戦士と槍
旅の戦士ドライオがその放棄された農場跡を訪れたのは、村長から魔物退治の依頼を受けたためであった。
山の中にある農場跡に魔物が棲みつき、それが時折村の近くまで姿を見せるようになった。
退治してもらえないだろうか。
村長の依頼というのは、簡単に言えばそういうことであった。
二つ返事で承諾し、ドライオは準備を整えると、元気に山道を登り、この農場跡までたどり着いたのだが。
「あれ」
ドライオは呟く。
放棄されたはずの農場の門は、扉が固く閉ざされていた。
村長から、こんな話は聞いてねえな。
ドライオは扉に手をかけた。
鍵がかかっている。
門自体はすっかり古びて朽ちかけているが、後付けと思しき扉はまだ新しかった。
こりゃ、中に誰かいるな。
ドライオは舌打ちして、それから扉を乱暴に叩いた。
「おうい、開けてくれ」
大声で何度か呼ぶと、扉がわずかに開き、人相の悪い若い男が顔を覗かせた。
「なんだ、てめえ」
男は言った。口元の古傷が、その人相をさらに凶悪に見せていた。
「何しに来た。エベックさんからは何も聞いてねえぞ」
村長の名前がエベックだったかどうかは分からなかったが、ドライオは大きく頷く。
「村長さんの依頼で来た」
「村長だと?」
男は鼻で笑った。
「村長なんざ、この村じゃ何の力もねえ。帰れ」
「帰れって言われて、はいそうですか、と帰れるわけねえだろ」
ドライオは笑顔で答える。
「こっちも依頼で来てるんだ」
ちっ、と男はこれ見よがしの舌打ちをした。
「めんどくせえ野郎だな」
そう言って、もう一度じろりと上から下までドライオの格好を見る。
「お前、旅の戦士か何かだろ。帰って村長にエベックさんのところの者が固めてて入れなかったって報告しな。そうすりゃ村長もそれ以上は何も言わねえ」
そう言って男は扉を閉めようとしたが、扉が動かないので訝しげな顔をした。
「あっ……おい」
男は声を上げた。ドライオの太い腕が扉を押さえていた。それで男が閉めようとしても、扉はびくとも動かなかったのだ。
「てめえ、放せ」
「いや、放せねえな」
ドライオは言った。
「俺はこの農場跡に出る魔物の退治を請け負ったんだ」
「だから、入れなかったって村長に報告しろって言ってんだろうが」
男は口元の古傷を歪ませて怒鳴る。
「それで村長は黙るって言ってんだろ。ばかか、さっさと放せ」
「ばかはてめえだ」
ドライオの腕がさらに太さを増す。
「村長が黙るかどうかなんて聞いちゃいねえ。入れなかったってすごすご帰ってきたやつに、報酬を払うやつがいるわけねえだろ。エベックだか何だか知らねえが、お前らの村の事情なんざ知ったことか。こっちは金をもらうためにこんなところまで登ってきたんだよ」
「それこそ俺の知ったことか」
そう言いかけた男は次の瞬間、うわあ、と声を上げた。ドライオが男の身体ごと扉を強引に開け放ったからだ。
「魔物を探させろ」
ドライオは言った。
「お前らには興味はねえ。魔物はどこだ」
「てめえ」
男は青ざめた顔で、それでもドライオを睨みつけた。
「ただで済むと思うなよ。ほら、俺の仲間が来たぜ」
男の言葉通り、剣や槍で武装した十人以上の男たちが、門での騒ぎを聞きつけて駆けつけていた。
「……ちっ」
ドライオは舌打ちした。さすがに数が多い。
「止まれ、貴様」
先頭を駆けてきたリーダー格の男が剣を突き出しながら、叫んだ。
「ここから入ることは許さんぞ」
「入らせろ」
ドライオは叫び返す。
「村長から魔物退治の依頼を受けてる」
「そんなものは認めん」
「どうしてだ」
「貴様に話す必要はない」
男たちは門の前に立つドライオをぐるりと半円を描くように取り囲む。
最初に応対した古傷の男も、ドライオの脇をすり抜けて仲間たちの後ろに隠れてしまう。
「帰れ」
リーダー格の男は言った。
「さもなくば、屍を晒すことになるぞ」
「へえ」
ドライオは薄笑いを浮かべて戦斧を構えた。
「そりゃどっちの屍だい。お前ら全員のか、それとも」
そう言いながら、戦斧を軽く一振りする。ごうっという突風のような音がした。
「まさか俺のじゃねえだろうな」
「腕は立つようだな」
リーダー格の男は少し声を和らげた。
