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「いい加減、本当のことを言ったらどうなんだ!」
メイスン警部と名乗った男は、どすんと拳で机を殴りつけた。しかし、どうやら本人も想像以上の力がかかってしまったらしく、オーウェンを怒鳴りつけながらこっそりと手を引っ込め撫でている。短い手足に太った腹、鼻の下のちょび髭。年の頃は四十過ぎだろうか。卵を思わせる丸いずんぐりとした体型に、これまた丸い頭が乗っている。刑事というよりは、道化師のような印象の男だった。
オーウェンは、灰色の岩壁がむき出した部屋の中にいた。窓がないのは、ここが地下の取調室だからだ。殺人事件の発見者として調書を取るだけだと思っていたら、何故か狭苦しい個室に連れ込まれ、さっきからいわれのない糾弾を受けている。理不尽としか言いようがない。
オーウェンはもう何度目になるのかわからない言葉をため息とともに吐き出す。
「だから、俺があそこにいたのはただの偶然ですよ。店を出たら悲鳴が聞こえてきたんで覗いてみたら、男が死んでたんですって。そのときに、ちらとベリティリらしい人影を見たなって、言ってるだけじゃないですか。あくまでもベリティリらしい人影ってだけで、本物かどうかもわかんないし、見たのだって一瞬だけだったんですよ」
「犯行直後に逃走する人間っつったら犯人以外いるわきゃねぇだろうが。漆黒の百合はベリティリの象徴だ。てめぇが見たのはベリティリ以外に考えられねぇんだよ」
それは、オーウェンも激しく同意する。しかし、それ以外は猛烈に同意できない。
「例えそうだとしても、俺はベリティリとは無関係です」
「じゃあ、なにか、ベリティリは目撃者を二度も見逃したってことか? そんなことがあるか? 今までこんなことは一度だってなかった。おまえが見逃されたのはベリティリと繋がりがあるからなんじゃないか?」
「俺は例外中の例外ってだけですよ」
死神を見たものはいない。その姿を見たものはベリティリによって殺される。そう言われている。しかし、実際のところそれらはすべて人伝の噂に過ぎず、誇張されたゴシップ誌の一文に記されているだけだ。信憑性など、あってないようなものだ。
冷酷で狡猾な殺人鬼の存在は人々を恐怖に慄かせ、その反面警察を煙に巻いて繰り返される犯行の大胆さと神秘さに興味と好奇心を抱かせた。いつしか夜を統べる死神だとか、闇を駆ける魔物だと言われるようになった。だが、その真実は結局、ただの人間なのだと、冷静になってみればわかることだ。
この世に魔物も死神も存在しない。それはおとぎ話の中の存在だ。だからこそ、警察は躍起になってベリティリを追う。
オーウェンがベリティリに見逃された理由はわからない。単純に考えれば、殺すほどでもないとみなされたのだろう。
「生き残った目撃者なら俺以外にもあのエメライン嬢がいるじゃないですか。死体のすぐ側に彼女はいたんですよ。俺なんかよりもよっぽどベリティリを見てるんじゃないですか?」
オーウェンが反論すると、メイスン警部は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「彼女は今病院だ。精神的ショックが強かったらしく、当分は入院させるらしい」
「俺も、充分精神的ショックを受けてますよ。ベリティリは恐ろしいわ、警部さんは横暴だわ」
「なにをいっとるかっ! 貴様は、本官を愚弄する気か!」
「まさか。ただ、何事も疑ってかかってばかりだと大事なことを見失いますよってことですよ。俺は、本当に偶然居合わせただけなんですって。ベリティリとはなんの関係もない。平々凡々とした人畜無害な一般市民なんですから。なんでベリティリが俺を見逃したかなんて本当にわからないんです。ああ、でも二度目に見逃された理由は、なんとなく予想は付きますがね」
オーウェンはそこでにっこりと笑う。メイソン警部の太い眉毛がぴくりと動いた。
「ほう、なんだ、言ってみろ」
