妻を探してください…
ーーとある人探しの依頼を受けた男の話…なのだが…
ーここは「景明興信所」。「興信所」とは「探偵事務所」と同じようなものだ。ここには浮気調査、信用調査、素行調査といった様々な依頼が舞い込んでくる。この日、一人の男がとある依頼の為にこの景明興信所を訪れていた。
「それでは、一つずつお話をお聞きします。」
景明興信所の三田村は、依頼人の男に一つずつ質問をしていく。
「それではまず、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「積田と申します。」男はそう名乗った。
「今回はどのようなご依頼でいらしたのでしょうか?」
「妻を…探してほしいんです。」
今回は人探しの依頼が舞い込んできた。
「奥様ですか。」
「ええ。ある日、忽然と姿を消したんです。」
妻がある日突然、夫の前から姿を消す。この場合、原因が夫にある可能性もある。三田村は慎重に話を聞いていく。
「奥様がいなくなったのはいつ頃でしょう?」
「一ヶ月ほど…前です。」
「一ヶ月? かなり前ですね。」
「いなくなった当初は必死で探しました。妻の職場に連絡したり、インターネットで手がかりを探ったりもしました。でも、なかなか見つからず。警察にも行きましたが、まともに捜査をしてくれないんです。」
「警察はなかなか動いてくれないこともありますからね。」
日本では一年間に約八万人が行方不明になると言われている。それらを一つ一つ捜索するのはたとえ警察でも至難の業だろう。
「それでどこか頼れるところはないかと探して、ここに辿り着きました。」
「そうでしたか、心中お察しいたします。」
積田の暗い顔を見て三田村はそう言った。しかし、まだ本心で言ったわけではない。妻が失踪した原因が夫である彼にあるのか、ないのかを確かめなければならない。
「奥様が失踪する前、何かいなくなる予兆のようなものはありましたか? いつもと違うような行動や言動を取っていたりとか。」
「いえ。全く。本当に突然。何の痕跡も残さず。」
「痕跡を残さず?」
「ええ。妻はSNSをやっていたんですが、それも全て消したようなんです。」
SNSアカウントも消した…となると積田の妻は自らの意思で失踪した可能性が高い。そしてかなり重い事情が絡んでいる可能性も高い。
「因みに先程、奥様の職場に連絡をしたと仰っていましたが、奥様自身に失踪後、連絡はされましたか?」
「妻の連絡先は持っていません。」
三田村は耳を疑った。夫婦なのに連絡先を持っていない…?
「では、奥様とはどのように連絡を取られていたのですか?」
「SNSで連絡を取っていました。あんまり返事はしてくれませんけど。」
何かおかしい。三田村は自分の中に湧いた不信感を悟られないように表情を保つ。
「失礼ですが、何故、奥様の連絡先を持っていないのですか?」
「教えてくれないんですよ。何度も催促したのに。」
妻は連絡先を夫に催促されても教えない。そしてSNSアカウントなどの自分に関する痕跡を全て消して夫の前から突如姿を消した。まさか、妻の方が何かを隠しているのか?
「それでは奥様に関する情報をいくつかお聞きします。」三田村はメモ帳の新しいページを開く。
「奥様のお名前は?」
「新村明香です。」
「新村……へ?」三田村はまたしても不自然なことに気づく。「苗字は一緒では…?」
「あ、籍は入れていません。」
三田村はいよいよ訳がわからなくなった。籍を入れていない? それで夫婦を名乗っている? ということは…まだ婚約段階? というかそもそも……
「籍を入れようと思ってもそれに返答してくれないんです。」
積田はそう言った。三田村はこれまでに感じたことのない胸騒ぎを覚える。
「奥様のご職業は?」
「女優です。」
「女優?」
驚く三田村。新村明香…女優…
「失礼ですが、奥様は有名な方なのですか?」
「あ、新村明香というのは本名で女優としては芸名を使っているんです。」
積田の口から出た名前に三田村は息を飲んだ。
「妻の芸名は新村アキと言います。」
新村アキ……三田村も知っている有名女優だ。「新村明香」という名前を聞いた時に似ていると思った。しかし、というか……
「一ヶ月前に引退して僕の前から姿を消したんです。まだSNSで一言、二言しか話したこと無いのに……直接触れてもいないのに…」
ープルプルプルプルプルプル……
ペンを持っている三田村の右手が震えだす。
「あの、どうか妻を見つけ出してください。お願いします。」頭を下げる積田。
三田村は震える右手を左手で押さえて真顔のまま積田と向き合う。
「正気ですか?」聞いてしまった。しかし、聞かずにはいられない。
「当たり前です。僕の妻です。」
ープルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプル……
震える右手を押さえていた左手も震えだす。自分はこの男をどう処理すれば良いのだ?
「積田さん、先程のお話をお聞きしますと、奥様が何かを隠している可能性が高いです。連絡先も教えず、籍を入れるのも渋る。これは…結婚詐欺です。(なんかすいません。新村さん。)」
「そんなわけはありません!」積田は立ち上がる。「妻は明らかに私に一途でした! 私のDMに一度返事をしてくれたんです!」
ーガタガタガタガタガタガタ……
今度は三田村の肩が震えだした。
「私は妻を探すために妻の職場にも連絡したんです。」
(所属事務所だろ多分…)心の中で呟く三田村。
「連絡だけじゃない。直接顔も出しました。」
(行動力だけは褒めてやろう。)
「DMも妻が引退する前、毎日百件以上は送った。」
(積田…お前のやっていることは“罪だ”)
「だから…アキは僕のものなんです!」
(何で俺はこんなやつの心中を察してしまったんだろう……)
三田村は震える体を押さえようとしながら目の前で狂乱する積田に語り掛ける。
「そ、そんなに…探してほしいんですね…」
「当たり前です!」
「ち、ち、因みに、その…アキ…あ、奥様の家はご存じなんですか?」三田村は震えながら聞いた。
「うーん…今の家は知りません。前の家は直接行って、様子を確認したりしてたのですが…」
ーガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……
三田村は足も震えてきた。
「あ、あ、あ、因みににに…あの、アキ…にいむ…奥様は結婚して引退されたんですよね?」
「はい。僕と。」
ーガタン、ガタ、ガタタ、ガタタタン、ガタ、ガタタ、タン……
三田村の震えが激しさを増し、机も揺れ出す。
「あ、あ、あの!」恐怖と震えを押し殺し、三田村は現実を男に突き付ける。「奥様、いや! 新村アキはあなたではない一般男性と結婚しました! 三年前から付き合っていました! ニュースにもなっていました! あなたは……勘違いをしている‼(言ってしまったー!)」
もう後戻りは出来ない。他人と結婚して引退した会ったこともない女優を自分の妻だと思い込み、行方不明になったとして警察や興信所まで巻き込んだ狂人は一体どんな反応をするのか?
「何なんだあなたは!」叫ぶ積田。「あなたは私の気持ちをわからないんだ! 別の男と結婚した? 本当にそうなら……俺はそいつを消してやる‼」
男はそう吐き捨てて、震えを通り越してもはや固まっている三田村を尻目に景明興信所を去って行った。
「景明興信所」の“景明”は依頼者の景色を明るくしてあげようという意味を込めてつけた。しかし、あの男だけは一生暗い景色を見続けてほしい。
「どうしたの?」
三田村の後ろから透き通るような女性の声が聞こえてきた。
「ああ……“アキ”。」
出て来たのは、元女優の新村アキこと新村明香改め…“三田村明香”。
「アキ…俺は…とんでもない狂人を相手にすることになってしまった……」
ーー終わり