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「あそこに座っている黒髪の少年。彼が昨日エメライン嬢といた少年だ。さらには昨日死んだ被害者、ジョージ・ゲーブルを酒場から連れ出した人物」
そして、ベリティリの最有力候補者でもある。フェイシスはぎょっとして身を乗り出した。そして目当ての少年を見つけたとたん、青色の瞳がこれでもかと大きく見開かれた。
「・・・・・・キラだ」
呟いた声は掠れている。
「は?」
「キラ・シジョウ」
「知っているのか?」
呆然とした顔で椅子に座りなおしたフェイシスは、まだどこかぼんやりとしている。もしかして親しい知り合いだったのかと、オーウェンは心配になった。
「フェイ?」
すうと、彼の唇が薄く開いて息を吸い込む。
「確かにあいつなら黒髪だ。西方出身者だという話を聞いたことがある。だが、あいつを捕まえるのは至難の業だぞ」
「おい、いったいどうゆう意味なんだ? わかるように説明してくれよ」
「キラ・シジョウ。三十区から三十三区を支配する王だ」
今度はオーウェンもぽかんとした。フェイシスの顔と少年の横顔を交互に見る。ややして、自分は聴き間違いをしたんじゃないかと気付いた。
「なんだって?」
「あいつは、この下層区に八人いる統治者の一人だと言ったんだ」
ノーサスの統治者は国主アルベリ・ルティ・モナルカだ。しかし、広大な下層区をすべて目を通すことは不可能に近い。そのため、暗黙的に下層区には独自の裏自治が存在していた。そしてその自治権を一手に掌握するものを王と呼んだ。
下層区は十五区から三十三区の全十八区画から成り立つ。どの階級区よりも強大で人口の密集したこの地区に、現在、王と呼ばれる統治者が八人存在している。三十区から三十三区はもっとも治安が悪く犯罪発生率が高い場所だ。そんな場所を、あの美貌の少年が? オーウェンはまじまじとその白い横顔を見た。
人は見かけによらないとは言うが・・・。王の気質が、そのまま支配区に影響するものだ。とても、凶悪区の王とは思えない。むしろ、その王の愛人だといわれた方がよっぽど納得できるだろう。
「本当なのか?」
「見たんだよ、俺は」
フェイシスが抑えた声で言った。
「見た? なにを?」
「一年前だったか、三十三区の移民街で連続殺人事件が起きたのを覚えているか? おもに若い女性や子どもばかりを狙って二十五人もの被害者を出した凶悪事件だ。あそこは警察の介入を極端に嫌うから、捜査が難航して、被害者の数が増えるばかりだった」
ブラック・ストーカー。確かそんな名前でゴシップ誌に載っていたのを、読んだ記憶がある。おもに南方系出身者の女性や子どもばかりが狙われていたために、犯人は黒い肌に並々ならぬ執着を持った男性ではないだろうかと言われていた。被害者にはどれも性的暴行の痕跡があったらしい。
移民街の住人は、異国の地で出会った同胞に対して強い仲間意識を持つため、被害者のことにしろ犯人のことにしろ情報を警察に提供することを嫌がるのだそうだ。オーウェンはその頃にはとうにフェイシスの鴉をしていたが、三十三区は自分の管轄外だったため、事件の内容は新聞で読んだことぐらいのことしか知らない。思えば、あの頃のフェイシスはいつも疲れた顔をしていた。事件の担当をしていたとは知らなかった。
「だけど、犯人はちゃんと捕まえたんだろ?」
それも新聞から得た情報だが、見回り中の警官が、偶然犯行現場に居合わせ、取り押さえたという存外あっけない決着を見せたはずだ。そのブラック・ストーカーは裁判を待たず獄中で病死をしたというオチがついてくる。もっとも裁判をしたところで死刑はほぼ確定だっただろうが。
「それは嘘だ」
オーウェンは口を開けた。
