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 クレイブス調査事務所の仕事は、素行・浮気調査、家出人や債権者探しなど、おもに人や物を過去現在に至って調べることを生業としているが、実のところ警察からの個人的な依頼が、一番多い。大規模な商業都市であり、王城を戴く首都でもあるノーサスは犯罪率も高い。しかしそれに対して警察の人数が圧倒的に少なかったのだ。特に、明確な身分の住み分けがなされていることが、捜査を困難にしていた。

 上流階級は警察が関わることをスキャンダルとみなして嫌がる。下層階級は警察に対して警戒心と嫌悪感を持っている。どちらも警察が自分達のテリトリーに進入してくることを酷く嫌がる。困り果てた警察が頼ったのが民間の興信所や調査会社だ。それぞれの地域社会に溶け込んだ調査員が、警察の変わりに動く。それがクレイブス調査事務所だ。

 おもに犯人や犯人関係者の内部調査と、逃亡中の犯人の探索が仕事だ。

 しかし、ときおりこうして一般人からの依頼も舞い込んで来る。

 彼女はミレーユ・リトルと名乗った。淡い金色の髪と薄水色の瞳をした柔らかな微笑が似合う優しげな顔立ちの女性だった。しかし、その顔に笑みはなく思いつめたように沈み込んでいる。理由は問わなくても察せられた。彼女が喪服を身に纏っていたからだ。

 飾り気のない黒のドレスは、しかし良く見ればずいぶんと上等な生地で作り上げられている。胸元に飾る黒玉ジェットのブローチは精巧な細工だ。貴族や金持ちの持ち物になるべく作られた宝石細工だ。

 彼女の来訪は数日前に、彼女の遣いだという人物からあらかじめ告げられていた。彼女の父親は伯爵位を持つ貿易商で、母親は数代前に王家の姫が降嫁したこともあったという男爵家の出だ。ミレーユ・リトルは由緒正しい貴族の令嬢だった。そんな女性が下町のアパートを訪ねてくることなど、本来ありえない。

 彼女は表に一頭立ての小型の箱馬車を止め、一人でここまでやってきた。スプリングの緩くなったソファに座り、緊張した表情で俯いている。そんな彼女の気持ちが伝染してきたのか、向かいに座るオーウェンまで緊張してきた。なにしろ、目の前にいるのはノーサス屈指の富豪貴族の令嬢だ。

 そこでケイトが紅茶を運んできた。そっとミレーユの前にカップを置きながら、気さくな様子で話しかけた。

「安物の紅茶ですけど、味はけっこう良いんですよ。よかったらどうぞ」

 明るい笑顔に彼女はほんの少し頭を上げ、紅茶を見た。うちで一番高価なカップだった。彼女は優雅な仕草で紅茶を取ると、そっと口に運んだ。白い喉が動くのを、オーウェンとケイトはじっと見守る。

 彼女は唇から紅茶を話すと、二人を見た。微かな笑みを浮かべて、

「美味しいですわ」

「よかった、お口にあって」

 ケイトがほっと胸を撫で下ろす。オーウェンはそれを話を切り出すきっかけにした。

「俺の名前はオーウェン・クレイブス。ここの所長をしています。彼女はケイト・アジャーノ。俺の姪で、助手をしています」

「クレイブスさんのことは聞いております。あの、ここはお二人だけでやっていらっしゃるのですか?」

「社員は俺と彼女の二人です。あいにくと、そう繁盛しているわけではありませんので、他の社員を雇い入れる余裕がありませんでね。それに、今のところは二人でも十分やっていけてますよ。失礼ですが、ウチのことは誰からお話を?」

 ミレーユは、目を伏せた。

「警察に・・・・・・警察の方に窺いました、わたくしの弟の事件のときに」

 直感的に、死んだのは彼女の弟なのだろうと、オーウェンは悟った。そして、今度の依頼はその弟に関係することなのだろうとも。

 彼女はおもむろに切り出した。

「ナイト・クイーンという薬をご存知ですか?」

「ナイト・クイーン? いえ、聞いたことはありませんが」

「最近、若者の間で流行しているという麻薬です。もっともお医者様に言わせると、麻薬なんてとんでもない、麻薬よりも恐ろしいものだという話です」

「麻薬よりも、恐ろしい?」

 麻薬も充分恐ろしいものだろう。あれは人間の人格を崩壊させる毒だ。

「ナイト・クイーンはほんの少量で強い多幸感を得られるのだそうです。ただ、依存性はそれほど強いものではないので、それが安易に若者が手を伸ばすきっかけになっているんじゃないかと警察が仰っていました。恐ろしいのは、薬は少量で強い多幸感を得られる反面、ほんの少しでも量を間違えれば、すぐに劇毒に変ってしまうことです。薬は身体の内部から臓器を瞬く間に腐敗させ、摂取後、ほんの数時間で死に至ります。血を吐き、苦しみもがきながら、死ぬんです」

