34
「それで、わたしに聞きたいお話があるとのことですが?」
「ああ、そうでした。ナイト・クイーンのことです。患者達や、その家族の方々は、ナイト・クイーンについて、なにか言っていませんでしたか?」
「こちらへ運び込まれたときには、患者さんはほとんど意識のない状態でしたから話をすることはできませんでした。ご家族の方も、毒を飲んだのではないかと医者に言われたと仰る方はいましたが、みなわけがわからないといったご様子で」
聖女はそこで哀しい顔で俯いた。
「大切な家族を失う痛みはどれほどのものでしょうか。わたしの力が及ばないばかりに、亡くなった方にもご家族にも哀しい思いをさせてしまいました」
「あなたのせいではないでしょう。そもそも、薬物なんて、自己責任の代物だ。目先の欲や快楽に流されて手を出さなければいいだけのことだ」
フェイシスは聖女の哀しみを辛辣に切り捨てる。聖女は表情を曇らせ、痛みに耐えるように眉根を寄せた。
「誰もが、心強くいられるわけではないでしょう。時には、現実から逃げ出したくなることもあるでしょう。逃げ出す場所がなければ、どうすればいいのでしょうか? 頼るべき手のない人はどうすればいいのでしょうか?」
日々の悩みから逃げ出すために、一時の解放と快楽を望んで薬に頼るものも、確かにいるだろう。だが、それではなんの解決にもならない。
「では、あなたは薬を使うことは悪くないと? 俺にはただの薬物に逃げる人間の都合のいい言い訳に聞こえますがね」
「いいえ。肯定するわけではありません。ただ、人の心は脆いものだから、過ちを犯すこともあると言いたいだけです。あなたは、過ちを犯したことはないのですか?」
問い返され、フェイシスが少しだけ言葉に詰まった。ややして、苦虫を噛み潰した顔で、
「あなたの言い分も、まあ、一理はあるでしょう」
と、言った。
「しかし、薬物は犯罪ですよ」
「ええ。そうです。そして、ナイト・クイーンは恐ろしい毒です」
聖女も深く頷いた。どこか苦痛に耐えるように唇を噛み締める。
と、そのとき小さな猫の鳴き声が足元から響いた。自然みな声の元を探して視線を下げる。いつの間にか白い毛並みの猫が、聖女の足元に擦り寄っていた。紫色の瞳がまるで宝石のような美しい猫だった。
「まあ、ノーア」
聖女が驚いたように猫を抱き上げた。猫は聖女の腕の中でごろごろと喉を鳴らし、気持ち良さそうに目を細める。
「教会の猫ですか?」
「いいえ、違います。いつのまに来たのかしら。ご主人様はどうしたの?」
猫は小さな口を開けて、にゃあと鳴いた。返事をしたつもりなのだろうが、何を言っているのかはわからない。聖女がおかしそうにくすくすと笑う。先ほど沈痛な空気が瞬く間に消えたのがわかった。そのことにオーウェンは少しほっとする。
「患者と接して、なにかわかったことやおかしいと感じたことはありませんでしたか?」
聖女は小首を傾げた。猫を足元に下ろし、司祭を見上げる。司祭も、さあというように首を捻った。
「とくに気になったことはありません。わたしはただ運ばれてきた患者を、精一杯の力で治療するだけですから」
「・・・・・そうですか」
フェイシスがオーウェンを見る。
「おまえは、なにか質問したいことはないのか?」
急に振られ、オーウェンは少しまごつく。聖女の瞳がオーウェンを見る。目があうと、彼女は口元に優しい微笑を浮かべた。
ナイト・クイーンについてはフェイシスが気になることはほとんど質問してしまっていた。少し考え、
「キラ・シジョウという少年をご存知ですか? 黒髪の少年ことです」
「キラですか?」
聖女は、意表を付かれたという表情をした。
「先ほど、祝福を受ける姿を見かけたのでお知り合いなのかと」
「ときどきこの教会へ寄付をしてくださいます。とても信仰心の厚い方です」
オーウェンは、あの表情のほとんど動かない冷たい美貌を思い出した。あの完璧な容姿には、信仰心など入り込む余地などないように見える。価値観の相違という奴なのか。
「どういった経緯でお知り合いになったのですか?」
「・・・・・・どうしてそのようなことをお尋ねになるのですか?」
反対に問い返されオーウェンは言葉に詰まる。思わずフェイシスに助け舟を求めると、
