第三十一話 エピローグ「留学の案内」
「留学……ですか?」
ウルズ武闘祭から数日経ったある日の放課後。
学院長室に呼び出された俺は、学院長からの突拍子もない言葉に驚きを隠せなかった。
右隣にはいつもと変わらぬ涼しい顔でブランドン先生がソファに腰を落ち着けている。
学院長の言葉も唐突だったが、驚かされたのは左隣に座る男の存在だ。
不遜な態度で腕を組み、気怠そうな表情で両足をテーブルの上に乗せている。
胸まで開けた制服の隙間からは褐色の肌に大きな傷痕が見えている赤髪の男。
無期限停学中の六年死竜クラスのジェラルドだった。
対面に座る学院長は苦々しい顔でちらちらと視線を送るが、苦い顔をしただけで別段咎める様子もない。
やがてジェラルドはテーブルから足を降ろすと、身を乗り出すようにして学院長を見据えた。
学院長はわずかに身構えたが咳払いで誤魔化すと、俺に視線を移動して口を開いた。
「う、うむ。留学先はアステリア王国でこの首都ウルズに並ぶほど栄えた町、オスワルドの剣術学院だ」
オスワルド剣術学院。
ヨハンネスが在籍しているところだ。
先日のウルズ武闘祭では優勝候補の筆頭に挙げられながら、予選でヨハンネスに敗退したらしいエドガーの従兄弟もいる。
結局閉会式にもヨハンネスは姿を見せなかったし、今あいつと会うのはちょっと気まずいな……。
学院長の話によれば、決勝戦での戦いに感銘を受けたオズワルド剣術学院の学院長がぜひにと交換留学の話を持ちかけてきたそうだ。
こういった話は過去に例がなかったわけではない。
しかし、まさか俺が名指しで指名されるとは思いもよらなかった。
「学院長、武闘祭で優勝した後輩が指名されるのは解る。だが、なんでオレもここへ呼ばれたんだ。オレまで指名するなんざ、あちらさんも相当イカれてるんじゃねぇのか?」
そう言いながら鼻で笑ったジェラルドは、右手の人差し指でこめかみの辺りをトントンと叩いた。
「残念ながら指名されたのはアルバートくんだけだ。きみを推薦したのはブランドン先生だ」
「……あぁ?」
ジェラルドが首をゆっくり動かして、俺越しにブランドン先生を睨みつけた。
その表情は怪訝な様子を多分に含んでいる。
当のブランドン先生は薄く笑いながら、顎に手をやっている。
(……ブランドン先生、また何かろくでもないようなことを考えているな)
もう四年以上の付き合いだから解る。
俺は黙って静観することに決めた。
「ブランドン、どういうつもりだ?」
「いやぁ、どうもこうも。先方が交換留学を提案されたので、こちらからは人数を指定したまでだよ。あちらは剣術に秀でている生徒を希望しているようだから、それに応えたんだ。ウルズ剣術学院でも頭ひとつ抜けた実力を持つきみたち二人なら、あちらも文句は言わないだろうね」
◇ ◇ ◇
留学についての細かな説明を学院長から受けて、俺はようやく学院長室から解放された。
オスワルド剣術学院に留学するかどうかの意思確認かと思いきや、すでに決定事項らしく勝手に話が進んでいったのだ。
俺が反論する前にブランドン先生がもうオスワルド学院長には了承の連絡をしてあると言われた時には、思わずムッとしてブランドン先生を睨みつけてしまったが、出鼻を挫かれた俺は呆れてだんまりを決め込んだ。
そして学院長室から退出すると同時に、俺はジェラルドに声をかけた。
「復学できたんですね、先輩」
「条件付きだがな」
「条件?」
「あんなことをしでかしたオレが無条件で復学できたと本気で思っているのか? 誰がどう考えても退学は免れないに決まっているだろう」
「まあ……普通そうですよね。それで、どんな条件を飲んだんです? もしかして今回の留学がその条件ですか?」
「いいや、違うな。ただオレの口から言える事じゃない。言えるのは、オレを条件付きで復学させるよう上に働きかけたのはあいつだってことだ」
そう言ってジェラルドはブランドン先生の背中を顎で示した。
上に働きかけた……上というのはウルズ剣術学院の後ろ盾となっている貴族のことだろう。
ブランドン先生はいったいどういう交渉を持ちかけたんだ?