 ミレーユは最後の言葉を、食い縛った歯の隙間から呟いた。

「また薬は長い間身体の中で蓄積されるため、短期間で幾度も服用すると、やはり同じように死に至るのだそうです。この薬で、最近では十人近い若者が亡くなりました。わたくしの弟も、一ヶ月前に。―――――弟がいつから、こんな薬を使っていたのか、どこでこんな薬を手に入れたのか、わたくしたち家族はまったく知りませんでした。後になって、警察の方が近頃巷で流行っている麻薬の一つだろうと教えてくださいました。わたくしの弟は、お恥ずかしい話ですが素行のよくないところもありました。あまりよくない仲間と遊んでいたようです。ですが、人様にとってはよい弟とはいえなくとも、わたくし達にとっては大切な家族の一人だったんです」

 彼女は俯いて、きつく唇を噛み締めた。オーウェンとケイトは互いの顔を見合わせた。

 こんなとき、どうやって慰めればいいのかわからなくてオーウェンは困る。

 家族の死に直面したことはオーウェンもケイトにも経験済みだ。しかしケイトは気丈な少女で、両親が死んだばかりのときは落ち込んでいたが、ほんの数日で一人で悲しみを吹っ切り乗り越えてしまった。オーウェンにしろケイトにしろ、いつまでも悲しみにくれていられるような暇はない。早々に気持ちを切り替え前を向いて生活をしなければ、食っていけないのだ。姉の死を知った三日後には、オーウェンもケイトも仕事をしていた。泣いたのは最初の一日目だけだ。

 下層階級に属するものの多くが、きっと同じだろう。

 しばらくして、彼女は一人で気持ちを落ち着かせた。鞄からハンカチを取り出し、目元を拭うと、弱々しげな微笑を浮かべた。

「すみません、お恥ずかしいところをお見せしました」

「いえ」

 オーウェンは曖昧に首を振る。

「それで、えっと、肝心のご用件は?」

「あ、はい。お願いしたいのは、そのナイト・クイーンのことなのです」

 ミレーユは膝の上で硬くハンカチを握り締める。

「弟を死に至らしめ、多くの若者を危険にさらしているナイト・クイーンがいったいどこから現れたのか、誰が何のためにそんな薬を作ったのか、それを調べていただきたいのです。そして可能なら、わたくしは今後このナイト・クイーンが世に出回ることがないようにしたいのです。本来、こんなことはこちらに頼むべきことではないのだろうとわかってはいます。しかし、警察はナイト・クイーンの危険に気付いてはいても、他にいくつ物事件を抱えているために、ナイト・クイーン一つだけを問題にして取り上げることは出来ないのだそうです。わたくしにクレイブスさんのことを教えてくださった刑事さんが、仰っていました。とても信頼にたる方だと。いままでにも警察が見逃した事件を、解決なさったことがあるとも教えてくださいました。クレイブスさん、どうかお願いいたします。わたくしの依頼を受けてはいただけませんでしょうか? もちろん、諸経費などは全額こちらで負担いたします。謝礼金も、そちらの言い値で構いません」

 ミレーユの依頼は、決して難しいものではないように思えた。薬は最近流行り始めたというのなら、まだそれほど大々的に広まってはいないはずだ。なら、数人から話を聞き根元をたどっていくのはたやすいだろう。なによりも、伯爵令嬢が提示した報酬は魅力的だ。普通、依頼料は詳しい話し合いの末に、お互いが納得して決まる。必要経費はもちろん依頼人に請求するが、ある程度、こちらの妥協や出費も飲まなければならない。赤字になることも多々ある。しかし、今回、相手は富豪貴族。多少オーウェンが多めに金額を提示しても、二つ返事で出せるだけの財力を持っている。

 美味しい仕事だといえた。

 目の前の可憐な令嬢は、きっとなんの打算も下心や悪意もなく、ただ弟を死に至らしめ、多くの若者を苦しめる薬を憎み、その薬によって哀しむ人を出さないために依頼をしているのだろう。しかし、それを受けるオーウェンは、多くの打算と下心を持っている。そんな自分と目の前の令嬢との差に、苦笑を浮かべたくなった。

 純粋さは、生活の豊かさに比例する。この下町で暮らすものには決してもてないものだ。

「わかりました」

 オーウェンは頷いた。

「このご依頼、このクレイブス調査事務所所長、オーウェン・クレイブスが全力を持ってお引き受けいたします」


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