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 オーウェンが案内されたのは警察署内部にあるフェイシスの私室だった。秘書にしばらくの間部屋に誰も入れないようにと指示を出し、閉じこもる。フェイシスの部屋はいつ来ても、たいそうな散らかりぶりだった。天井近くまである背の高い本棚には、事件の捜査資料や参考文献などがぎゅうぎゅうに押し込まれている。入りきらなかったものは、床や棚の上に積み上げられている。机の上にも、現在調査中の事件の経過書類などが山を作り、正直この机でどうやって仕事をしているのか不思議に思うところだ。

 フェイシスは椅子の上にまで零れ落ちていた書類を無造作に床の上に置いて席を作ると、そこにオーウェンを座らせ、自分はテーブルの上の書類を端に寄せて出来た空間に行儀悪く腰掛けた。到底貴族の作法とはいえないが、そこは下町育ちが長かったせいだ。

「まず聞きたいのは、お前が見たのは本当にベリティリだったのかということだ」

「名乗られたわけじゃない。漆黒の百合を持っているところに出くわしたわけでも、殺しの現場に居合わせたわけでもない。だが、あれは、少なくとも一度目に見たとき、あれはベリティリだったと確信してるよ。あんな禍々しく冷酷な気配を持った人間は、死神と呼ばれるベリティリしかいない」

「自分が助かった理由はわかるか?」

「さあねぇ。ベリティリの気まぐれじゃないのかな?」

「二度目のときは、どうなんだ?」

「ベリティリだったんじゃないかとは思う。一度目は姿を見たが、二度目のときは一瞬後姿を見ただけだから、確かな保証はないけど。ただ被害者は殺された直後のようだったし、エメライン嬢の様子からして、逃げたのはベリティリだったろうと思う。俺とエメライン嬢が見逃された理由は、さっきメイスン警部にも話したよ。エメライン嬢の悲鳴でよってきた野次馬達から身を隠すためだろう」

「・・・・・・ふむ」

「なあ、俺も聞きたいんだが、エメライン嬢は、なぜあんなところにいたんだ? あの男と彼女の関係はなんなんだ?」

「それはまだ聞き出せていない。ずいぶんとショックが強かったのか、いまだに目が覚めていないらしい。先に、お前が何故あんなところにいたのか教えてくれないか?」

 オーウェンはミレーユ・リトルの依頼の件について話した。ナイト・クイーンを追って、あの酒場まで行ったのだ。へぇと、他人事のように聞いているフェイシスの顔を見て、ふとある考えが浮かんだ。

「ミレーユ嬢に俺のことを教えたのは、フェイか?」

 看板も出していない下層区のクレイブス調査事務所のことを、上流階級の伯爵家ご令嬢が知っている理由。思えば、ミレーユは警察の方から話を聞いたといっていた。オーウェンが警察の鴉を務めていることを知っているのは、それを使っている人物だけだ。つまるところ、目の前の幼馴染以外にいないことになる。

 彼はあっさりと頷いた。

「そういえば、まだ言ってなかったか?」

「言ってないよ。彼女も警察から教えてもらったとだけしか言わなかったし」

「すぐに気付くと思ったんだが」

「今になって気付いたさ」

「彼女の父親とうちの父が懇意にしていてな。弟の事件のことを詳しく調べたいと言ってきたんだ。向こうとしてはあまり大袈裟にはしたくない反面、事件が事件なだけになんとか今回のことが若者達のナイト・クイーン使用の抑止力になれないかと考えているらしい。とはいえど、薬物の過剰摂取による死亡は、個人責任による事故扱いだ。こちらも事故死を事件として取り扱うのは、いくら相手が伯爵家のコネクションを持っていても難しい。麻薬課も一応はナイト・クイーンに警戒はしているよだが、巷に出回る薬物はそれきりだけじゃないからな。確かにナイト・クイーンの死亡率はずいぶんと高いが、危険な薬物は他にも出回っているし」

 フェイシスはそこで短くため息をついた。

「とにかく警察を動かすよりは、民間の調査員を使った方が早いだろうと判断して、おまえを推薦したんだ。おまえなら腕の信用はなるし、なによりもなにかあったときに直に報告が聞けるだろう?」

