第二十五話「意外な訪問者」
幻竜の月二十九日。
空は快晴だ。
ついにアステリア王国武闘祭が開幕する。
日程は今日と明日の二日間に分けて開催され、午前が若年の部、午後からは一般の部という流れだ。
今日は一回戦と二回戦の試合が行われる予定となっている。
「アル、昨日はごめんなさい。あまり眠れなかったでしょう?」
セシリアが申し訳なさそうな表情で話しかけてきた。
昨夜セシリアを救出した俺は、ブランドン先生と一緒にシンフォニー侯爵家の屋敷を訪れた。
当主であるセシリアの親父さんダグラス将軍は不在だった。
軍のトップともなると仕事で家を空けることも多いようだ。
セシリアの一大事だったというのに家に帰れないとは大変だなと思った。
さすがに娘が攫われたとあって屋敷の関係者は皆起きていた。
セシリアの無事を知ると、老年の執事はすぐに「旦那様にお知らせせねば」と礼もそこそこに慌てふためいていた。
俺に対応してくれたのはセシリアの二人のお姉さんだった。
どちらもセシリアに容姿は似ていて、上のお姉さんは落ち着き払った毅然とした物腰で俺に深々と頭を下げ感謝の意を示してくれた。
下のお姉さんはセシリアと歳が近く、気さくでおしゃべり好きという印象だ。
セシリアを送り届けたし俺とブランドン先生が引き上げようとしたのを止めたのは下のお姉さんだった。
お茶ぐらいご馳走させて欲しいと深夜だと言うのにお菓子とお茶を用意してくれた。
その頃になると、応接間には俺とセシリア、そして下のお姉さんの三人だけになっていた。
お茶の準備を待っている間にブランドン先生は適当な言い訳を言って帰ったのだ。
そこからが長かった。
お姉さんのおしゃべりに付き合わされたのだ。
確かロイドの提案で闇夜の死竜を探そうと夜中に集まって冒険者区に繰り出した時に、セシリアが屋敷を抜け出す際、下のお姉さんに恋煩いをしていると勘違いされて手伝ってくれたと言っていたのを思い出した。
俺はお姉さんの質問攻めに苦笑して狼狽えるしかなかった。
セシリアはお姉さんを追い払おうと必死だったが逆効果だったようで、お姉さんの誤解を加速される要因となってしまった。
帰り際にお姉さんからウインクとともに「セシリアをよろしくね」なんて言われたが、俺は「……はあ」と答えるのが精一杯だった。
結局、学院寮に辿り着いたのは朝方でほとんど眠れなかった。
案の定寝坊して、迎えに行くはずのロイドとハロルドが迎えに来てくれるという始末。
それからミリアムの家に寄ってたので、ウルズ剣術学院に着いたのは本当に遅刻ギリギリだった。
だから、セシリアも寝る時間はほとんどなかったはずだし、昨日あんなことがあって気が気でないだろう。
それなのに俺を気遣ってくれるセシリアの優しさが胸に染みる。
「俺は大丈夫さ。試合すれば目も覚めるし。セシリアのほうこそ寝不足で大丈夫なのか?」
「ええ、わたしは大丈夫よ。アルが帰ったあとも姉様に捕まって大変だったけれどね」
セシリアが苦笑する。
「いいお姉さんたちだな。あんな美味いお茶飲んだの初めてだよ。ありがとうございましたと伝えてくれ」
「うん、あ……もうこんな時間! アル、試合頑張ってね」
「ああ、行ってくる」
少し離れた場所で固まっていたロイドたちも口々に応援の言葉を投げてくれる。
「アル、俺の小遣い全額おまえに賭けるからな! 頼んだぜ!」
「やっぱり賭けてたんですか。ロイドには本当に呆れますよ。アル、あなたの戦い振りをしっかりこの目で見届けますから。そして健闘を祈ります」
「アルくん、お昼用のパンもたくさんあるからねっ! いっぱい動いてお腹空かしても大丈夫だから!」
「さあ、あなたたち観客席に向かうわよ。ロイドが席取りできなかったから急がなきゃね。アル、いい試合を期待しているわよ」
ブレンダが引率の先生のようにロイドたちを引き連れて観客席のほうに歩いていく。
セシリアは一度俺のほうを振り返ってからブレンダたちを追いかけていった。
「よし、俺も準備を始めるか」
アステリア王国武闘祭ともなると一人一人に控え室が用意されているようだ。
質素なテーブルと椅子があるだけのさして広くもない部屋だが、試合目前にして集中力を高めるには十分だ。
先日、闇ギルドのリチャードと会話をした部屋も控え室の一つだったらしい。
俺がいま入ってきた控え室の三つ隣がその時の場所だった。
椅子に腰かけて一息つく。