「殺害場所は、もっとも酒場が賑わう時刻の裏路地でした。偶然にしろ必然にしろ、たぶんエメライン嬢はベリティリの殺害の瞬間を見てしまったんじゃないかと思います。なにしろ、彼女の服には飛沫血痕が飛び散っていましたからね。あれが衣服に付くのは、殺しの瞬間すぐ側にいたということです。どうしてエメライン嬢がそこにいたのかはわかりません。殺された男性と知り合いだったのかもしれません。どっちにしろ、ベリティリは殺人を行なうときに彼女が側にいても決行した。もしかしたら被害者の次に彼女を狙うつもりだったのかもしれません。しかし、彼女は恐怖で悲鳴を上げた。ベリティリにとっての誤算は、殺害場所を路地の入り口付近で行なったことです。悲鳴は通りを歩いていた多くの人の耳に届きました。すぐ近くにいた俺が一番最初に飛び込みましたが、そのすぐ後で他の人たちも何事かと覗きに来ていましたよ。つまるところ、ベリティリはあそこで逃げ出すしかなかったんですよ。じゃなければ、もっと多くの人に自分の姿を晒すことになってしまう」
メイスン警部はうーんと腕を組んで唸り声を上げた。
「確かに、おまえの言うことは一理ある・・・・・・」
「それにですね、警部さん、ベリティリの犯行は、その月々で変りますが、多ければ四人五人と殺すこともあるわけですから、偶然の目撃者が出てもおかしくはないでしょう? 今までだって本当はいたのかもしれませんよ、恐ろしくて黙っていただけで。ベリティリを目撃して、それを見逃されたからって俺を仲間だとか関係者じゃないかって疑うのは軽率すぎるんじゃないでしょうか?」
「まあ、確かにそう言われてみればそうだな・・・・・って、おいっ! いつからおまえは俺に意見できるほど偉くなったんだ! 容疑者が偉そうにぺらぺらまくしたててんじゃねぇよ!」
ついうっかりオーウェンの話しに流されかけていたメイスン警部は、我に帰って再び大声を出した始めた。飛び散る唾に、オーウェンは顔を顰める。
「なんですか、それ、意見が聞きたいっていったのはそっちじゃないですかー」
「よけいなことまで話せとは言ってねぇんだよ」
それを横暴というのだと、オーウェンは心の中でごちる。
「こっちとしても、無罪で捕まるのはご免こうむりたいんですけど」
はんと、メイスン警部はちょび髭を震わせる。
「確かに二度目のときおまえが見逃された理由は納得した。しかし、一回目はどうしてだ? てめぇはベリティリの姿をしっかり見たんだろうが。しかも、人気のない路地で、だ。殺そうと思えばいくらでも口封じ出来たってのに、なんで、奴はおまえを見逃したのか、その理由を納得させてもらえない限りは、てめぇの拘束を解くわけにはいかねぇな」
「ちょっ、なんですかそれ! そんなことベリティリ本人に聞いてくださいよ」
それこそ、自分が一番知りたいぐらいだ。
「そもそも、てめぇは二度も奴に遭遇している。ベリティリをずっと追い続けてる俺達警察でさえ、その姿を見たことさえねぇってのにだ。なんでだ?」
「・・・・・・そんなこと俺が聞きたいぐらいですよ」
オーウェンは口を尖らせて、頬杖をついた。そのとき、音を立てず扉を開け、若い男が入ってきた。白い肌に輝くような金髪をしている。彼はオーウェンを見て、理知的な印象を与える濃い青色の瞳を細めた。次に、メイスン警部を見る。
「メイスン警部、いい加減そこまでにしてやってくれないか?」
ぱりっとした仕立ての良いフロックコートを着たいかにも上流階級に属する男は優雅な足取りでオーウェンの背後に立った。驚いたメイスン警部が椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、敬礼する。
「これはこれは、トーラント警視っ!」
「こんな遅くまで取調べとは、仕事熱心だな。しかし、こいつはわたしの鴉なのだよ、これでもね」
メイスン警部の目が大きく見開かれる。
「そ、それじゃあ、こいつがトーラント警視のっ!」
絶句したまま丸い瞳で自分を見つめる警部の瞳に、オーウェンは苦笑を滲ませた。
鴉というのは、警察の隠語だ。街の中を縦横に動き回り、黒い翼で影に溶け込み、腐敗物を見つけ出し漁り糧とする、警察の息のかかった調査員や探偵をそう呼ぶ。警察内部では承知の存在も、一般市民にはほとんど隠されているための隠語だと言える。
オーウェンは、フェイシス・トーラント直属の鴉だった。