「まあ、ちょっとした事件の参考人なのですよ、彼は」
「あの方が当教会をどんな経緯でお知りになったかは、わたしも存じません。ただときどき祭儀や祝福を受けにこちらに来られます。敬虔な方ですわ」
「あなたは、キラ・シジョウが王の一人だということはご存知ですか?」
「ええ。大変なお役目に付いていることは知っています。でも、それがなにか?」
「いえ。あとは、そうですね、ベリティリについては、なにかご存知ですか?」
聖女はきょとりとした。質問が唐突過ぎたのだと言ってから気づいた。キラとベリティリの関係性に気付いているのは、オーウェン達だけだ。聖女の視線が、足元に落ちる。先ほどの猫が、犬のお座りのように座りこんで、オーウェン達を見上げていた。
「ベリティリという名は知っています。人殺しの名前ですね。ですが、それがナイト・クイーンやキラとどういった関係があるのでしょう?」
「いえ、参考までに聞いてみただけです」
「英雄と、呼ぶものもいるそうですね。ですが、わたしはベリティリはただの人殺しだと思います。どんな理由があろうと、他人の命を奪ってよい理由はありません」
目を伏せ辛そうに語る姿は、たぶん、ベリティリによって殺された人たちを悼んでのことなのだろう。華奢な肩を、シス司祭が叩いた。気遣うような視線を彼女に向け、今度はフェイシスを見る。
「申し訳ありませんが、そろそろ診療の時間なのです。少しは聖女を休ませなければ」
「あ、ええ、わかりました。お話、ありがとうございました」
「いえ。お役に立てず申し訳なかったです」
シス司祭が頭を下げたとき、ちりんと微かに鈴の音がした。オーウェンははっと司祭の顔を見る。彼はフェイシスと話をしている。ざっと見た様子では、彼の衣服には飾り一つない。黒のダルマティカの下に身につけているのだろう。
「シス司祭」
オーウェンが呼ぶと、シス司祭は素直にこちらを向いた。やはり微かだが、衣服の下から鈴の音が響く。気付いたのは、いや、気付けたのはオーウェンだけのようだ。
「なんでしょう?」
「綺麗な鈴の音ですね」
「え?」
「シス司祭の身体から、音が」
「あ、え、・・・ええ」
何故か彼は僅かにうろたえたように視線を彷徨わせた。無意識に腰元に手をやる。
「実は、俺、ちょっとした予知能力があるんです。聖女と同じように神に授けられた、力なんですよ」
急にそんなことを言い出したオーウェンに、シス司祭もフェイシスもぽかんとした。聖女だけ、面白そうに微笑みを浮かべている。
「あなたが持っている鈴は、銀色で、表面になにか模様の彫り込まれたものではないですか? そうですね、模様は、なにかの花の形ではありませんか?」
あきらかに司祭の顔に驚愕が浮かぶ。大きく見開いた瞳が、警戒するようにオーウェンを見た。しかし、オーウェンはそれに気付かない振りで、にこりと笑って見せた。
「どうです、当たりですか?」
「あ、え、ええ・・・・・・そうです。それが、なにか?」
強張った顔で、まるで逃げるように彼は一歩身を引いた。明らかに、奇妙な行動だった。
「いえ、なんとなく。綺麗な響きだなと思ったので興味を持っただけです。もしよろしければ、見せていただいても?」
「・・・・・もうしわけありませんが、大切な品物なので、それはご遠慮させてください。そろそろ、わたし達も失礼します」
まるで逃げるように背を向ける司祭は、あきらかに鈴に対して動揺していた。フェイシスも、何事だという顔をしている。
その司祭の後を追っていた聖女が数歩ほど歩いて、すぐに戻ってきた。
「クレイブスさん。大変なことをわたし忘れていました。せっかく貸していただいたハンカチを、血で汚してしまったままなのです。もしよろしければ、洗濯して後でお返ししたいのですが、構いませんか?」
「あ、いえ、ハンカチなんて、別にわざわざ洗濯なんてしてもらわなくても、自分でやりますよ」
「いいえ。わたしが、そうしたいんです」
にっこりと笑顔で断言されれば、それ以上断ることも出来ない。
「では、あの、お好きにどうぞ」
そう言うしかない。くすりと聖女は笑い声を響かせた。そして、急に笑みを引っ込めると、首を伸ばしオーウェンに顔を近づけた。愛らしい顔が目の前に迫り、慌てる。
「えっと・・・?」




