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「部屋の中は生前のままにしています。事件直後は警察がいくつか私物を持って行ってしまいましたが、今は全部戻ってきてここに」

 机の上を掌で指す。そこには封の破られた手紙や財布、手帳、カード入れなどが置かれてあった。

「そういえば、わたくし、まだ弟の名前を教えていませんでしたわね。ウィリアム・リトル。一つ下の十七歳でした」

「それはまた・・・ずいぶんと若い」

 オーウェンが呟くと、ミレーユは小さく微笑んだ。

 まずオーウェンとケイトは、手分けして部屋の中にナイト・クイーンの痕跡がないかを調べた。しかし、警察が一度捜索をした後では、特に変ったものは見当たらなかった。

 なによりも、ウィリアム・リトルの部屋はあまりに物が少なかった。本の並んでいない本棚、何も飾られていない飾り棚。壁にうっすらと日焼の跡があるのは、昔はそこに絵でも飾られていたのだろうが、今は白い壁紙がむき出しになってしまっている。

 部屋を見回して感じることは、なんとも淋しげだということだった。

「昔はこうじゃなかったんです」

 不意にミレーユが言った。オーウェンが振り向くと、彼女は本棚の縁をそっとなぞっていた。

「本の好きな子でした。父は弟に沢山の本を買って与えました。手に入りにくい西方の珍しい本や、小人が作ったといわれる豆サイズの小さな本、面白い本や変った本、小さな子が読むような童話から、大人が読むような科学の本など、たくさん並んでいたんです。でも、弟はそれを売ってしまいました。ナイト・クイーンを買うために」

「そのナイト・クイーンは、見つかったんですか?」

「いいえ」

 ミレーユは、疲れたように首を振った。

「ねぇ、おじさん。これ」

 机の上を調べていたケイトが、黒皮の手帳をオーウェンに見せた。

「ここに何度も何度も、同じ店の名前が出てるの。死ぬ前に、そこへ通ってたみたい」

 確かに予定表に幾度も同じ店の名前が書き込んであった。

「あと、これも」

 今度はカード入れを開き、中から一枚抜き出した。差し出されたそれを受け取って観察する。目の荒い安物紙に『蛸の足亭』と店の名前が印刷されている。ウィリアムの手帳に何度も書かれてあった名前だ。

 オーウェンは眉を潜める。

「二十区の店じゃないか。なんで伯爵家の子息が、下層区の店なんかに行くんだ?」

「警察も同じことを仰いました。薬を買うために利用していたのではないかと」

「警察がそういったの?」

 ケイトの問いにミレーユが頷く。

 あり得る話だった。下層区は他のどの階級区よりも大きな地域を占めているため、警察の手が回りきらない。公然と犯罪が行なわれている場所も少なくなかった。

 金を積めば、おおよそ手に入らないものはない。それが下層区の闇の一つだ。麻薬も同じ。ならナイト・クイーンもその闇から生まれ出てきたのかもしれない。

「この手帳をしばらく預かっても?」

「どうぞ、お役に立つのであれば」

「それと、もう一つ。弟さんの写真も出来れば貸していただきたいんですが」

 ミレーユはそれも快く貸し出してくれた。それ以外は、特にめぼしいものは見つからなかった。

 ウィリアム・リトルは死ぬ前の一時期絵画にはまっていたらしく、壁際に乱雑にイーゼルやカンバスや絵の具が置きっぱなしになっていたが、真新しい赤や青の絵の具の小瓶が並んでいるぐらいで、特に変わった物はない。どのカンバスもスケッチブックも白紙のままだったが、一枚だけ人物画が混ざっていた。まだ若い娘の横顔で、清楚で温かな雰囲気の絵だった。

 オーウェンには絵心はまったくなかったが、 一目でいい絵だとわかった。白く小さなスケッチブックの中の世界には、画家の愛情が詰まっていた。

 思わずその絵をミレーユに見せて、オーウェンは言っていた。

「素敵な絵をかかれる方だったんですね」

 ミレーユはじっとその絵を見つめると、緩く首を振った。

「わたくしは知りませんでした」

「え?」

「弟が絵を描いていたなんて、わたくしを含め家族は誰も知りませんでした。・・・・・家族といっても、知らないことって案外多いんですね。それともわたくしたちだけなのかしら。昔はこんなふうじゃなかった。本当に仲のよい兄弟だったんです。でもいつの間にか、すぐ側にいたのにお互いのことが見えなくなってしまった」

 語尾の震えが、彼女に哀しい記憶を思い出させてしまったのだと、オーウェンを焦らせた。彼女は、いや、彼女達家族は弟の死を自分達の至らなさゆえに起きたことだと思っているのだ。

 唐突に大切な人を目の前から奪われると、人は怒りをぶつける場所を探して彷徨う。運良くそれを見つけることが出来ればいいが、見つからない場合、それは彼女達のように自分自身の内側へ向かって行くのかもしれない。

 それは、なんと哀しいことだろうか。


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