「一番の目的は、最後のそれだろう」

 オーウェンは意地悪く聞いてやると、幼馴染は微苦笑を浮かべた。

 階級が上がれば上がるほど、現場から上がってくる情報は振るいにかけられる。それがいい意味で厳選された情報なら良いが、そうじゃないことも多分に多いのだとフェイシスは言う。まあ、オーウェンにしてみれば伯爵家などという滅多にない客を紹介いただけて、恨むどころか恩に着るところだった。

 警察の鴉をやっている限り、ある程度の収入は約束される。決して大きな額ではないが、ケイトと二人暮らしていくのに惨めな思いをせず、たまになら多少の贅沢も出来る額だった。オーウェンはそのことでもフェイシスには感謝しきれないほどの恩がある。

 しかし、そこへ伯爵家の謝礼金が入ってくる。警察の報酬とは段違いの額だ。これならケイトのために季節ごとに新しいドレスを買ってやれるかもしれない。欲しかった本を我慢せずに買える。

「まあ、フェイのおかげでこっちとしては助かってるけどね」

 オーウェンが明るくそういうと、フェイシスは少しほっとした顔をした。

 彼なりに、よけいなことをしたんじゃないかと考えていたのかもしれない。

「気になることがあるんだ」

 オーウェンは言った。

「なぁ、フェイ、被害者の男の身元はわかってるのか?」

「いや、まだこちらにまで報告書は上がってきていないが。どうかしたのか?」

「マスターに、俺が探している男は、宝石のような男に連れ出されたと言った。今回の被害者はもしかしたら、その俺が探していた奴なんじゃないかと思うんだ」

「根拠は?」

「宝石のような男」

 フェイシスの眉根が寄る。

「なんだ、その詩的な表現は? おまえはいつから詩人になったんだ、オーウェン」

「俺が言い出したんじゃない、酒場のマスターが言ったのさ。今日、リトル家でエメライン嬢に偶然会ったんだが、彼女には連れがいたんだ。死んだ兄の友人だと言っていたんだが―――――」

「それがどうした?」

「まさに宝石のような男、というよりは美少年だった」

 漆黒の宝石ジェットの化身のような美しい少年だった。一目見ただけでわかるとマスターは言ったが、確かにあの少年といわれれば、納得できる表現だ。

「なんだそりゃあ?」

「黒い髪に黒い瞳をしていた」

 僅かにフェイシスの顔が険しいものになる。

「一度目のときも二度目のときも、俺は一瞬だけベリティリの姿を見ている。どちらも、黒い髪が、見えた」

「では、そいつがベリティリだと?」

 濃い青色の瞳が鋭く細まる。オーウェンは小さく肩を竦めた。

「わからない。まあ、だけど、そうも考えるのが妥当だと思う。この街に黒髪なんてそうそういるもんじゃない」

 逆に、物凄い確立の偶然で彼と同じような美貌の黒髪少年がもう一人いたとも考えられなくもないが、その確立そのものがかなり低いだろう。

 これは先ほどのメイスン警部に聞いた話だが、被害者の男は、心臓を鋭い片刃の刃物で一突きにされて死んでいたという。検視官が唸るほど鮮やかな刺し傷だったという話しだ。刃は身体の筋肉や肋骨の隙間を通り、手元に一切のぶれもなく真っ直ぐに心臓を刺し貫いていたそうだ。殺し慣れているというのが、一番最初の印象だと語ったらしい。

 被害者を殺したのはベリティリで間違いない。そして、被害者を殺したのは、状況から考えてあの黒髪の少年だ。

「ということは、エメライン嬢は被害者の連れだったのではなく、ベリティリの連れだったってことか? だが、もしそうだとしてなぜエメライン嬢と、ベリティリが共に行動しているんだ? そしてお前が探していた男を殺すんだ?」

「さあね。そればかりは彼女に聞かないと。ただ、エメライン嬢は彼がベリティリだったとは知らなかったのかもしれないね。じゃなきゃ、若い娘が安易に殺人鬼に近づいたりはしないだろう。リトル伯爵はどうなんだ? 娘を事件に関わらせる気はあるのかな?」

