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 オーウェンが帰宅できたのは明け方近くだった。ケイトの部屋をそっと覗くと、当然だが眠っている。深い寝息が薄く開けた扉越しに聞こえてくる。台所に行くとテーブルの上には布のかかった夕飯が用意されていた。そういえばごたごたに紛れて、昨夜は何も食べていない。遅く帰るつもりもなかったので、ケイトに夕飯のことをなにも言わなかった。彼女は遅くまでオーウェンの帰りを待っていてくれたのかもしれない。そう思うと、ひどく申し訳なく思う。

 しかし、さすがに眠気と疲れの方が深く、夕飯を食べる気力はない。一眠りした後の朝食にしよう。上着だけ脱いで、ベッドに潜り込んだ。

 ―――――夢を見た。黒い闇の中、風にはためく黒衣の外套。夜の空に傲然と君臨する死神。その手の中の漆黒の百合。風になびくフードの裾から見え隠れする黒い髪。ベリティリ。ベリティリは、夜の空を背にしてオーウェンを見下ろしている。これはあの夜の再現だ。フードの中の顔が見たいと思った。見せて欲しいと、声に出して伝えた。ベリティリはなにも答えない。

 恐ろしさは、何故か感じない。夢の中だと、自分でもわかっているからなのかもしれない。

 聞きたいことはいくつもある。何故人を殺すのか。何のために命を奪うのか。いったい何ものなのか。何を求めているのか。

 ただ静かに自分を見つめるベリティリは、まるで凪いだ水面のように静謐だ。死神と恐れられているのが嘘のようだと思った。本物のベリティリは、こんなにも静寂な空気を纏っている。惹かれるように手を伸ばしかけ、そこで突然すべてが弾けて消えた。

「おじさんっ!」

 耳元で怒鳴られ、オーウェンは飛び起きる。ケイトが枕元に立っていた。

「お客さん。トーラントさんが来てるわよ。早く起きて」

 いまだに夢と現実の境い目をうろうろしている叔父にそれだけ言うと、彼女はさっさと部屋を出て行ってしまった。オーウェンはしばらくぽかんとしていたが、やがてじわじわと先ほど見ていたベリティリが夢だったのだと思い至った。

「なんて夢を見てるんだ、俺は」

 安堵ともため息とも付かない呼吸が唇から零れる。もし夢が現実だったなら、自分は確実にベリティリに殺されているだろう。死神の夢など不吉以外の何ものでもない。オーウェンは急いで頭を振って夢の残滓をすべて追い払う。

 そして、ようやっとケイトの言葉が頭の中にしみこんだ。トーラントさんが来ている?

 慌てて身支度をすませる。あまりに慌てすぎたためか、それともまだ寝ぼけていたのか、洗面所の濡れた床で転んで、壁に額を打ち付けてしまった。おかげで目の前を火花が散って、すっかり眠気が吹き飛んだ。居間に行くと、ソファに腰掛けたフェイシスが優雅な仕草で紅茶を啜っていた。

「おじさん、ちゃんと顔洗った?」

「ああ、洗ったよ。おはよう」

「おはよう。昨日は夕飯食べなかったのね」

「うん。すぐに寝てしまったんだ。今食べるよ。えっと、フェイ?」

「疲れているようだな」

 カップから口を放した幼馴染は、唇を緩めて微笑む。彼の帰宅は自分よりもずっと遅かったはずだ。なのにぴしりと整えられた衣服に疲れのつの字も感じさせない顔は、さすがと言わざる終えない。

「あ~まあね」

 オーウェンはソファーではなく、続き部屋の台所件食堂のテーブルについた。その前にケイトが温めなおした夕飯を並べる。

「トーラントさんも、朝食ご一緒にいかがですか?」

「いや、ありがとう。でも遠慮するよ。食べてきたからね」

「ああ、そうだ、おじさん。トーラントさんに美味しいクッキーを戴いたの。後でお茶の時間に食べましょ」

 甘いもの好きのケイトのために買ってきたのだろう。オーウェンは微笑む。

「そう、それは良かったね、ケイト」

「俺は食べたことはないんだが、美味しいと評判な店らしいぞ。署の女の子達が話しているのを聞いたんだ」

「わざわざ悪いな、フェイ」

「いやいや。徹夜明けの友人の家へ朝早く訪問するには、手土産のひとつも用意しとかないとな」

 オーウェンは口に運んでいたスプーンの手を止めた。

「そういえば、おまえがここに来た用件をまだ聞いていなかった」

「用件は二つだ。まず一つ目。昨日の被害者の名前がわかった。ジョージ・ゲーブル。十九歳の美術学生だそうだ。彼はケーブル子爵の次男坊だ」

「子爵? とてもそうは見えなかったが?」

 オーウェンは生きている彼に会うことはできなかったが、遺体の服装を見ても到底貴族出身者には見えなかった。

「変装してたのか?」

「いや、勘当されていたんだそうだ。なんでも、父親と意見の不一致とか言う奴だそうで。しかしジョージ・ゲイブルといい、ウィリアム・リトルといい、なんだって貴族の坊ちゃん方が、下層区の酒場になんかいたのかってことだ」

「そこで薬の売買が行なわれていたんじゃないかという話しだそうだよ」

 ふむと、フェイシスは頷く。すぐに顔を顰め、

「あり得ることだな。・・・・・ああ、そうだ、オーウェン。そのジョージ・ゲイブルの恋人という女が、おまえのことを知りたがっていたから教えておいた」

「は? なんだ、それ?」

 突然そんなことを言われて面食らう。

「恋人の死を看取った相手が誰かと聞かれたから、お前の名前を教えたんだ。そうしたら何ものですかと聞いてくるんで、調査会社を開いている男だと言ったら、興味を持ったようだった。もしかしたら依頼に来るかもしれんな」

「はあ、まあ、仕事が増えるなら構わないけど・・・・・・。変な人じゃないんだよね?」

「商家の娘だそうだ。遺体に取り縋って泣いていたよ。警察に犯人を捕まえて欲しいと訴えていたが、犯人がベリティリだと聞いてはな。さすがに、黙り込んでしまった。下層区じゃ、ベリティリは半分英雄扱いだからな。この間殺された医者も、どうやら裏では禁止薬物の精製をしていたことで有名だったらしい」

「この間のお医者様って、おじさんが第一発見者になったって言う?」

 傍らで聞いていたケイトがびっくりしたように口を挟んだ。フェイシスが頷くと、彼女の頬が紅潮する。

「ああ、おじさん羨ましい。ベリティリに二度も会ってるんでしょ。わたしも会いたいわ!」

「いやいや、ベリティリに会ったからってなにかいいことあるわけじゃないよ。正直怖いだけだぞ、ケイト」

「でも、ベリティリといえば、このノーサスでは知らぬものはなしといわれる有名人よ。死神とも英雄とも殺人鬼とも言われてるけど、その実態はまったくの謎。男なのか女のか、それすらもわからない神秘のベールに包まれた存在じゃない。一度でいいわ、会ってその姿を見てみたいって思うのは、普通でしょう」

「そんなことをいう市民が多くなってしまって、おかげで警察の威信は地に落ちるばかりだ」

 ちっとも落ち込んではいなさそうな声で呟き、フェイシスが紅茶をすする。

「それで、もう一つの用件は?」

「ナイト・クイーンだ」

 オーウェンは目を瞬かせた。

「なんだって?」

 フェイシスがにこりと笑顔を作る。

「いつも俺に協力をしてくれる大事な友人に、今回は俺が協力をしてやろうかと思ったのさ」


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