「なるほど、お前の腕をもってすれば、我々の中の二人か三人は骸にできるかもしれん。だがお前の命もそれで終わりだぞ。旅の戦士がそこまで村長に義理立てする必要はあるまい」
「ふん」
ドライオはじわりと前に出た。
「何人死ぬか、試してみるか」
それに反応して、男たちが一斉に武器を構える。リーダー格の男の隣に立つ男が長い槍をドライオに突き付けた。
彼らの目を見て、それからドライオは不意に戦斧を下ろした。
「やめた」
「そうか」
リーダー格の男は頷く。
「命拾いしたな」
「ああ」
そう言うと、ドライオは身を翻した。その瞬間、戦斧が唸った。
ドライオの一撃で、門柱がまるで紙ででもできているかのように砕けた。
「お前らがな」
ドライオはにやりと笑う。
門が男たちの方に倒れかかっていき、慌てて彼らが後ろに飛びのくのを笑って一瞥すると、ドライオはその場を後にした。
ドライオの報告を受けた村長は、真っ青な顔で、そうですか、エベックの手の者が、と言った。
「まさか、あの農場跡を根城にし始めていたとは。そんなこととは知らず、失礼しました」
「まあそりゃいいんだけどよ」
ドライオは胸をぼりぼりと掻いた。
「そのエベックとやらは何者なんだ。ただのはねっかえりのチンピラどもかと思って押し通ろうとしたんだが、連中、意外に目が本気だった」
「エベックというのは隣の村の出身で、街で財を成した男でして」
村長は答える。
「本人は街にいて、ほとんどこの村に姿を見せたことはないのですが、ある時から手下のがらの悪い男たちが頻繁に出入りするようになったのです」
「ふうん」
ドライオは頷く。
「目的は何なんだい」
「それはよく分からないのですが」
村長も首を傾げる。
「とにかく、エベックの権力をかさにずいぶんと乱暴なことをする男たちでして。恥ずかしながら、この村には連中に逆らえる者はおりません」
「だが、農場跡に魔物が棲みついたのは事実なんだろ?」
ドライオは言った。
「そっちは、ほっといていいのか」
「連中が根城にしたのであれば、魔物はもう駆除したか場所を変えたのかもしれません」
村長は苦しそうに答えた。
「とにかく、連中には逆らえないのです」
魔物よりもエベックってやつのほうが怖いみたいだな。
ドライオは村長の表情を見て、そう考えた。
村長から、迷惑料としていくばくかの金を渡されたドライオは、不満ではあったがそれで気分を入れ替えることにした。
村には村の事情がある。俺が首を突っ込むことでもねえだろう。
そう考えて、もう昼間の不愉快な出来事はすっかり忘れて、宿の酒場を兼ねた食堂で楽しく酒を飲んでいる時だった。
何の前触れもなく、乱暴に入口の扉が開き、男たちがどやどやと入ってきた。
皆、剣や斧で武装していた。屋内だというのに、槍を持った者もいた。
「いたぞ」
先頭の男がドライオを指差して叫んだ。
「あいつだ」
それは、昼間に農場跡の門で最初にやり取りした、口元に古傷のある男だった。
「よう」
ドライオは片手を上げる。
「また会ったな」
「昼間はよくもやりやがったな」
男はそう叫びながらドライオに詰め寄ってくる。
「なんだ」
ドライオは立ち上がった。
「ずいぶん威勢がいいな」
そう言いながらも冷静に男たちを観察する。
皆、殺気立っていた。
こいつら、俺を殺す気だな。
歴戦の戦士の直感で、すぐにそれを悟る。
だがすっかり気分を入れ替えていたドライオは、戦斧を部屋に置いてきてしまっていた。
丸腰のドライオを見て、男はにやりと笑う。
「やっぱりお前みたいなのは生かして帰すなってよ」
男は言った。
「街でおかしな話を言いふらされても困るからな」
「こっちはお前らのことなんかもうすっかり忘れてたが」
ドライオは答える。
「言いふらされたら困るようなことやってるってわけか。面白え、それなら少し考えるぜ」
「口の減らねえ野郎だ」
男は口元を歪めた。
「丸腰でよくもそこまでほざけたもんだ。本当に命が惜しくねえと見える」
騒ぎを聞きつけて出てきた宿の主人が、ひっ、と悲鳴を上げて奥に引っ込む。
「やれ」
古傷の男は短く命令した。男たちが一斉にドライオに迫る。
ドライオはとりあえず手近の椅子を掴んだ。
