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そこは不思議な場所だった。エメラインは確かに地下へと続く階段を降りたはずだった。階段は円を描くようにくねりながら、まるでモグラのように地中の中へ続いていた。階段にはところどころ灯が燈されていたが、小さな蝋燭の明かりでは闇の濃さは振り払えない。饐えたような淀んだ空気が満ちていた。長いこと地中の中に埋まっていた空気の匂いだと感じた。空気がすでに腐っているのかもしれない。エメラインはドレスの裾を握り締めた。
目の前を黒い服を纏った青年が歩いている。彼の手にも小さな燭台が握られている。その火が青年の背中から落ちる影を不気味に揺らめかせ、エメラインの恐怖心を煽った。こんな所に来るべきではなかったのかもしれない。そう思いかけ、慌てて首を振る。だめだ、自分は兄の敵を討つと決めたのだ。そのためにここに来たのだ。
ずいぶんと下に降りたところで、ようやっと階段が終わった。細い廊下が少し続き、分厚い扉にぶつかる。青年が扉を押し開けた。その瞬間、エメラインの瞳の中に眩しいくらいの強い光が押し寄せてきた。思わず小さな悲鳴をあげて、目を瞑る。
瞼の裏を白い光が踊っていた。
部屋の中に入るように肩を押された。そろそろと目を開けると、そこには楽園が広がっていた。
溢れかえる緑の群生。噎せかえる土と緑の香り。青々とした葉を茂らせた木々が部屋中を満たし、花や木の実をつけて枝をしならせている。小鳥がちちちっと小さな嘶きをあげて頭上を飛び去った。エメラインは思わず空を見上げた。いつの間にか外に出てしまったのだろうか。
しかし、天井はアーチを描く石組だった。青い空は見えない。明るいのは、天井のあちこちから吊るされたシャンデリアのせいだ。ここは室内なのだ。建物の中、しかも地面のはるか下に、存在している部屋なのだ。
死ねば人は冥府に行くというが、冥府は暗い地中の奥深くに入り口があるという。しかし、ここは冥府と呼ぶには美しすぎる場所だった。赤い花が足元で揺れている。エメラインは花を踏みつけぬように、ドレスの裾を持ち上げた。
「こちらです」
青年が、彼女を促した。
青年は白い仮面をつけていた。外見から年齢を計ることは出来なかったが、声が若かったのでまだ二十代だろうとエメラインは予想している。緑の中に一本の小道が出来ている。その小道を進むと、池に出た。青々とした水をたたえた池だ。どこから湧き出しているのか美しい清水を称えていた。その池の中央に小さな舞台が設えてあった。舞台には葦を編んだカーテンのようなものが落とされていた。そのせいで、カーテンの内側が見えない。エメラインは知らなかったが、これは西方では御簾と呼ぶもので、人目隠しに使うものだった。
「ベリティリ、お連れいたしました」
青年が池の手前で膝を折った。
エメラインの身体が震える。それでは、このカーテンの向こう側に死神がいるのだ。
青年が振り返った。ひたと自分を見据える瞳の色が、初めて青灰色をしていることに彼女は気付いた。嵐の日の湖の色だ。
「望みを」
囁かれて、エメラインは話した。願いを望みを。怒りを憎しみを嘆きを。闇に住まう死神に。すべて話しきった。死神からの言葉はなかった。本当にそこに死神がいるのか疑いたくなるほど、静かだった。
返事をもらえるのだろうか。死神は、願いを聞いてくれるのだろうか。両手で祈るように手を握り締めていたエメラインの前で、初めてカーテンが揺れた。
するりとカーテンの端がめくれ、そこから少年が現れた。
墨染めのような艶のない黒い服を纏っている。少年は、エメラインを見た。
それは驚くほど美しい少年だった。年は自分とさして変らないように見える。十六、十七歳ぐらいだろうか。小さな顔につんと尖った顎。精密細工のように絶妙なバランスで収まっている目鼻立ち。とくに目を惹くのが、少年はこの国では珍しい漆黒の髪と瞳をしていたのだ。柔らかく揺れる闇色の髪と、伏目がちの黒玉のような瞳。
エメラインはしばらくの間、その少年に見惚れた。
ややして、ようやく彼女は喘ぐように言葉を紡いだ。
「あなたが、ベリティリなのね?」
少年は、確かに夜を統べるものに相応しかった。




