魔人学区
絶対王者だった“炎帝”影島秀樹が去り、印笛野市の高校生たちの勢力争いは一気に激化した。
南の驍学舎。西の栄泉館。東の堂が浜。そして、北の鳳凰院。
近隣の弱小高校を従え、四つの高校の魔人たちが覇を競い合う戦国時代に突入したのだ。
悪魔の力をその身に宿した、魔人と呼ばれる突然変異の人種が、なぜ印笛野市の高校生たちに集中したのかは分かっていない。
だが、幸いというべきか、血気盛んな彼らはその人知を超えた力を凶悪犯罪に悪用することなく、自分たちの学校のプライドを賭けたケンカに全力注入していたのだった。
路地裏。
「おらぁ!」
頬を殴られる鈍い音とともに、青いブレザーの高校生が地面に倒れた。
「へっ」
その少年を見下ろし、唇を吊り上げるようにして笑ったのは、金髪坊主の男子高校生。
唇に銀のピアスが光っていた。
「この辺を制服で歩くんなら、歩道の真ん中は歩かねえことだな」
そう言って金髪坊主が肩をそびやかすと、ボタンを開け放った灰色の学ランが翻る。
悪名高き、栄泉館高校の制服だ。
「特にお前んとこみたいな雑魚高校は、な」
低く呻いて、ブレザーの高校生が上半身を起こした。
唇を舐めて、血の味に顔をしかめる。
少年の着る青いブレザー、豊友学院の制服は、この街では明らかに狩られる側。森のウサギよりもか弱い存在であることの証だった。
「今日のところはこの一発で勘弁してやるからよ」
栄泉館の金髪はそう言って、右手を出す。
「出すもん出しな。おら」
だが、その少年が自分の口の血を手で拭ったきり、なかなか動こうとしないのを見て、金髪はちっ、と舌打ちした。
「ぐずぐずすんじゃねえよ。こっちも暇じゃねえんだ」
声を荒げたが、少年は反応しない。
遅ればせながら金髪も、ブレザーの少年が自分を見上げるその瞳の色に気付いた。
乱れた前髪の奥で、目は炎のように赤く燃えていた。
「おう、なんだよ」
金髪は舌なめずりするように笑った。
「そういうことは早く言えよ。てめえも魔人だったのかよ」
差し出していた金髪の右手が、不意に風船のように膨れ上がった。かと思うと、それが黒く長い毛で覆われていく。
「力の悪魔ガルモン」
金髪は言った。
「俺が宿す悪魔の名前だ」
そう言うと、巨大化した拳を握った。めきっ、と鈍い音がする。
「教えろよ」
金髪は無造作に拳を振り下ろした。
ブレザーの少年はとっさに転がるようにして身をかわしたが、拳の一撃を受けた地面のアスファルトはまるで発泡スチロールのように砕けて飛び散った。
「お前の中の悪魔の名前をよ」
そう言いながら、金髪はブレザーの少年に迫る。
ブレザーの少年は地面に、ぺっ、と血の混じった唾を吐いた。
右手を上げ、その指をすうっと金髪の制服に向ける。
少年が指差したのは、灰色の学ランの裾。そこに、金髪が少年を殴ったときに飛び散った血が数滴付いていた。
「あ?」
不審そうにその返り血を見た金髪が、次の瞬間、ぐげ、とおかしな声を上げた。
その数滴の血が、突如鋭い針のようになって身体を貫いたからだ。
「なんだ、こりゃ」
金髪はそれを掴んで引き抜いた。
針は元の赤い血になって金髪の手から流れ落ちた。
「俺の中の悪魔が知りたいって言ったよな」
ブレザーの少年はいつの間にか金髪の目の前に立っていた。
燃えるような赤い目が、冷たい光を帯びる。
「俺に宿るのは、血の悪魔エグルゴイル」
「エグルゴイルだと」
金髪は、痛みをこらえて右の拳を握り直した。
「聞かねえ名前だ」
そう言いざま、目の前の少年を殴りつける。
だが、その拳が少年の身体に届くよりも前に、一筋の赤い光線が拳を貫いた。
「ぐわあっ」
金髪は痛みに絶叫した。
少年がさっき手で拭っていた唇の出血。
少年の向けた指先から、それがまた鋭い針と化して飛び、拳を貫いたのだ。
「てめえ」
顔を歪めながら、金髪は右手を押さえる。
「上等じゃねえか」
そう吐き捨てて少年を睨みつけた。
拳を覆っていた黒い毛がざわりと揺れ、その上腕までを覆っていく。
「俺を本気にさせちまったな」
だが、それを見つめる少年の表情に変化はない。金髪はそれに苛ついたように声を荒げた。
「くそが、てめえはこんなもんじゃすまさねえからな」
「憲吾。そこまでにしとけ」
不意に、背後からそう声を掛けられ、金髪は振り返った。
「あ、浅見さん……」
その声が萎む。
現れたのは、金髪と同じ灰色の学ラン。だが、遥かに長身。
栄泉館の浅見といえば、この街で知らない者はいない魔人だった。
「相手が悪いな、憲吾」
浅見は切れ長の目を細めて、ブレザーの少年を見た。
「そいつ、飛田の弟だぜ」
その言葉に、憲吾と呼ばれた金髪坊主が驚きの声を上げる。
「飛田って、あの驍学舎の飛田ですか」
「ああ」
「まさか。飛田の弟がどうして、豊友学院なんかに」
そう言って、まじまじと少年を見る。
少年は金髪の視線に構わず、新手の栄泉館の生徒を一瞥すると、肩をすくめて、自分の制服に付いた土を払った。
そのまま身を翻し、無言で立ち去ろうとする少年の背中に浅見が声をかける。
「おい、飛田んとこの弟」
その声に、からかうような響きがあった。
「どうしてそんな制服着てんだよ。お前の兄貴は驍学舎の頭だろうが」
「……兄貴は、兄貴だ」
振り向きもせずに、少年は答えた。
「俺はそういうことに興味はない」
「ほっとかねえぞ」
浅見は歩き去るその背中に言った。
「お前がどうあれ、色んなやつがな。それだけの悪魔を宿しちまってんだ」
だが、少年は何も答えなかった。
青いブレザーはそのまま路地を曲がって消えた。