第5話 弓と黒髪と決闘と。
「ユーキもほしい……!」
「じゃあ、あげる」
「ありがとう……! ユーキが行っても大丈夫かな……?」
「大丈夫だと思うよ」
大丈夫なわけないだろ。
などというやり取りをして時間を潰していると、少しずつ教室に足を踏み入れる生徒が増えてきた。
「ごきげんよう」という声があちこちから聞こえ、時には大して交流もないのにこちらに挨拶を向けてくる生徒もいて、その度に軽く頭を下げて「ごきげんよう」と返す。
が、多い多い。
何度頭を下げれば良いかわからなくなるほどにペコペコとし、うんざりとしていると――。
「熱心なファンを持つと大変ね、アリスさん」
やり取りを見て、前の席に座っていた少女が言った。
ベアトリス・アンルーシェ。
落ち着きと上品な雰囲気を持つ、おしとやかな異国風の少女だった。
見ているだけで目が癒やされるような美しい容姿をしているが、一方で身体は生まれつき弱いらしく、まだ入学して間もないというのに既に数回は休んでしまっていた。
こほん、こほんと時折咳き込む姿を見るとつい心配になってしまうが、本人曰く咳の原因は喉の病気らしく、風邪や感染症の類ではないから心配しないでほしいとのこと。
「ファン、なのかな」
首を傾げて俺が言うと、ベアトリスさんは愉快そうに微笑んだ。
「あら、自覚ないの?
体験入部で各部活を荒らし回り、圧倒的な技術で上級生をも唸らせた絶世の美女。
謎に包まれた天恵は脅威のA級か⁉ 注目必至の超新星美少女アリス・フォーメイスト!」
「え、なにそれ」
「見てないのね。
アレイシア新聞の大見出し。学園が平和なせいで新聞部も話題に飢えているのか、新入生の情報ばかりを掲載しているのよ。それで一番目立っていたあなたに白羽の矢を立った――おかげで新入生の間じゃ、あなたの話ばかり耳にするのよ。はい、これ」
渡されたアレイシア新聞とやらにはたしかにその文字が書いてあって、俺についての情報が八割の憶測と共に面白半分で並べ立てられていた。
『天恵は弓術か⁉ 体験入部で放った一矢があまりにも美しすぎて、あの"怪童“も嫉妬!』
たしかに弓術部で一度弓を触り、それなりの反応はいただいたが、残念ながら俺の天恵は弓術などという"わかりやすいもの"ではない。
お嬢様なんだよ、お嬢様。
ま、説明しても誰も理解しないだろうから伏せておくしかないんだけども。
「随分と勝手なことばかり。これ、ちゃんと取材したのかな」
苦笑しながら言うと、ベアトリスさんは「そんなわけないじゃない」と言いたげに首を振った。
「まさか。私なんて学校を休んでいる間に旅行を楽しむお転婆少女扱いされてたのよ。
実際、上級生の先輩方は冗談のつもりで見てるっておっしゃってたし、もしかしたら新入生をからかって遊んでいるだけなのかも」
「それはまた、はた迷惑な遊びだこと」
呆れを含めて肩を竦めると、ベアトリスさんがふふっと口元に手をあて笑みを浮かべた。
しかし『あの怪童も嫉妬』とは随分と端折った物言いである。
『怪童』が誰かについては一切書かれていないので、その凄さが読者にまるで伝わらない。
と、そこまで考えて俺はふと『果たし状』について思い出す。
もしも『あの怪童も嫉妬』という一文が事実だとしたら、あの果たし状は俺に嫉妬した『怪童』が出したということだろうか?
そんなことを考えていると、別の教室からぞろぞろ俺の席に女生徒が群がってくるではないか!
何事かと驚く俺に、一人の女生徒がずいと顔を寄せて言った。
「アリスさん、考えてくれた?」
「な、何をでしょうか……?」
「何って、部活に入部してくれるって話よ。
あなたみたいな天才が音楽部に入部してくれたら私達の部も……」
とそこまで言ったところで、別の生徒が口を開く。
「ちょっと。アリスさんは文学部に入部するって決まってるのよ。
彼女が体験入部のときに披露してくれた詩のなんたる素晴らしいことか……」
「えっと……まだどの部に入部するか決めてないのですが……」
俺の反論はむしろ逆効果だったようだ。
「これはいいことを聞いた」と言わんばかりの顔で他の生徒達も一斉に口を開いて、やいのやいのと自分の部への勧誘を口にし始める。
「舞踏部はどう?」「演劇に興味は?」「あなたの絵に惚れたの!」
などなど、大騒ぎ。
もう相手にしていられないという状態に困り果てていたが、教師が教室に入ってきたということで勧誘ラッシュは終わりを告げる。
「熱心なファンを持つと、大変ねぇ」
そう言うベアトリスさんはこ部外者を装って窓の外を眺めつつも、楽しそうにしていた。
ああもう、平和な日常とやらは何処に逃げていったんだ?