試合までは観戦してもよし、ここで休憩していてもよし、俺の番になれば係の人が呼びにきてくれるそうだ。
入口で係の人から組み合わせ抽選の結果が記されたトーナメント表を手渡されている。
俺はトーナメント表を一瞥してからテーブルにそっと置いた。
しばらく考え事をしていると、係の人が開会式があると呼びに来た。
ウルズ武闘祭の時にも開会式らしきものはあったが、町長と元老院議員数人が形式張った挨拶をした程度だ。
その点、アステリア王国武闘祭ともなるとその数倍にも及ぶお偉方が、この炎天下の中代わる代わる取り留めのない話をし出したからたまったものではない。
(よくみんな真面目に聞いていられるな)
そう思っていると、俺と同じようにうんざりした表情の男がいた。
それは闇夜の死竜の偽物であり、昨夜セシリアを攫った張本人。
ヨハンネス・セストだった。
セストという家名は元々アステリア王国由来の名ではない。
確かニュクス共和国の古い家名だったと記憶している。
いや、そんなことはどうでもいい。
俺はあいつと決着をつけねばならない。
ヨハンネスは俺の視線に気付くことなく時折あくびを噛み殺し眠たそうにしながら突っ立っていた。
俺もヨハンネスから視線を外し、お偉方の話がいつ終わるのかと思っていると、意外な人物が登壇した。
(あれは……!?)
最後に現れたのはセシリアの親父さん、軍のトップでもあるダグラス将軍だった。
式典用のまばゆいばかりに金色に輝くゴツゴツした鎧を身につけ、「諸君らの健闘を祈る」と簡潔に言い放つとすぐに退席してしまった。
彫りの深い顔に刻まれたしわと屈強な体は、見る者を萎縮させるほどの空気を纏っていた。
整列している出場者も緊張しているのが手に取るように解った。
開会式が終わり俺は控え室に引き上げた。
控え室に戻る途中で係の人から一回戦で使用する武器を聞かれた。
使用できる武器は何でもいい。
自前で用意してもいいし、注文すれば係の人が手配してくれる。
俺は対ヨハンネス戦の武器を自前で持参していたが、温存しておくことに決めた。
そうして俺が選択した武器は剣一本だ。
軍が正式採用している剣で最もオーソドックスなものだった。
俺の試合は中程だから、もう少しゆっくりできそうだ。
いまのうちにヨハンネス対策の作戦でも練ろうかと考えたその時、扉がノックされた。
「あ、はい。えっと係の人ですか?」
もう剣を持ってきてくれたのか、やけに早いなと思いながら返事を待つ。
返ってきた意外な声に俺は戸惑いを隠せなかった。
「ダグラス・シンフォニーだ。試合前にすまない、少し話せるか?」
「…………えっ!?」
俺がすぐに返事をできずにいると、ダグラス将軍は律儀にも許可なく入室することはせず、俺の返答を待っているようだった。
慌てて俺は、
「あ、いや、どうぞ! ……開いてます」
若干焦り気味に言うと、扉が開いてダグラス将軍が姿を現わした。
近くで見ると本当に迫力がある。
その視線だけで射貫かれそうになる。
俺は立ち上がってダグラス将軍に座ってもらうように促した。
ダグラス将軍は腰を下ろしてから、俺にも着席するように言った。
付け加えてそんなにかしこまらなくてもいいとも言う。
それから膝に手を置くと、俺に向かって頭を下げた。
「アルバートくん。昨夜のことは家の者から聞いた。本当に感謝している」
「あ、そんな……頭を上げてください!」
ダグラス将軍ほどの人に控え室の質素な椅子に座らせ頭まで下げさせるのは、何だかこっちが申し訳なくなる。
俺の知っている一般的な大貴族と違い、ダグラス将軍は俺みたいな平民にまでこういう風にきちんと応対してくれるのだと妙に感心した。
セシリアが貴族と平民の区別なくみんなと接するのは、やはり親父さんの教育と性格も関係あるのだろうか。
「あれにもしものことがあったなら、病床に伏している妻もショックで病状が悪化していただろう」
セシリアのお袋さんって病気だったのか、そういえば昨夜も姿を見ていないし、これまでセシリアのとの会話にも出ていなかったな。
俺が何を言えばいいか解らずに相づちを打って頷いていると、ダグラス将軍は何か謝礼がしたいと言い出した。
もちろん俺は丁重に断るが、ダグラス将軍はそれならばと卒業までの生活費を出させてくれと言ってきた。
(……いや、俺にとってはもの凄い大金だ。軽々しく受け取れないし、そんなものが欲しくてセシリアを助けたわけじゃない)