「嘘? じゃあ、犯人はいまでも野放しなのか?」
「いや、そっちじゃない。犯人はきちんと捕まえた。警察が捕まえたというのが、嘘だ。それと獄中死というのも、嘘。捕まえたのは、警察じゃない。あいつだ」
フェイシスは、美貌の少年をまた顎で指す。
「突然、あの少年が、数人のお供を連れて警察署にやってきた。その連れてきたお供というのがまた凄くてな。どう見ても凶悪犯、もしくは刑務所帰りとでもいうようないかつい顔と体した男達を連れているんだ。こっちとしては、その少年がそいつらに連行されているように見えたよ。その少年が言ったんだ。警察の捜査があんまりに遅いんでこちらでカタをつけさせてもらったとな。少年が合図すると、男の一人が大きな袋を差し出してきた。受け取った警察官いわく、ずしりと重くて、なにやら水分を含んでいたそうだ。開けてみろといわれて、そこで袋を開け中を見て、仰天した警察官は腰を抜かしてしまった。中には男のバラバラ死体が入っていたのさ。若い男だった。あとの調査でわかったことだが、中流階級出身の坊ちゃんだったよ。昔、南方出身者の女と付き合っていたそうだが、別の男を好きになったとかで振られたんだそうだ。結婚して子どもまで作っちまったその女が忘れられなくて、憎くて、同じ肌の色をした女や子どもを犯して殺したんだろうと心理分析結果が出ている」
「・・・・・警察署に犯人の死体を持ってきたのか?」
さすがにオーウェンも言葉が出てこない。
「無能な警察がいつまでも犯人探しをしているのは哀れだから、捕まえて殺したついでに持ってきてやった、というのが理由だそうだ。殺したというのも正確ではないな。あいつらにすれば、制裁だ」
「捕まえなかったのか? いくら連続殺人鬼の死体だからって、命を奪ったら同じ殺人犯だろう?」
「もちろん捕まえようとしたさ。そうしたら、そのお供が言ったんだ。この方は、我らが王だとな。証も持っていた。認めないわけにはゆかないだろう? 警察と王の間には、公然の密約がある。王が行なういかなる犯罪も、警察の及ぶ範囲外にあるものとするってな」
ずいぶんと昔に決められたこの密約は、下層区の自治を王に委任することで、ともすれば混沌をきたす下層区の秩序を維持するかわりに、彼らに独自の権限を与えるものだった。王が己の自治区の中で起きた犯罪に対して制裁を行なうことを、警察は口出しできないのだ。
「あの顔だ、一度見れば忘れられない」
苦々しげにフェイシスが呟く。良くも悪くも目立つ顔だ。
不意にざわめきが大きくなった。どうやら聖血の秘跡が終わったらしい。聖女がまた祭壇脇に戻り、司祭が短い祈りを捧げる。これで本日の祭儀は終わったようだ。人々が立ち上がり、出口に向かうものや聖女や司祭の元へ行くもので教会の中がごった返した。黒のダルマティカ姿の若い娘が二人、木のボールを持って通路を行きつ戻りつしている。どうやら寄付金を集めているようだった。もしこっちまで来たら、さすがに寄付をしないのは大人気ないだろうかと、オーウェンはちょっと悩む。信じてもいない神に金を出すというのも腹立たしい気がする。
そのとき、視界の隅で黒髪が動いた。
立ち上がった少年が、真っ直ぐに聖女の下へ向かっている。傍らでフェイシスが身体を硬くしたのが伝わってきた。
制裁の名の下に人間をバラバラにするような人物だ。そして彼にはベリティリの容疑もかかっている。聖女に何かするつもりじゃないかと疑うのも当然だ。オーウェンも何かあればすぐに飛び出せるよう身構えた。
聖女があらというようにキラを見た。彼は聖女の前まで来ると、両膝を付いた。うなだれたように頭を下げる。その両手を聖女が取り、短い祈りの言葉を唱える。言葉が止まると、キラは頭を上げ、恭しく聖女の両手を引寄せ、その指先に口付けを落とした。