「息子の事件の依頼をしてきたのはリトル伯爵本人だ。しかしベリティリが関わっているとなると・・・・・・」

 言葉を濁すのは、ベリティリは目撃者を出さない、姿を見たもの殺されると、言われているからだ。娘がベリティリと関わりがある、もしくはベリティリの犯行を目撃していたとなると、伯爵は娘の身の安全を第一に優先するのは眼に見えている。

「その少年と会ったというなら名前はわからないのか?」

「会ったというよりも、遭遇したという言い方の方が相応しいような出会いだったからね。名前なんて聞けるわけがない」

 そもそも、彼はあのとき一言さえも言葉を発しようとしなかった。もしかしたら、こちらの言葉を知らないのか・・・。十数時間前のことを反芻しているオーウェンの耳に、苦んだ幼馴染の声が聞こえてくる。

「それにしても黒髪か・・・珍しい色だな。このノーサスに黒髪の持ち主が何人いるか」

「移民街に行けば数人ぐらいはいるんじゃないのかな」

「その数人のうちの一人が、ベリティリかもしれないということか・・・・・・だが、逆に得心がいくというものだ。ベリティリが己の姿を晒すことを極端に避けるのは、この国では目立ちすぎる特徴のためだったというわけか」

「だけど、エメライン嬢と一緒にいた少年が、そんな最下層区の住人には見えなかったけどな」

 移民街は、三十三区の別名だ。ノーサスで最も猥雑で治安が悪いことで知られている。しかし、あの少年には確かに顔立ちに異国を感じはしたが、身形も立ち居振る舞いにも独特な品と美しさがあった。到底貧困生活者には見えない。

「ただ、改めて彼が貴族なのかと聞かれると、これがまたわからないんだ。不思議な雰囲気の子だったからね。フェイこそ思い当たる相手はいないの?」

 上流貴族が社交場にも顔を出すことのあるフェイシスなら、なにか思い当たらないかと問う。

「・・・・・・いや、聞かないな。黒髪というだけでも充分目立つのに、オーウェンが言うならたいそうな美少年なんだろう? いれば目立つはずだがなぁ」

 うーんと首を捻るが、ふと、何かを思いついたらしい、ぽんと手を打った。

「上流階級と黒髪で思い出したが、確かトユイの王子も黒髪だったな」

 あまり上流階級の話題に興味のないオーウェンは、今から二年ほど前に遊学のためという理由でこのアルカシス大陸へやってきた西方の王子がいるということぐらいしか知らない。確か王子はこのノーサスの港から初めて大陸へ上陸した西方出身の王族で、ここを拠点に諸国を回っているという話しだ。

 遊学の目的は見聞を広めるためだとか。トユイは小さな島国で知られている。最近になって他国と積極的に交流をするようになったが、それまではひどく閉鎖的な国で有名だった。なんでも王族は神の末裔だとする、独特の宗教観念を持ち、神秘性の強い国だというらしいが。

 フェイシスにどうなのだと尋ねてみると、あっさりと頷かれた。

「滅多に人前に姿を見せないんで有名だぞ。ほとんど用意された屋敷に閉じこもったまま、ウチの国王が主催するパーティーにも出て気やしないんだと。あれのどこが遊学なんだというのがもっぱらの話しだ。まあ、西方の島々は、一つ一つが独立した王国島だ。あそこの海域は波が荒くて船の事故が多いことで知られている。それが他国や他島との交流が極端に少なかった理由なんだろうが、そのために島国独特の文化や宗教が生み出さるきっかけにもなったんだろう。最近になってようやっと船舶技術が上がってきて、貿易にも力を入れだしたついでに、王家の人間に世界情勢でも見せて今後の役にたてようとでも思ってるんじゃないのか。・・・・・・正直成功しているとは思えないがな」

「まあ、そんな王子様がベリティリってことはまず、ないだろうな」

「当たり前だ。黒髪というだけでそんなことを言ってみろ、不敬罪でおまえを捕まえなきゃならなくなるじゃないか」

 フェイシスは呆れたようにオーウェンを見て、やれやれとため息を落とした。


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