約束の傘
この文章を書くためにかなり勉強しました。傘の歴史や値段とか小中学校の歴史とか、調べてみるとなかなか面白かったです。
小さい頃の記憶だ。
僕の曽祖父の家には古びた絹の傘があった。
小学生のとき、夏休みに遊びに行って、家の中で大事にしまわれていたのを偶然に見つけたのだ。その時の光景とエピソードは未だ鮮明に覚えている。
「ひいおじいちゃん、その傘、大事なものなの?」
子供の好奇心が抑えきれず、僕は本を読んでいた曽祖父の手を引いて傘のある場所まで連れて行って、そう尋ねた。
曽祖父は少し笑いながら傘を手に持って縁側に座り、隣に僕を座らせた。
そうして曽祖父は、そうだなぁ、昔話をしようかな、と言って話し始めた。
「70年くらい前、あぁ、関東の大地震の後くらいだね。私が今でいう中学生3年生くらいのときの話だ。一応私は優秀な方だったんだが、その日は試験でひどい結果をとってしまってねぇ。私は運よく親戚に金持ちで勉学熱心な人がいて、貧乏な私に対しても中学校に行くお金を出してくれたんだ。それなのに悪い成績をとってしまってね、落ち込んでいたんだ。そうそう、そのときひどい雨が降ってたんだ。更に気分が落ち込んだよ。」
「中学校、お金かかるの?」
「かかってたよ。昔はね、中学校に行けるのはお金持ちだけだったんだ。」
曽祖母に後から聞いた話、試験を受けた日は調子が悪かったそうな。そして曽祖父は学校きっての秀才と言われるほどだったらしい。
「傘はその時の?」
「そうだよ。どこまで話したかな、そう、雨が降ってたけど、貧乏だったから傘を持ってなかったんだ。だから途中まで走って、駅で雨宿りしたんだよ。そのとき小さな、7歳くらいの女の子が話しかけてきたんだ。
『お兄ちゃん、どうしたの?傘は無いの?』ってね。
『ないよ。だから雨宿りをしてるんだ。』
『どうして買わないの?お店、近くにあるよ。』
『ありがとう。でも、お金がないんだ。』バカ正直にそう言ったら
『じゃあ、碧の傘あげるよ。』と、いかにも高級そうな絹地の傘を渡してきたんだ。
『え?いや、貰えないよ。君の傘だろう。』
『碧だよ。お車がお迎えに来るから大丈夫だよ。』そう言って差し出してくるんだけど、お嬢様の少女に貰うのは後で何を言われるか分からないから渋ってたんだ。すると、
『じゃあ、お兄ちゃんがお金持ちになったら返しに来てよ!だから、貸してあげる!』周りを見回したら、3人くらいのお付きらしき人物が頷いていたんだよね。
普通に考えて無茶な約束だった。ある種の賭けだよ。
『わかったよ。約束だね。』
『うん。約束だよ。』
しばらくすると高級車が駅の前に止まり、その少女はまたね、といって去っていったんだ。私の手に傘を残してね。」
曽祖父が傘を開いてここに名前があるだろう、と言って見せてくれた。曽祖母が静かに横に来てお茶を渡してくれた。
「傘に名前を書いているのは驚いたけど、なかったら約束を守れなかっただろうなぁ。」
「返せたんだ!」
「そうだよ。約束したからには、と思って必死に頑張ってたら、良い仲間にも運にも恵まれて、創設した会社が大成功したんだ。所謂お金持ちになったんだよ。そのときには既に10年が経ってたよ。でも約束だから会いに行ったんだ。」
「その少女は華族って言って、当時じゃ由緒ある有名なお金持ちの家だったのよ。会うのに苦労したんでしょう?」
曽祖母がそう言って、いつの間にか手に持ったその傘を開いたり閉じたりしている。
「どうして苦労するの?」
「彼女は17歳かな、引く手あまたの美少女で有名だったらしいから、たくさんの男の人がやって来るんだけど、まぁ、門前払いだったよ。でも私の場合運が良くてね、偶然にも彼女に会うことができたんだ。」
「碧さんだっけ、約束覚えてたの?」
「覚えてたよ。
『約束の傘をお返しますね、碧さん』というと、
『確かに受け取りました。お兄ちゃん、お久しぶりです。』なんて言うから、2人して笑ったよ。自己紹介もこの時が初めてだったんだ。」
そう言うと、2人とも笑い始めた。でも僕には1つ疑問があった。
「ねぇ、でも、なんで、傘あるの?」
その問いに曽祖母がふふっと笑って
「あら、私が碧よ。あのときは小さかったし、若かったわね。こんな約束をしたんだから。誠一郎さんがまさかの有名な会社の若社長になってたからとても驚いたわ。あ、この人、私を褒めてくれたけど、彼も美青年社長として有名だったのよ。」
と言った。曽祖父は少し恥ずかしそうだった。
そして、この話を夏休みの日記に書いたことも覚えてる。そしてその文章を読んで少し困った表情で微笑んでいた曽祖父母のことも。
あれから15年。今、そのとき青年と少女だった2人は仲良く同じ場所で眠っている。
お読みいただきありがとうございます。