◇
吹き付ける風が彼女の髪をふわりと持ち上げ、横に流した。
弓術館。
そこはアレイシア女学園の敷地内に築かれた大きな施設で、手前側は弓を射る屋内空間、そして奥側は矢を射るための的が設置されていて、屋外空間となっていた。
弓術館は普段、大勢の弓術部員が弓を射ており、静かでありながら賑わいを見せるという不思議な空間であったが、今日は部活動が休みなのだろう。
矢を射る場には、果たし状を出した張本人である黒髪の乙女と俺の他にはおらず、後は試合進行の手伝いをしてくれる生徒と、野次馬が遠巻きで見守るくらいだった。
黒髪の乙女はどうにも苦い顔でこちらを見つめており、俺もまたそんな彼女からの凝視にどう反応すれば良いかわからず、苦笑いを浮かべた。
野次馬が何処からこの決闘(?)を嗅ぎつけたのか謎だが、弓術の決闘が行われるということで集まってきた面々は「きゃー! アリスさん頑張ってー!」と「エミさんやっぱりカッコいいー!」と思い思いの声援を満面の笑みで口にしていた。
どうやらエミ先輩なる人物は弓術士として有名なようで、ファングッズらしき道具を持ち込んでいる女生徒もいる始末。
はてさて、彼女が例の“怪童”というわけだろうか。
なんかこう、怪物みたいな顔したお嬢様をイメージしていたけれど、想像していたのとはだいぶ違う。
弓術を行うのに邪魔にならない程度の長い髪を後ろに束ねた、清楚で落ち着きのある少女。
顔は無表情だったが、気が弱そうな印象は感じなかった。
間違いなく美人の類ではあったが、どこか近寄り難い雰囲気も感じる女性だった。
「へらへらしないでください」
俺の苦笑いを不快に思ったのだろう。
弓術着を纏ったエミ先輩はぴしゃりと言い捨てた。
彼女は二年生。俺よりも一つ上で、先輩の身分だった。
そうすると去年の彼女は一年生だったわけだが、その時点でアレイシア学園の代表に選ばれたことがあると言えばその凄さも一目瞭然だろう。
と、いうのをさっき野次馬が話しているのをこっそり耳にした。
「申し訳ありません。どうして良いかわからなくて」
「ただ弓を構えれば良いのです。あのとき、そうしたように」
「あのとき?」
「体験入部のときです。
私が遅れて弓術館を訪れたとき、あなたが射るのを偶然目撃しました」
「なるほど、それで……」
「あのときの貴女を見て私は………何でもありません」
それ以上の私情は語らぬ、といった様相でエミ先輩は口をきゅっと結び、感情を読ませない面持ちとなる。
そんなエミ先輩をみて歓声がわぁっと上がるが、彼女は一瞥を向けることもなく前に出た。
「交互に弓を放ち、的に当たれば続行。
どちらかが外した時点で終了。"もちろん"私が先行です。
ルールは明確で、簡単でしょう」
「わかりやすくて助かりますわ。
私、初心者ですので、お手柔らかにお願いしますね」
「…………」
特に含めた意味もなく微笑んだつもりだったのだが、エミは愛想笑いの一つも浮かべることなく弓を構える。
なるほど。彼女があの果たし状を冗談のつもりで書いたわけじゃないのは、確かなようだ。
しかし、どちらかが外したら終了と言いながら『もちろん私が先行』は随分な自信である。
そのルールならば、先行に有利はないというのに。
「では、始めましょう」
言って弓を射る場に立った彼女。
深呼吸して落ち着きを作ったあと、姿勢を正す。
足を開いて姿勢を完成させた後に弓を構えた。
状態を維持したまま速やかに弓を持ち上げると、弓を下ろして矢を解き放つ準備を終える。
一連の動作は流れるように繋げられており、全てが一個の動きとして成立しているようだった。
騒がしかった歓声も一気に静まるほどに完成された動きは、もはやそれだけで芸術の類と称しても過言ではなさそうに思えるほど。
来るべきときが来た。
そういうように彼女がわずかに胸を開くと、その勢いによって矢が解き放たれた。
放たれた矢は遠くに設置された的の中央に刺さると、エミ先輩は横目で俺を見て呟いた。
「命中です。自己申告が気になるのであれば、確認を」