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 警察に拘束されていたオーウェンがようやっと自宅に帰りつけたのは、すっかり夜も明けた、仕事に出かける人々が忙しく道を行きかっている頃だった。警察はベリティリを捕まえることに躍起になっているようだった。たまたま居合わせただけのオーウェンに、何度も何度もベリティリがどんな人物だったかと質問してくるのだ。見たと言っても、真っ黒な外套を被っていたために容姿はおろか、性別さえわからなかったと説明しているのに、警察は信じようとしない。あまつさえ、オーウェンをベリティリの仲間ではないかと疑い出したので、閉口した。

 ベリティリとは、ノーサスの夜を支配する死神の名だ。あるものは狂った殺人鬼といい、あるものは狡猾な犯罪者だといい、あるものは英雄だという。本当のところはなにもわからない。ベリティリは夜の闇の中から現れ、人の命を奪い、また夜の闇の中へ消えていく。その姿を見たものはなく、姿を見たものはみな死んでいる。

 英雄とベリティリを喝采する人たちは、おもに下層級者に多い。いままでベリティリの被害にあった多くが、特権階級に属していたためだ。社会の底辺で生活しているような人々にとって、上の人間達の転落ほど胸が空くことはない。しかし、実のところベリティリの被害者が特権階級者ばかりかというと、そうではない。中流階級者も、まれに下層階級者も、実のところベリティリによって命を奪われているのだ。一般の人間はベリティリを狂った殺人鬼だと恐れる。警察は、その足跡さえつかめない狡猾さに薄汚い犯罪者だと憎々しげに罵る。オーウェンにしてみれば、英雄だろうが殺人鬼だろうが犯罪者だろうが、結局のところ人の命を奪う恐ろしい存在でしかない。ベリティリがなにを基準に標的を選んでいるのかわからない以上、自分が狙われないように祈るだけだった。

 それにしてもと、オーウェンは思うのだった。よく助かったなと。昨夜見たのは、ベリティリだ。そう名乗られたわけではないが、あの恐ろしいほどの禍々しさは間違えようがない。人の命を喰らう殺人鬼だった。

 ベリティリの姿を見たものは、このノーサスの街にはいないといわれている。姿を見たものは、みなベリティリに殺されているからだ。しかし、オーウェンは生きている。どうゆうわけかお目こぼしをされたらしい。警察が彼を、ベリティリの仲間だと疑ったのも、仕方がないのかもしれない。慈悲などない、冷酷な死神、それがベリティリだからだ。

 ようやっと自宅に戻ると、戸口に赤毛の少女が立っていた。オーウェンを見て、彼とよく似た緑色の大きな瞳をみるまにつり上がらせた。

「どこに行ってたのよ、おじさん!」

 細いというよりは、貧弱といった方が相応しい腰に手を当てて、くすんだ赤毛をお下げにした少女がオーウェンを怒鳴りつけた。オーウェンをおじさんと彼女は呼んだが、決して彼はおじさんと呼ばれるような年齢ではない。まだ二十四の青年だ。

 彼女はケイト・アジャーノ。オーウェンの姉であり、彼女の両親が海の事故で亡くなってから、引き取って面倒を見ている娘だった。

「ああ、悪い悪い。警察に捕まってた」

 頭を掻きながらオーウェンが言うと、ケイトはひっと喉を振るわせた。両手を頬に当て、蒼白になる。

「警察に捕まってたって、おじさん、いったいなにをしたのよ!」

「違う違う、偶然、事件現場に居合わせたんだ。警察で話を聞かれてただけだ。まあ、第一発見者だったからずいぶんと拘束されたけど」

「じゃあ、おじさんはまったくなんにも悪いことはしていないのね?」

「もちろんだとも」

 胸を張って断言したが、彼女は疑わしそうな顔でオーウェンをじろじろと見ている。しばらくして、ため息と共に腰に当てていた腕を下ろした。

「とにかく顔洗ってきて。朝ごはんは用意してあるわ。服も着替えてね。ああ、まったくお酒の匂いがしてるじゃない。どうせまた飲みにいってたんでしょ。今日はお客さんが来る約束忘れてないでしょうね? 脱いだ服はすぐに洗濯場に持ってきて。洗うから。着替えは、おじさんの部屋の机の上に用意しておくからね」

