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「見て、アシル。果物屋のおじさんが林檎を一つおまけしてくれたわ!」

 ジネットの弾むような声に、アシルは慌てる。

「姉ちゃん、病み上がりなんだから走るなよ」

「あら、走ってなんかいないわよ。ちょっとスキップしてるだけ。だって久しぶりの外出って、すごく気持ちがいいんだもの」

 スカートの裾をふわりと広げながら、ジネットが笑顔で振り向く。紙のように白かった頬は今では綺麗な薔薇色に染まり、瞳はきらきらとした光が宿っている。ほんの三日前まで寝付いていたのが嘘のようだった。姉のそんな姿を見るたびに、アシルはチェスター医師に感謝したくなる。

 それは万能薬とも呼ばれる薬で、なんにでも効くという。だから流感にも効果があるよと。彼が処方した薬は確かによく聞いた。姉は一日目で熱が引きだるさが消え、二日目でベットから起き上がり家の中を自由に歩きまわれるようになった。三日目で、外出まで出来るようになった。薬は、さらに三日分ある。それを飲み終わる頃にはまた前のような元気な姉に戻っているだろう。

「今日は腕によりをかけて美味しいものをいっぱい作るわね!」

 姉が寝込んでいた間まともな食事が出来なかったアシルのため、さっきからいろいろな店で食材を調達している。アシルは荷物持ち兼付き添いだ。腕の中にはじゃがいもとチーズ、それに新聞紙で包んだ厚切りベーコンが抱えられている。

「姉ちゃん、これ以上はもう持てないよ」

 小柄なアシルには、そろそろ重みで腕が痛くなり始めていた。姉はあらと振り返り、しょうがないわねとため息をついた。そして、彼の腕の中からひょいとベーコンを取り上げると、それを顔の横で器用に振って見せた。

「男の子がこれぐらいで根を上げちゃだらしないわよ。他にもまだいくつかお店を回らなきゃ。アシルったらあたしが寝込んでる間、なんにも買い物してないんだもの。――――あら、この新聞今日のだわ。得したわね。なになに、また上層区でベリティリ現れるですって。怖いわねぇ。アシルも気をつけなさいよ」

 上流階級ばかりを狙った殺人鬼が横行しているのは知っているが、そんなものいったいどうやって気をつければいいというのか。

「ブレーナンス店で新作のドレスが発表ですって。いいわねぇ。着ることはできなくても、一目ぐらい見たいわぁ。お姫様のドレスなんて、きっと素敵なんでしょうね」

「姉ちゃんちゃんと前見て歩かなきゃ、転んじゃうよ」

 ふらふらと歩くジネットをハラハラしながら追いかける。姉はよほど久しぶりの外出が嬉しいのか、有頂天だ。何度か人にぶつかりそうになり、転びそうになる。それを腕を引っ張ったり背中を押したりして回避させながら、とにかく姉の買い物に付き合った。ようやく最後の店で、ミルクを買い込み、これで終わりだ。ほっと一息をつき、ようやっと気のすんだ姉を連れて家路をたどる。

 夕焼けの落ちた道の上に、長い影が落ちる。家路を急ぐ労働者達や、これから仕事へ出る娼婦たちが足早に二人の横を通り過ぎていく。ボロ布を丸めて紐で縛ったお手製をボールを蹴りながら子ども達が走り去って行った。

 どこからともなく夕餉のいい匂いが漂い、早々と店を開けた酒場からは男達の笑い声が響く。

 ごく日常のありふれた光景。そんな中をまた姉と一緒に歩ける幸福に、アシルは涙が出そうになる。貧しくてもいい、暮らしが苦しくてもいい、姉と一緒なら頑張って生きていける。


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