「まったく何を考えていやがるんだか。気に入らねぇ」
俺はジェラルドの呟きを聞きながら、こちらに背を向けて前を歩くブランドン先生を眺める。
その背中を呼び止めるようにジェラルドが声をかけた。
「おい、ブランドン。何を企んでいる? オレがおまえら教師どもの手の上で踊るとでも思っているのか? オレが納得する答えを聞かせろ。返答次第じゃオレはここを離れるつもりはないぜ」
ブランドン先生は俺たちが歩を進めるのを確認してから、また歩き出した。
こちらに背を向けたままだ。
「アルバート、オスワルドの町はどこにあるか知っているかい?」
「え……? 幼年学校に通う子どもじゃないんだから、それぐらい知ってるよ。ええと、ここからじゃかなり距離がある」
「距離の話じゃない。正確な位置を知っているかい?」
「もちろん。 ……あっ!」
そこまで言われて何となく想像できた。
隣にいるジェラルドも同様だ。
苛ついたような舌打ちが耳を打つ。
「このクソ教師が。オスワルドは隣国ゲルート帝国との国境に面している。オレたちにスパイの真似事でもさせるつもりか」
「ブランドン先生、そうなんですか?」
「スパイだなんて人聞きの悪い。俺は教師できみたちは生徒だ。俺がそんなことをさせると本気で考えているのかい?」
「「ああ」」
ジェラルドと同じタイミングで肯定してしまう。
俺が横目でジェラルドを見ると、バツが悪そうに眉間にしわを寄せてから顔を背けた。
ブランドン先生はこちらに振り返ると、大げさに肩をすくめて見せた。
「いやぁ、心外だね。教師をもっと信頼してくれないかな」
「じゃあ、他に目的が?」
「うん……そうだね。一つ頼み事をしたい」
そう言ってブランドン先生は微笑を浮かべて手招きをする。
俺が怪訝に思いながら足早に向かうと、背後から「ちっ、やっぱりクソ教師じぇねぇか」と悪態をつきながらジェラルドもやっってきた。
◇ ◇ ◇
アルバートとジェラルドに簡単な説明を終えたあと、ブランドンは五年風竜クラスに隣接している自室部へと戻った。
古びた木椅子に深く座り、ふうと長い息を吐いた。
その表情はさっきまでと違い、普段生徒たちに見せる笑顔の面影もない。
机の上には書類が乱雑に置かれている。
書類を漁りながら、その中から二枚を手元にたぐり寄せた。
生徒の名前と経歴や所見などがびっしり書かれている。
書類に書かれた生徒の名前はアルバートとジェラルドのものだ。
「ふむ、それともう一人」
そして、呟きながらもう一枚別の書類を手に取った。
そこに書かれていたのは五年風竜クラスに在籍する女子生徒のものだった。
乱雑に広げられた書類をまとめて机の隅においやると、手にした三枚の書類を目の前に並べる。
「三人目は彼女が適任だろう。彼女がアルバートの保護者役だというのは周囲も認識している。ダグラス将軍からの注意を逸らすにはもってこいの口実だね」
そう独り言のように呟いて懐から小さな鍵を取り出すと、机の一番下の引き出しの鍵穴に差し込みゆっくりと回した。
カチャリと小気味よい音がして引き出しを開けると、そこには高価そうな生地で作られた包みがあった。
手のひらぐらいのサイズだ。
ブランドンは丁寧な手つきで包みを解いていく。
中身はアステリア王国の〈神器〉――〈樹竜の鱗〉であった。
ブランドンは〈樹竜の鱗〉の表面を撫でるように触れて言う。
「〈神器〉はこちらが二つ確保した。いや、正確には一つと半分か。真相を知ったあちらがどう動くか……こちらも忙しくなりそうだね」
その左目は妖しい深紅の輝きを放っていた。