 ケイトは、とにかく口煩い。オーウェンの母親にでもなった気でいるのかもしれないと、思うときさえある。しかし、一人身としては、ケイトの存在はずいぶんと助かっているのは事実だった。本当なら、こちらが彼女の身を世話しなくてはならないというのに、まったく逆の立場に陥っていることをときどき姉夫婦に申し訳なくなる。

 洗面所で顔を洗い部屋に戻って服を着替える。汚れた衣服を言われたとおりに洗濯場に持っていく。その後狭苦しい台所件食堂の椅子に座って、ケイトが用意してくれた朝食に手を伸ばす前に、新聞を手に取った。

 一面には、すでにベリティリのことが載っていた。今朝も、警察署を出るとき入り口付近にたまっていた記者の姿を目にした。

「情報早いなぁ」

 新聞には第一発見者だったオーウェンが知らないことも載っている。

 被害者は、九区に住む医者だったらしい。九区は、区分で行けば中流階級に属する。しかし、数字が早いので、中流でもかなり上位の部類に入ったはずだ。そんな医者が、どうして下層区域にいたのか不思議だと新聞には書かれてあった。ちなみにオーウェンが暮らしている十八区は、下層区に分けられるが、労働者階級の中でもわりと暮らしの豊かなものが多い地区だった。

 上流階級者は、誰よりも身分を意識する。よほどの理由がなければ、彼らは労働者階級者が暮らすような下層区に足を踏み入れることはない。彼らは、ここをゴミ溜めだと思っているのだ。

 その医者が、下層区で死んでいたことは確かに不思議なことだった。ベリティリに呼び出されたのかもしれないとオーウェンは思った。

 そこへエプロンで手を拭きながらケイトが戻ってきた。一つも手のつけられていない朝食を見て、また眉を吊り上げる。

「おじさん、まだ食べてないの? もう、冷めちゃってるじゃない」

「ああ、ごめんごめん。新聞読んでた。大丈夫、ケイトの作るものは冷めてても美味しいよ」

 オーウェンは慌ててスプーンに手を伸ばす。彼女はふんと鼻を鳴らして、一度キッチンに戻りしばらくして湯気の昇る紅茶を持って戻ってきた。向かいの席に腰を落す。彼女の方は、とうに朝食はすませた後らしい。

 彼女はふうと一つ息をつくと、ちらとテーブルの上の新聞を見た。

「ねぇ、おじさん」

「ん?」

 オートミールをすくったスプーンを口にくわえたまま、目線だけを姪に向ける。彼女は少し窺うように上目使いをして、口を開いた。

「事件の第一発見者だったって、どんな事件だったの? 警察に調書取られるぐらいだから、なにか大きな事件だったりしたの?」

 ケイトの茶色い瞳が興味津々にきらめいている。昔から好奇心の強い子で、冒険や探検という言葉に目がなかった。最近は新聞に連載されている推理小説にはまっている。女の子が読むものじゃないと何度か窘めたが、やめる気配はない。まあ、それも仕方がないのかもしれないと、最近のオーウェンは諦め気味だ。なにしろオーウェンの仕事が仕事だ。

「ベリティリだよ」

 え、とケイトは絶句した。ぽかんと口と目を丸く開け、オーウェンを見る。警察の反応と同じだ。あまりにそっくりだったので、オーウェンは笑ってしまった。とたん、ケイトがムッとする。

「私をからかったの?」

「まさか。本当に会ったんだ。いや、会ったというよりも見たと言ったほうが近いかな」

「じゃあ、顔も見たの? どんな人だったの?」

 ケイトが身を乗り出す。

「いや、顔は見てない。外套をかぶって顔を隠してたからな。ああ、でも―――――」

 オーウェンはそこで少しだけ言葉を止めた。昨夜の情景を再び思い出す。民家の屋根の上に立ち、オーウェンを見下ろしていた。顔は外套の下に隠れていて見えなかった。しかし、ベリティリが背を向ける瞬間、ふわとフードの端がめくれた。そのとき、一瞬だけ黒い髪が見えた気がしたのだ。