ダグラス将軍は頑として退く気はなさそうなので、仕方なく俺は代案を捻出することにした。
だったら装備一式を買い換えたいからその費用で構いませんと。
これならそれほど高額じゃないから俺も受け取りやすいし、向こうの顔も立つだろう。
もちろん装備一式といってもセシリアにもらったベルトや武器以外に限る。
普段使う革鎧とかは爺さんのお古だったから、結構ボロなのだ。
ダグラス将軍はそんなことでいいのならと了承してくれた。
「ただし、条件というか。俺が優勝しなかったらナシってことでいいですか?」
「……何? ……ふふっ、いやすまない。きみには欲というものがないのかね。私が何でもすると言えば、高価な品や家が欲しいなどと言う者は山ほどいる。なのにきみはたったそれだけでいいのか? しかも優勝しなければいらないなどと自分に不利な条件を提示する」
「はい。俺は見返りが欲しくてセシリアを助けたわけじゃないんです。俺の仲間が危険な目に遭ってるのを見過ごせないだけですから」
ダグラス将軍は頬を緩ませると、納得したように頷いた。
「……そうか。なるほど解った。娘から聞いていたとおりの男だな」
「えっ、何か言ってましたか?」
「ふむ、それは娘の名誉のために伏せておこう」
めっちゃ気になるんですけど……。
ダグラス将軍の話が一区切りし、もう出ていくのかと思ったが、その様子はなかった。
「話は変わるが二つほどいいかね?」
「あ、はい。何でしょう」
「きみは加護持ちという言葉を聞いたことがあるかね?」
「……ええと、かご……もちですか?」
聞いたことない言葉だ。
かごってあの加護のことか?
言葉どおりなら加護を持っている者という意味だけど……。
「……すまない。やはり心当たりはないか。知らぬならそれでいい。いまの話は聞き流してくれればいい」
「はあ……」
表情からはダグラス将軍の意図は読めない。
心なしか少しだけ落胆したような雰囲気を醸し出していた。
しかし、それもごくわずかのことで、すぐに取り繕って口を開いた。
「試合前に長々とすまない。これで最後だ。ウルズ剣術学院五年風竜クラスの担任、ブランドン・ダフニーとはきみから見てどういう男だね」
「えっ……ブランドン先生ですか?」
突然出たのはブランドン先生の名だった。
どういう意図か読めないが、娘の担任だから気になっているのだろうか。
「いい先生だと思いますよ。俺やセシリアが一年の時からずっと担任ですから、もう四年以上の付き合いですし、それは保証できます」
「ふむ、何か変わったところはないかね。いや、なければいいんだが」
「変わったところですか……?」
まあ、変人と言えば変人だからな。
謎も多いし、本当の所属先も掴めない。
エーデルシュタイン流剣術も達人級の腕だし、改めて問われると変わったところだらけだ。
しかし、何でそんなことを俺に訊く?
「彼はウルズ剣術学院在籍時、アステリア王国武闘祭で前人未踏の三連覇を成し遂げたほどの男であるのはきみも知っているだろう。卒業後は私の肝いりで軍の幹部の席を用意までしたのだが断られたのだよ」
それは初耳だ。
軍の幹部といえば平民のブランドン先生にとっては願ってもない条件だったはずだ。
実際、教師の薄給に嘆いているくらいだからな。
そんな好条件の待遇を蹴ってまで何を考えているんだろう。
「それに卒業後は公式の試合に一度も出ていない。あれほどの腕があれば一般の部で優勝することも夢ではなかったはずだ。私はそれがいまだに気になっていてね」
「はあ……何ででしょうね」
「そうか、きみでも解らないか。つまらんことを聞いてすまなかった。私はこれで失礼する。立場上きみだけを応援するわけにはいかないが、きみの試合を楽しみに見させてもらうとしよう」
そう言ってダグラス将軍は腰を上げた。
この距離で会話していても感じる。
この人も尋常ならざる強さの持ち主だと。
なんせ控え室に入ってきてからわずかな隙もないのだから。
ダグラス将軍が退出したのを見届けて、俺は急に力が抜けたように息を吐いた。
どうやら俺も少し緊張していたようだ。
少しすると係の人が剣を手にやってきた。
俺の一つ前の試合が始まったそうなので呼びにきたのだ。
俺は剣を受け取って手に馴染ませる。
(問題ない。まずは一回戦突破を目指す)
俺は試合場への通路を一歩一歩踏みしめながら進むのだった。




