33
まずフェイシスはこの教会へ患者が運び込まれた経緯について質問した。それによると、患者はどれも急患扱いで運び込まれてきたらしい。聖女の秘跡は、基本的に予約制で行なわれる。というのも、日に聖女が流せる聖血には限りがあり、彼女の負担を考えてのことだという。もちろん急病人などは別扱にしているそうで、教会には小さいながら簡易病棟もあり、病や怪我の重たいものはそこで定期的に聖女の秘跡を受けることができるそうだ。
「どの患者さんも、夜半に訪ねてこられました。お医者様が助からぬと匙を投げられ、教会の噂を聞き及んで藁にも縋る思いでこちらへ参られたようで、ご両親の取り乱しようは見ていて哀れなほどでした」
「そのときの様子は、どんなものでした?」
「患者の様子ですか? そうですね、酷い苦しみようでした。喉元を掻き毟ったような痕があったり、吐血の痕跡も見られました。毒を飲んだと家族の方が仰るときもあれば、わけもわからず子どもが倒れたと言って運び込まれることもあります」
「報告には五人、と、ありました。五人、ナイト・クイーンの中毒患者がこちらへ運び込まれ、五人とも治療の甲斐なく亡くなってしまったと。本当に、その五人だけなのですか?」
青年司祭の眉が微かに潜められる。
「それはいったい、どういった意味の質問でしょうか? わたしどもは、警察に隠し事をしなければならないようなことはなにもしておりません」
「それは重々承知しておりますよ。わたしが言いたいのは、そうではなく、ナイト・クイーンで亡くなったのは五人。なら助かったものはいなかったのか、ということです。不審死の場合警察への報告義務がありますが、命が助かればそれは必要はありませんから」
「いません」
突然割って入った透き通るような凛とした声に、オーウェンもフェイシスも驚く。いつの間にか、司祭の傍らに聖女が立っていた。話しに気を取られていたとはいえ、まったく気配を感じなかったことに驚く。
美しいというよりも、可憐という言葉が似合うような少女だった。遠くから見ていたときには気付かなかったが、ずいぶんと華奢で小柄だ。まだ十五、十六ぐらいではないだろうか。ゆったりとしたダルマティカに、まるですっぽりと包まれているように見える。ウィンプルのせいで髪の色はわからないが、濡れたように艶めいて見える灰色の瞳が印象的だった。
「ナイト・クイーンに侵されて助かった方は一人もおりません。少なくとも、この教会へ運び込まれた方の中では、一人も。あれは、命を喰らう劇毒。せっかく掴んだ命を取りこぼすような真似はしませんでしょう」
言葉の不吉さとにこりと微笑んだ聖女の愛らしさに、少しの間オーウェンはぽかんとしてしまう。
「どちらが警視さんでしょう?」
幼子のように小首を傾げる。同じように聖女の、あまりに聖女らしからぬ子どものような雰囲気に戸惑っていたフェイシスが、慌ててわたしがと、名乗った。
「フェイシス・トーラントです。こっちがオーウェン・クレイブス」
藍色の瞳がオーウェンを見る。
「クレイブスさんは、警察の方?」
「あ、いえ。俺は違います。警察に協力しているだけの民間人ですよ」
「そうですか。あら、クレイブスさん。おでこ、とても痛そうです」
え? とオーウェンは額を押さえた。とたん鈍い痛みが頭部を揺する。今朝ぶつけたところが、どうやら瘤になっているらしい。なになに、と顔を覗き込んできたフェイシスも、顔を顰めた。
「青くなっているじゃないか。どうしたんだ?」
「いや、ちょっと転んでしまって」
「ナイフを」
聖女が司祭に告げた。
「それぐらいの怪我なら、わたしでも治せます」
司祭が差し出したナイフを取ろうとした聖女の手を見て、オーウェンはびっくりした。思わず、その白い手を掴んでいた。
「傷だらけじゃないか!」
掌や手の甲に至るまで、彼女の手は無数の切り傷で埋まっている。それが聖血の秘跡の儀式によるものだとは、考えるまでもない。オーウェンはすぐに首を振った。
「聖血の秘訣か何かしらないけど、女の子が身体に傷をつけるものじゃないよ! ましてや俺のたんこぶなんて、ほおっておいても治るものだ。そんなもののために、わざわざ手に傷なんて作る必要ない」
その力が本物なのか偽者なのかということよりも、あまりの痛ましさにオーウェンは聖女を叱りつけてしまっていた。
彼女がケイトと同じ年頃の少女だったせいもあった。下層区の娘は、貴族の娘と違い日々の生活を労働に終始される。冷たい水に手を浸すことも、重たい荷物を運ぶことも、男に混じって仕事をすることも、ごく普通のことだ。しかし、それでも少女達は少しでも美しく楽しく見せようと気を遣う。ドレスの裾の小さなレース飾りやハンカチに縫いこまれた刺繍絵、爪の綺麗な切り方や、髪の艶出しクリームの作り方など。若いからこそできる美しさをめいいっぱい楽しんでいるように見える姪の姿と、目の前で他人のために己の肉体を傷つける少女の姿が重なる。質素なダルマティカとウィンプル。化粧気はもちろん、洒落た飾り一つない姿に、なぜか哀しいと感じてしまった。
「とにかく、まず手当てをするべきだ」
オーウェンはまだ新しい、赤い血の滲んだ傷に自分のハンカチを押し付けた。血止めのつもりでぎゅっと彼女の手を握っていると、ぽんと肩を叩かれる。顔を上げると、呆れた顔をしたフェイシスと視線があった。
「手当てはわかったが妙齢の女性の手をいつまでも握っているものではないよ」
そこで、初めてオーウェンは自分が我を忘れていたことを自覚した。はっと、聖女の手を放す。
「あ、いや、これはっ!」
「いいのです。そんなことを言われたのは、初めてです」
聖女はハンカチの結ばれた手を胸元に引寄せた。
「わたしの力は神の授かり物。この力で助けを求める人を救うことが出来るのなら、傷など気になりません。ですが、あなたの気遣いはとても嬉しかった。ありがとうございます」
ふわりと柔らかく微笑んだ顔は、さっきまで子どものようだと感じたことが嘘のように大人びていた。ああ、本当に彼女は聖女と呼ばれ、多くの信者に慕われるような少女なのだと、オーウェンは実感した。
「あ、いや、その、出すぎたことを言いました」
聖女とは人に尽くすために存在するもの。それを否定するようなことを言ってしまったのは、まずかったかもしれない。
「自分の血で、自分の傷を治すことはできないのか?」
尋ねたのはフェイシスだ。聖女は彼へ顔を向け、首を振った。
「出来ません。わたしは、神の力を受ける器に過ぎませんから」
「それでは、あなたの信じる神は、他人を助けるためなら器がどうなろうと知ったことではないという考えなわけなのだな。あなたも、同じ人間だというのに」
聖女の瞳が緩く瞬く。皮肉を言われたことは、わかったはずだ。しかし、彼女は動じなかった。
「わたしは神の僕。この傷もまた、わたしを成長させるために神のお与えになった試練です」
「・・・・・うまいいい訳だ」
ぽそりと小さな声で呟かれた言葉に、オーウェンは苦笑を浮かべる。
ついさっきまでは聖女の力を信じていると自分で言っていたくせに、心の中では疑っているのだ。