 闇よりもさらに黒い色をしていた。そのことをケイトに言うと、彼女は首を傾げた。

「黒髪ってことは、もしかして移民かしらね? この国じゃ珍しい色だわ。警察には言ったの、おじさん」

「いや、言ってない。確かなことじゃないし、俺の見間違いってこともあるからな」

「もしそのことを警察が知ったら、移民街は大変なことになるわね、きっと」

 ノーサスは大きな貿易港を持った商業都市だ。そのため、多くの物資が集まるのと同じように、海を渡って人も大勢集まってくる。トラディ・ベルは近隣の国の中でもとりわけ豊かで商業・鉱業を中心に大きく発展しているため、労働移民が多いのだ。ノーサスはその玄関口だった。

 そんな移民たちが一つの区画に集まりコミュニティーを形成し、移民街を作り上げた。ただし、そこでも黒髪は珍しいはずだろう。

 トラディ・ベル国は広大なアルカシス大陸の東北に位置する国だが、大陸全土を見渡しても黒髪を持つ人種はかなり珍しい。金や銀、茶や赤はあっても、黒はいない。黒髪を持つのは、このアルカシス大陸よりもさらに西へ海を渡った果てにある、小さな島国群で暮らす民族のみが持つ特徴だ。

「ところで、誰が殺されてたの?」

「この新聞に詳しく載ってるぞ」

 オーウェンは新聞を差し出し、彼女がそれを呼んでいる間に朝食を腹の中へ押し込める。一服も兼ねて紅茶に口をつけてていると、また質問が飛んでくる。

「本当に黒い百合が置いてあったの?」

「ああ、本当だった。本当に真っ黒いんだ。まるでインクを染み込ませたみたいにね」

「それって、本当に百合なの? そんな色の百合なんてこの世に存在するの?」

 ケイトが眉を潜める。

「さあ、俺には植物学的なことはわからないよ。見た限りじゃ本物の百合に見えたけどね。ただ不思議なことに、その百合は警察の人が触れようとしたとたん、薄い氷を砕くみたいにばらばらに飛散してしまったんだ。警察が言うには、ベリティリの百合はいつもそうなんだと。だから証拠として保存するのが難しくて大変だと言ってたよ」

「氷のように? 不思議ねぇ。今度の殺し方はどうだったの?」

 女の子が口にするような言葉ではないが、ケイトは平気でそんな恐ろしいことを口にする。オーウェンは苦笑を浮かべた。

「毒殺だという話しだよ。外傷がなかったし」

 ベリティリの不思議なところは、殺し方を統一しないところにある。犯罪心理学者のいうことには、殺人鬼というものは独自の美学を持っているものが多いらしく、殺し方や標的の基準など、さまざまな所で一貫した統一性やポリシーがあるものが普通なのだという。しかし、ベリティリにはそれが存在しない。その時々で殺し方は変り、標的の基準に統一性は一切ない。かといって行き当たりばったりの通り魔的な犯行かというと、そうではない。驚くほど大胆不敵に振舞うこともあれば、一切の足跡を警察に負わせない狡猾さと細心さを持ち合わせてもいる。きちんと計算しつくされた犯行なのだ。

「血が遺体から流れていなかったってことね? 首に絞殺の痕もなかったの?」

「なかったよ。一応警察が来るまで、一通り調べたからね」

「そう。なら毒殺以外に考えられないってわけね」

 彼女はふうと、吐息を吐き出すと、両手で紅茶カップを持ち、どこか夢見るように空中に視線を彷徨わせた。

「私も一度でいいからベリティリに会ってみたいわ」

 とんでもないことを言い出した姪に、さすがにオーウェンは顔を顰める。

「何を言ってるんだ。ベリティリを見たものはみんな死んでいるんだよ。ケイトは死にたいのかい?」

「でも、おじさんは生きてるじゃない」

「奇跡的な幸運のおかげだよ」

「おじさんにそんな幸運があるなら、あたしにだって同じ幸運があってもいいはずよ。だって同じ血が流れてるんだから」

「いったいどんな理屈だよ、それは」

 オーウェンが呆れてため息をついたとき、呼び鈴のベルが鳴った。はっとケイトが立ち上がる。

「いけない、今日はお客さんが来るんだったわ。おじさん、急いで支度して!」

 ケイトは大慌てでテーブルの上の朝食を片付けると、扉へ向かう。オーウェンは部屋に引っ込み、もう一度身嗜みを見直し、きちんと整っているのを確認してから、客―――――依頼人の下へ向かった。



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