鴉は、一個人の所有のときもあれば、課全体が所有しているときもある。一人の調査員もしくは一つの調査会社に対し、基本的にパートナーは一人もしくは一つと決められている。ただしそれを個人とするか、団体とするかはそれぞれの調査員達に任されている。
その一方で警察側は鴉の複数所有は認められている。結局のところ数で物を言わせるか、腕で物を言わせるかの違いだ。
優秀な刑事には優秀な鴉というのが、ここでの常識だ。そして、一応ノーサスでのオーウェンとフェイシス・トーラントの評価は、おおむね優秀の部類に入っているらしい。
フェイシスの手がオーウェンの肩を叩き、立ち上がるように促した。
「彼にはわたしも少しばかり用があってね。これで失礼させてもらうが、かまわないかな」
問いかけてはいるが、これは命令だ。メイスン警部と警視の彼とでは明らかに階級が違う。その上、叩き上げのメイスン警部に対して、フェイシス・トーラントはキャリア組み。二十代という若さで警視の座に着くには、もちろん本人の優秀さもあっただろうが、なによりも彼の父親が警察上層部の人間であり、貴族階級だからだ。
メイスン警部とは何もかもが違いすぎる。
へこへこと頭を下げて、取調室から自分達を見送る彼に、オーウェンは少しばかり不憫さを覚えた。
ため息を零した自分に、隣を歩いていた若き警視は眉を寄せた。
「なんだ、そのため息は?」
「いや、ちょっと世の無常を感じてな」
「おいおい、おまえが捕まって取調べを受けていると聞いて慌てて駆けつけた俺に対する言葉が、それか? 普通、礼ぐらい言うものだろうが」
先ほどの偉そうな貴族然とした雰囲気が一気に崩れ、とたん粗雑ないまどきの若者の顔になる。
「あ、いや、そうだったな。助かったよ、ありがとう、フェイ」
フェイと、オーウェンは彼のことをそう呼ぶ。フェイシスは呆れた顔で幼馴染を見返す。
トーラント伯爵の一人息子であるフェイシス・トーラントは、かつてはオーウェンと共に下層区で暮らしていた。彼の母親は、トーラント家で働く侍女だった。その当時、トーラント家は若き当主が治めていた。当主には政略結婚で結ばれた妻がいたが、トーラント伯爵は身分のはるか下の娘と恋におちた。しかし、そのことが奥方に知られ、侍女は屋敷から追い出されてしまう。そのとき侍女の腹には新たな命が生まれていた。彼女は一人で子どもを育て上げることを決意し、下層区でアパートを借り細々ながら生活を始めた。十月十日後に生まれたのは息子だった。
それから十年後トーラント家では、奥方が流行病によって亡くなり、跡継ぎのないままトーラント伯爵は一人身になった。煩く嫉妬深い妻から介抱されたトーラント伯爵はすぐにもかつての恋人を探した。しかし、そのときにはなんの運命の悪戯か、奥方の命を奪ったのと同じ流行病で恋人は死の床にあった。かろうじて再会を果たした二人は短い逢瀬を交わし、悲しい別れを迎える。一人取り残されたトーラント伯爵は失意の底で、恋人が子を残したことを知った。その子どもこそが、フェイシス・トーラントだ。
彼は十歳の年まで、オーウェンの家の隣に住んでいた。若く美しい母親との二人暮しで、母親思いの子どもだった。利発で活発だった彼と、オーウェンはよく一緒に遊んだものだった。彼がトーラント家に引き取られたときは哀しくて泣いたものだ。それ以後数年の間交流は絶たれたが、彼が優秀な成績でパブリック・スクールを卒業した年に、再び再会した。今でこそ身分の差こそあれど、オーウェンとフェイシスは幼い頃と変らない友情を築いている。
「それで、おまえは、本当にベリティリと遭遇したのか?」
「ああ。本当だ」
隣を歩いていたフェイシスの足がぴたりと止まる。まじまじとオーウェンを見た。濃い青色の瞳の中に、自分の顔が移りこんでいるのが見えた。
「・・・・・よく助かったものだな」
心底安堵したように言われ、オーウェンは面映くなる。茶化すように肩を竦め、
「自分でもそう思うよ」
「冗談じゃない。ベリティリが目撃者を残したことはほとんどないというのが、通説だ」
「あくまでも通説だろう? 例外もあるさ。それが俺というわけだ」
「わかった。詳しく話を聞かせてもらう」




