見させて下さい」
基地? 救護所? いや、そこまでしてもらわなくても…と提案を断ると、熱中症でも命に関わることがあります。甘く見ていてはいけません。と一蹴された。
「歩くのが辛ければ、私が担ぎます」
「だ、大丈夫です! ちゃんと歩けます!! それに私、背もあるのでそこそこ重量ありますから」
「そんなこと気にしないで下さい。訓練ではもっと重量あるもの担ぐので、貴女くらいなんてことありませんよ」
「お医者さんも鍛えてるんですね」
「医者と言っても、僕は海上自衛隊の医官なので」
海上、自衛隊の…イ…カン?? イカンって、あの医官!? 自衛隊に興味ない私でもちょっとは聞いたことある医官。確か、幹部候補でめっちゃ優秀だったような。その上このルックスに、困っている人を放って置けない感じ…絶対彼女もち!
高宮さんと名乗るその自衛官さんに連れられてサマーフェスタで賑わう基地内に設置された救護所で休ませてもらった。救護所に着くまでに、上官らしき人に報告をしている姿はキリッとしていて、上下関係の厳しさを伺わせた。
「高宮一尉、お疲れ様です! そとで高宮さんが美人連れてるって、めっちゃ騒がれてましたよ! 彼女さんっすか?」
ひょこっとテントに顔を出した白い制服姿の人が興奮気味に高宮さんに話しかける。
「さすがに救護所に彼女は連れて来ないだろ。患者だ」
面倒くさそうにしながらも、真面目に返答をする辺り、高宮さんの人の良さが伺えた。
「マジっすか!? じゃ俺に紹介して下さい! めちゃくちゃタイプです!」
「お前、この後ステージじゃないのか? 時間大丈夫か?」
そうだった! 連絡先! と言って、制服姿の自衛官は私に番号の書いたメモ用紙を渡したかと思うと、高宮さんも遅れないで下さいね! と付け足し足早にテントを後にした。
えっと…と、メモ用紙を見つめると、気にしなくていいですよ。と高宮さんが少し不機嫌そうにそのメモ用紙を見やる。自衛官ってちょっとノリが軽い人がいるのは事実で、でもきっと高宮さんは真面目だから、自衛官をそういう目で見て欲しくないのだと思った。
少し休憩した後、高宮さんのオッケーももらい、せっかくだからとサマーフェスタを見学することにした。高宮さんはそのまま救護所での仕事があるらしく、私はお礼を言ってその場を後にした。
「一緒にまわりたかったなぁ…」
(って、高宮さんは仕事があるのに、たかが患者ごときに特別な感情もってるわけないって!)と自分で突っ込む。日傘持ってこればよかった。ジリジリと肌が焼ける音が聞こえるようだった。
基地内では様々なブースで実演や販売、ステージでは演奏やファッションショーも行われているようだった。そういえば、さっき連絡先くれた自衛官の人、高宮さんもステージに出るっぽいこと言ってたなぁ…とぼんやり考えながら、もう一目高宮さんに会いたい一心でステージまで来ていた。
「さぁ、皆さん、サマーフェスタは楽しんでいますか?」
ステージ上では制服を着た女性自衛官が流暢に司会をしていた。どうやらこれから、海上自衛隊の制服によるファッションショーが行われるようだった。会場が盛り上がるとステージ上で次々と制服を着た自衛官が行ったり来たりし始める。セーラー襟の制服から始まり、開襟の白い制服や詰襟タイプのものなどどれもキマっている。
きゃあ! と黄色い歓声が上がったかと思うと、目の前にはすらっと背の高い高宮さんが詰襟の白い制服に白い帽子を被り、ステージに現れたのだ。私はアイドルを見るかのような眼差しで、高宮さんの一挙手一投足に見入ってしまった。ステージの端までくると、敬礼をしてお客さんに挨拶をした。
「高宮一尉は医官をしていますが、ただ今彼女募集中だそうです! よかったら皆さん、立候補してくださいね!」
男性司会者が場を盛り上げるために、高宮さんの彼女募集告知を大々的に行った。会場は一気に色めき立ったが、当の本人は苦虫を噛み潰したような顔になっていた。…イケメンが台無しだ。
ふふっと思わず笑ってしまった。ファッションショーは無事に終了し、次のステージまでは少し時間があるようだった。私は建物の影に移動しスマホを取り出すと、タイムスケジュールを確認した。護衛艦見学という文字が目に入ってきた。あのチラシに載っていた護衛艦がいるらしい。少し考えた後、護衛艦だけ見て帰ろうと影を抜け出した。
「あ、あの!」
声の方を振り返ると、制服姿の高宮さんが帽子をまぶかにかぶりこちらに向かって来た。
「え? わ、わたしですか?」
周りをキョロキョロと見渡すも、私以外人もあまりいなかった。何か忘れ物でもしたかな? とカバンの中を覗く。特に変わった様子はなかった。
「はい、体調はいかがですか?」
「あ、えっとお陰様でもうすっかり良くなりました」
と、両腕で力こぶを作って見せる。キョトンとする高宮さんを目の前にして、やらかした! と後悔しても後の祭りだった。
「あ、ありがとうございました!」
と恥ずかしさのあまり、すぐに頭を下げる。ひゃー! 多分今私、耳まで真っ赤だよ。クスッと高宮さんが笑うのが分かって顔を上げる。ブワッと顔が熱くなるのを感じた。高宮さん、笑顔がヤバい!
「高宮さん、今彼女募集中なんですか?」
って、なんか勢いで変なこと聞いてしまった! はぁ、とため息をついた後、少し考える様子を見せてから、高宮さんがこちらに歩み寄る。こういう会話、あんまり好きじゃなさそう…いや、むしろ嫌いそう! ため息ついてたし!! 何を言われるか気が気ではなく、再び目眩に襲われそうになる。
「あの、僕の彼女になってもらえませんか?」
「は? えっ?」
聞き間違いではないかと、間抜けな声が出てしまった。私が? 高宮さんの彼女!? 何で!? と心の声がダダ漏れているのに気づいたのは高宮さんが、気分を害してしまわれていたらすみません。と謝ったのを聞いた時だった。
「あ、いや、そういうわけでは…」
「では、僕と付き合っていただけますか?」
少し強引に両手を引かれ、至近距離に白く眩しい制服姿の高宮さんが。これは反則と言わんばかりの完璧なその容姿に、はい。と思わず返事をしてしまっていた。
よかった。とボソッと呟くと、高宮さんはそのままわたしを優しく抱きしめた。後頭部と背中に回った高宮さんの大きな手から真夏の太陽のような熱を感じた。