祝福の儀式だった。
ああ、とフェイシスが小さな声を出した。オーウェンは、その姿に見惚れた。他の信者達も、しばし、そのやりとりに目を留め、ため息を零す。彼らの頭上にはちょうど明り取り用の小窓があった。そこから白い光が帯のように差し込み、薄暗い教会の中で二人の姿を照らし出す。淡い光をまとっているかのようだ。
美貌の少年と白いダルマティカ姿の聖女のやりとりは、まるで素晴らし宗教画を見ているような気持ちにさせるものだった。
「あのキラが、神を信じるか・・・・・・」
ぽそりとフェイシスが呟く。皮肉な響きがあった。人を平然と殺すくせにと。その汚れた手でいったい誰の手に縋る気だと、フェイシスは言いたいのかもしれない。警察官である彼は、乱暴な言動とは裏腹に、誰よりも潔癖な精神の持ち主だということを、オーウェンは知っていた。
「信仰は個人の自由だ。罪を意識して初めて人は神の存在を知るもんだって、言うだろ」
取り成すわけではないが、なぜか自分の方がキラを庇うような言い方をしてしまう。それほどに、先ほど見せられた二人の姿は美しかったのだ。
祝福が終わると、キラは立ち上がり真っ直ぐに教会を出て行ってしまった。振り返って目で後姿を追っていると、教会脇に止められた馬車に乗り込む姿が見えた。がらがらと音を立てて馬車が遠ざかるの見送ってから、オーウェンはようやっと隣に座る幼馴染に顔を向けた。
「いいのか?」
「なにが?」
「行かせても」
「行かせるしかないだろう? 他にどうすればいい? キラがベリティリだという証拠はどこにもないんだ。たとえベリティリだったとしても、キラは王だ。捕まえるのはほとんど不可能だ」
唇を噛むフェイシスの横顔を、オーウェンは見つめる。悔しくないわけはないのだ。彼は自分の職業に誇りと信念を持っている。目の前で人を殺した男がいるのに、指をくわえて見てるしかないのだ。本当なら今すぐにだって飛び出して手錠をかけたいに違いない。
こんなとき、どうしてやることもできない自分に歯痒さを覚える。ややして、どんと自分の肩で、フェイシスの肩をどついた。驚いた顔をする。
「いたっ、なにをするんだ、オーウェン?」
「仕事の愚痴は酒の席で聞いてあげるよ」
フェイシスはびっくりしたように青色の瞳を丸くしたが、次にその瞳を細めると唇を歪めた品のない笑みを作った。
「おまえのおごりだと言うのなら、いいぞ?」
「はぁ? 高給取りが、薄給調査員にたかるんじゃないよ」
「リトル伯爵家から依頼が入ってんだろ?」
「あれは、後払いだっつうの」
二人が頭を突き合わせて、どちらがおごるかで揉めていると、柔らかな声がかけられた。
「仲が良いのですね」
司祭だった。オーウェン達の座っている椅子の横に立ち、微笑を浮かべて見下ろしている。慌てて居住まいを正したフェイシスが、立ち上がる。少し遅れてオーウェンも立ち上がった。
「トーラント警視ですか?」
司祭の青灰色の瞳がオーウェンを見、フェイシスを見る。
「フェイシス・トーラントです。彼はオーウェン・クレイブス。わたしの友人で、調査の協力をしてくれているものです」
「わたしは、アーシエラ・シスです。このエル・タリア女神教会で司祭をしております。わたしどもにお話を伺いとのことですが」
「ええ。ナイト・クイーン中毒でこちらに運び込まれた患者のお話をお伺いしたいと思いまして。出来れば、聖女さまにも、お話を伺いたいのですが」
フェイシスが言うと、シス司祭は鷹揚に頷いた。
「先にそのようにご連絡がありましたので、聖女には許可を取ってあります。いまはまだ信者が祝福を待っておりますので、それが終わり次第こちらに参るでしょう。それまでは、わたしでよければお話を伺います」