狭い酒場の中で、そこかしこに椅子やテーブルがある。男たちも簡単にドライオを囲むことはできない。
酒に酔った頭でも、そのくらいの計算はできた。
「死ねっ」
一人の男が、ドライオに槍を突き出した。
ドライオは椅子でそれを防ぐ。
槍がぶすり、と椅子に突き刺さるとドライオはすかさずその柄を握り、思い切り引っ張った。
「あ、ばか」
古傷の男が叫ぶ。
その時には、槍はもう怪力のドライオの手にあった。
穂先から抜いた椅子を、槍を奪われた男に思い切り投げつける。
まともに顔面に椅子をぶつけられた男は、悲鳴も上げずに吹き飛び、そのまま動かなくなった。
「ああ、槍か」
ドライオは長い槍を窮屈そうに構えた。
「槍なんて持つのは、いつ以来だろうな」
「こんな狭い店に、そんな図体で」
古傷の男は自らも剣を構えながら言った。
「自分の得物でもねえ槍なんて、動き辛くてしょうがねえだろう」
そう言って、にやりと笑う。
「自分の斧がなくて残念だったな」
「まあ斧が一番いいが」
ドライオはそう言いながら、槍の柄を持つ両腕にぐっと力を込めた。
「心配は要らねえよ」
腕が筋肉で膨れ上がり、倍近い太さになる。槍の柄が真ん中からばきりと折れた。
「ほら、これでちょうどよくなった」
ドライオは短くなった槍と折れた柄を両手にそれぞれに持つと、獣のような笑みを浮かべた。
「よし、来い」
がっ、と叫び声を上げて両側から斬りかかってきた二人の男を、ドライオは同時になぎ倒した。槍の穂先が右の男の喉を貫くと同時に、左手に持った柄が左の男の頭を打ち砕いていた。
「こ、このっ」
狭い店内ではいっぺんにかかってこれてもせいぜい二人。椅子を蹴散らし、テーブルを蹴倒しながら、ドライオはかかってくる男たちを圧倒した。
左手に持った柄の方は、ドライオが三回も振るうと、もう折れて使い物にならなくなった。
赤く染まったそれを床に投げ捨て、元の半分の長さになった槍を両手で持ち直す。
「よし、あとはこれで戦ってやる」
もう男たちがかかってくるのを待つ必要もなかった。
ずしずしと足を踏み出しながら、槍を突き出す。一人の男の胸を貫いた、と見えた時には、もう槍はドライオの手元に戻っていた。
「長柄の武器ってのは、柄を相手に持たれねえようにしないとだめだ」
ドライオは言った。
「突くのも大事だが、引くのも大事なんだぜ」
そのまま、電光のような槍さばきでもう一人を突き倒す。
ドライオがまた一歩踏み出した時だった。
一人の男が脇から槍の柄を掴んだ。
「へっ」
勝ち誇ったようにその男が嗤う。
「掴んだぜ」
「よし」
古傷の男が叫んだ。
「いいぞ、そのまま押さえておけ」
だが、その言葉は途中で途切れた。
柄を持った男ごと、ドライオが槍を軽々と持ち上げて振り回したからだ。
男は壁に叩きつけられて、ぐえ、と呻くとそのまま崩れ落ちた。
「さっきのはあくまで一般論だ」
ドライオは言いながら、再び槍を構えて古傷の男に迫る。
「俺の場合はあんまり関係ねえ」
「ま、待て」
そう言いながら、古傷の男は後退する。
「こんなことをしてただですむと」
「うるせえ」
ドライオは笑う。
「てめえが仕掛けたけんかだろうが」
じりじりと後退した古傷の男が、残った仲間二人の背後に隠れた。
「ああ」
ドライオは顔をしかめて首を振る。
「槍の前で一列になるな」
そう言ったときには、槍はもうドライオの手から離れていた。
恐ろしい膂力から放たれた槍は、一直線に並んだ三人の胸をまとめて串刺しにしていた。
「……さて」
ドライオは荒れ果てた店内を見渡す。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
転がるいくつもの死体の中で、立っているのはドライオだけだった。
ドライオは、壁に叩きつけた男がまだ意識があるのを見付けて、口元を歪めた。
「エベックとかいう野郎にも、その目的にも何の興味もねえが」
そう言いながら、ゆっくりと男に歩み寄る。
「あの農場跡に入らねえと魔物退治ができねえからな」
ドライオは怯えた表情で自分を見上げる男に、にやりと笑ってみせた。
「いろいろと聞かせてみろ。死にたくなけりゃな」